【私】は、真夜中だというのに外に出ていた。
 星の全く見えない暗闇の中、歩みを進めていくうちに回廊にたどり着く。

 柱に取りつけられた燭台で揺れる炎が照らしてくれるおかげで、回廊は明るくて、ホッとした。

「こんな時間に出歩いているなんて、悪い子だね」

 声がして振り返ると、()がいた。
 夜の回廊で出会ったその人は、【私】に優しく微笑みかけてくれている。

 人好きのする笑顔のはずなのに、見た途端、冷たい手で心臓を撫でられたような感覚がした。

「ファビウスせんせーこそ、どうしてここに?」

 【私】の声はうわずっている。

「どうしてだと思う?」

 じりじりと近づいてくる彼の足元では、影が不自然に動いている。

「えー? なんでだろ?」
「リュフィエは本当に誤魔化すのが下手だね。もうわかってるんじゃないかな?」

 低く穏やかな声は聞いていて心地いいのに、なにかがおかしい。
 本能が警戒信号を発していて、後ずさるけど彼との距離は縮まる一方で。

「どうやら僕の誤算だったようだ。君がこんなにも邪魔してくるなんて、思いもよらなかったよ。君では光の力を扱いきれないと思っていたのに。庭園でお話した日に、消しておくべきだったね」
「邪魔って……どーゆうことですか?」
「まだわからない?」

 彼は顎に手を添えていて、楽し気に目を細めている姿からは、妖しい色香が漂っている。

「それなら最期に、先生と答え合わせをしよう」

 聞きたくないと、耳を塞ぎたくても【私】の手は動かなくて、彼の声は全て耳に届いてくる。

「フィニスの森で魔物を倒してアロイス殿下を救ったのは君だろう? 闇魔法の本に飲み込まれたクララックを連れて帰ったのも君だ。図書館に光の力を行使した跡があったからね。モーリアが暴走させた魔力を鎮静化させたのは目の前で見ていたし、ラクリマの湖でジラルデが激高させてしまった精霊を鎮められたのも、光使いとして彼らが対等に話し合ってくれるからだ。そして最後は、裏切り者のドルイユ。心優しい君はみんなに助けを求めて刺客から彼を守って、シーアの霊薬を飲んで人ならざる姿になった彼を戻してあげた」

 彼は止めることなくまくし立ててくる。
 蠱惑的な笑顔は次第に歪んでいった。

「どれも君が邪魔するせいで計画通りにいってくれなくてね。セラフィーヌが君を上手く対処してくれると思ったのに、全然使えなかったよ」
「セラフィーヌさんを、利用したんですか?」
「人聞きが悪いね。協力してもらったのさ」

 突然、爆ぜるような音が響く。

 校舎の方から火の手が上がって、見ると、翼が生えた黒豹のような生き物が暴れている。

「あなたはいったい、何者なんだ? ただの平民が光の力を使いこなせるはずがない」
「私はせんせーの言う通り、ただの平民だけど、この国の人たちを幸せにしたいから、手伝ってくれるように光の力にお願いしたんです」
「面白いね。こんな国に救う価値があると、本当に思ってるの?」

 彼の顔から笑みが消えていく。
 代わりに、憎悪が姿を現わして、辺りは黒い雲が多い、雷鳴が轟き始めた。

「僕は、奪うばかりで、絶え間ない絶望を与えようとしてくるこの国を、滅ぼしたいんだけどな」

 彼を止めなきゃいけない。
 それなのに体は思うように動かなくて。

 気づけばすぐ目の前に彼がいる。

 ノエル、ダメだよ。
 ノエル、ノエル、ノエル。気づいて。
 そんなことしたら、ノエルが苦しむだけだから……!

 彼の手が、【私】に伸びてくる。
 その手の甲の一部が人間の皮膚じゃなくて、黒い鱗になってしまっているのが見えてから、視界が暗転した。

   ◇

「わぁぁぁぁっ!!!!」

 自分の叫び声で目が覚めた。
 視界に飛び込んできたのは見慣れた天井で、どうやら私は寮の部屋の、ベッドの上にいるようだ。

「ゆめ、か」

 やたらとリアルな夢のせいで心臓がまだバクバクといっているし、寒い季節なのに、ぐっしょりと汗をかいてしまっている。

 怖かった。

 あの人は、さっき夢の中に出て来た彼は、ゲームの中のノエルだ。
 ウィザラバの記憶が夢になって出てきちゃったんだ。しかも、よりによってトラウマシーンを見てしまうなんて運が悪い。

 もうひと眠りしようとすると、ジルに猫パンチを喰らわされた。

「やい、小娘! ノロノロしてると朝メシを食べないまま出ることになるぞ」
「うわっ! 急がなきゃ」

 ジルの言う通り、ギリギリの時間だ。

 こういう時にレティシア・ベルクールというモブキャラの立ち位置は便利なもので、決まった服に決まった髪型をすればいいからすぐに出かけられる。

 学園が雇うメイドに手伝ってもらいつつ、いつもの【魔法薬学の教師】を完成させて、部屋を出た。