ノエルには啖呵をきったけど、正直言って不安だ。
 毒を飲んで苦しんでいるノエルを冷たい目で見つめていたお母様の顔が忘れられないもの。

 あの人を敵に回さずに、負かされることなく渡り合うって、難易度が高すぎる。

 もんもんと悩んでいると、案内してくれている執事がいきなり足を止めて振り返ってきた。

「奥様は、坊ちゃんに近づこうとしたメイドをことごとく解雇させ、ご令嬢は社交界から追放させています。どうぞお気をつけください」
「そう、わかったわ」

 本当に、ノエルが言う通り厄介な人だと思う。

 疎んでいるし平気で毒を飲ませるのに女性関係には目を光らせているなんて、身勝手にもほどがあるわ。

 そんなお義母様はいったい、なにを私に話そうとしているのやら。
 考えるだけでお腹が痛くなってきた。

   ◇

 通されたのは応接室で、陽の光がさんさんと入り込んでいる。
 青い絨毯を踏みしめてお義母様の目の前まで行くと、座るように促された。

「ノエルの体調はだいぶんよくなってきましたよ」
「そう」

 返答は素っ気なくて、それに、視線は窓の外に向いていて、心ここに在らずといった感じだ。

「あなた本当に、レティシアさん?」
「ええ、そうですけど」
「前回会った時とはずいぶんと雰囲気が違うから別人かと思いましたわ」

 髪型が、違うだけです。
 やっぱり私はデフォルトにしないと認識されないらしい。
 ノエルは気づいてくれるんだけどな。

「どうしてこんな地味な娘を選んだのかしら?」

 いきなり攻撃モードなんですけど。

 地味で悪かったわね。私かて好きでこんな地味に生まれたわけじゃないんですわかってください。

「もっとふさわしい娘を娶らせようと思ったのに、これも全部あの好色ジジィが邪魔するからこうなってしまったのよね」

 さも忌々しそうに口にした人物のことを、私は知らない。思い当たる人もいないんだけど。

 誰のことを言ってるの?
 
「あの、その人がノエルの人生を邪魔をしている、ということでしょうか?」
「そうよ、てっきりあなたは国王陛下から命令を受けてノエルに近づいたものだと思っていたわ」
「……は?」

 どうしよう、まったく話が見えないぞ。
 しかも、わけがわからないうちに好色ジジイこと国王陛下のお仲間だと思われているなんて心外だ。

 たしかに国王陛下が好色ジジイなのは当たってるけどさ、周りに人がいないとはいえ、そんなこと言っちゃって大丈夫なの?

「あの子はね、完璧なのよ。初めてあの子を見た日、天使だと思ったわ。子どもに恵まれなかった私たちの元に来てくれた天使だってね。美しくて賢くて、魔力も強い。本当ならもっと高貴な地位を与えられるべき存在なの。それなのに地味な女を連れてきて婚約するなんて言ってきたときにはもう、ノエルを妬んだ国王陛下の策略に違いないと思っていたわ」
「……え?」

 お義母様がノエルをベタ褒めしているような気がするんですけど。

 確かこの人はノエルの実の母親のことを知っていて、彼を”卑しい血が混じった子”として疎んでいたん、ですよね?

「そうお思うならなぜ、毒で苦しむノエルを助けようとしなかったんですか? どうして、幼い頃のノエルに毒を飲ませていたんですか?」
「国王陛下からあの子を守るためよ。けっして愛情を与えてはいけないと、あの子を引き取る時に命令されたの。それを破れば私たちはおろか、あの子の身に何が起こるかわからなくて、従うしかなかったのよ」

 なにそれ。
 命令されたら虐待してもいいって思ってるわけ?

 そんな回りくどいことをしてなければ、ゲームの中のノエルだって闇堕ちしなかったはずなのに。
 絶望と憎しみを抱えたまま、無残な最期を迎えるなんてこと、しなくてすんだのに。

 あまりの身勝手さに、聞いていてふつふつと怒りが込み上げてくる。

「あまりにばかばかしくて呆れてしまいましたわ。結局は保身のためなんですのね?」
 
 たしかに、この国を治める人を相手にするのは想像もできないくらい大変なのはわかっている。
 それでも、お義母様たちのやり方は納得できない。

「ノエルの気持ちは、どうなるんですか? たしかにノエルは完璧だけど、人間ですよ。寂しがり屋で、傷ついたりもします」

 せめて事情を説明してあげればよかったのに。
 もっと彼の声を聞いてあげていたら、結果がかわっていたかもしれないのに。

 過ぎた時間は戻ってこないし、傷つけられた心はなかったことになんてできないのに。

 ただ命令通りにしてノエルを守った気になっているのが許せない。

「私の方があなたの数倍はノエルのお母さんをしていますわね! ノエルと向き合う気がないくせに、母親気取りしないでください!」
「その母親ごっこ、まだ続いてるの?」

 頭の上からノエルの声が降ってきた。
 見上げると、圧のこもった笑顔が目と鼻の先にあって、思わず息をのんでしまった。

「母上、そろそろ僕の婚約者を返してください。彼女がそばにいないと落ち着かないんです」

 ノエルはそう言うと、お母様の返答を待たずに、私の手を引いて部屋を出てしまった。

 振り返ると、お義母様はただ瞠目して私たちを見送っていた。

   ◇

 帰りの馬車の中、ノエルはいつものように向かい側に座らず、なぜか隣に座ってくる。
 お説教をされると思ったのに、なぜかにこにこと笑いかけてくるだけで、すっごく怖い。

「レティシア、僕に言うことがあるよね?」
「お義母様を罵倒して申し訳ございませんでした」
「それじゃない」
「へ?」

 てっきり、ギャーギャーと言っていた時のことを咎められると思っていたのに。
 それなら、他に私はなにをしでかしてしまったんだろう?

「母上の話は聞き流すように言ったのに怒ってくれたことだよ。僕の悪口なんて話半分で聞いていたら良かったのに」
「いや、ノエルの悪口は、言ってなかったよ。むしろ、お義母様はノエルのこと、褒めてた」
「レティシア……母上と話しながら居眠りしてたの?」

 ノエルはそう言って笑った。
 違うんだけど、どれだけ説明しても、彼は面白そうに笑うだけで信じてくれなかった。
 それどころか、「今日は早く寝るんだよ」なんて言ってくる。

 三つ子の魂百までっていうけど、小さい頃から冷遇されていたノエルからすると、やっぱり、信じ難い話なのかもしれない。

 もっと話し合っていれば、気持ちを伝えていれば、こんな拗れてしまうことはなかったと思うのに。 
 きっとそれは、これからの私にも言えることなんだ。
 
 ゲームで見た彼のことばかりに気を取られないで、ちゃんと、目の前にいる彼のことを、知りたい。

「ねえ、ノエルの好きなものってなに?」 
「好きなもの、か。レティシアがくれたあの紅茶は、好きだよ」

 魔性の黒幕らしからぬ無邪気な笑顔を向けてくれる、私の婚約者の、ノエル・ファビウスのことを。