きっかけは、失恋だった。

 恥ずかしい話だが、実家に帰った時に昔から好きだった人の結婚を知って、ヤケ酒して部屋に帰る途中につまづいて頭をぶつけた拍子に、前世の記憶を思い出した。
 それは、ここではない、魔法がない代わりに科学が発展している世界で生きていた時の記憶。
 その世界でも私は教師をしていたものだから、私はこの仕事から離れられない運命なのかもしれない。
 そして悲しいことに、前世の最期もまた失恋によるヤケ酒のせいであって。
 酔っぱらって帰っているときに階段で足を踏み外してあっけなく終幕。


 恋と酒はもう止めようと誓った。


 その記憶をたどってわかったのは、ここは私が前世でプレイしていた乙女ゲームの世界ということ。
 そして私は、ごくごく平凡な、平凡すぎて恐ろしいほど地味なモブに転生したということ。記憶を思い出してから改めて鏡を見てみると、いかにもモブって感じの地味な見た目に笑ってしまったくらいだ。

 そんな私が前世でプレイしていた乙女ゲームの名前は【ウィザード・ラヴァーズ~光の魔法使いと運命の恋~】、略してウィザラバ。
 平民出身のヒロイン、サラ・リュフィエが王国随一の全寮制名門校オリア魔法学園に特待生で入学するところから物語が始まる。
 攻略対象たちと出会い、王国に恨みを持つノエルや敵国の陰謀に巻き込まれながらも学園と王国を救っていくストーリーで、もっとも好感度が高い攻略対象との好感度や選択肢によってエンドが分かれる。

 私はサラの担任の、魔法薬学の教師に転生している。
 ゲームの中では顔なんて出てきていなくて字幕のみの、本当にただのモブ。名前は明かされていなくて、【魔法薬学の教師】だった。
 口調や文脈から性別がわかったくらいで、あまり登場していない。

 ちなみに記憶を思い出してから自分のクローゼットを見てみると、ギャグかと思うくらい同じ色と形のものが並んでいて思わず震えてしまった。他のモブの先生たちもそうなのかと思いきや、わりといろんな服を着ているのよね。
 それなら私もイメチェンしてやる、と思って髪型だけ変えて見たら見事に認識されなくて、抑止力の恐ろしさを肌で感じたわ。

 ちなみにサラは千年に一人が授かるとされる光の力を発揮して救国の光使いになる。光使いになって環境が変わっていく中で戸惑いつつも成長していくという、まあ、ありきたりな話だ。

 私は何度も繰り返しプレイしていたわ。台詞の一字一句を諳んじられるくらいにね。
 初めこそ、大好きだったゲームの世界に転生できてはしゃいでしまったけど、それも本当に束の間のこと。
 だって、このゲームのバッドエンドって、けっこう残酷なのよ。私の大切な生徒たちが危険な目に遭うの? って思うと全く喜べなくて。
 ヒロインも、攻略対象たちも、悪役令嬢も、先生になって見る彼らはゲームをしていた時とは全く違っていて、年相応の子どもたちとして目に映るものだから尚更なのよね。
 なんとかして彼らをあの悲劇から救いたいと思う。だから私は陰ながらみんなを助けてハッピーエンドに軌道修正しようと誓った。
 学園ものらしく、ラストの卒業式の日には夕日に向かって走る青春エンドを作り出してやろうじゃないのってね。

 特に推しの氷の王子様こと第二王子アロイスには幸せになって欲しいし(本音)。
 サラと同じく私が受け持つクラスにいるこの国の王子、アロイス・エヴラール・ノックスは攻略対象で、私は何度も彼のルートを選んだものだ。

 とまあ、それがきっかけであって、私なりに策を練った結果、このゲームの黒幕であるノエルを監視して彼が生徒たちに危害を加えないようにしようと決めた。
 彼は国王が気まぐれに手を出した踊り子との間にできた落胤で、その存在を隠すために候爵家の子どもとして迎えられた。しかし母親の血筋のことで良く思っていない候爵夫妻から冷遇される幼少期を過ごす。

――『いっそ死んだ方が楽だと思ったのに死なせてくれない。感情も言葉も思考も、全て奪われた』

 ゲームの中で彼は自身の過去をそう振り返っていた。

 そんな彼に救いの手を伸ばしたのが彼の担任だった魔法薬学のロアエク先生。
 自分の声なんて誰にも届かないと思って沈黙していた彼に根気強く話しかけて心の扉を開いていった。ノエルは彼女を慕い、親のように思っていたとゲームでは明かしている。
 それなのに、王室はノエルからロアエク先生を奪った。可能性が低いとはいえ王位継承権を持っている彼に平民がなにかを吹き込んではいけないと思った王室が、ロアエク先生に呪いをかけたのだ。

――『あと少しで、先生は助かったかもしれなかった。なのに、あの血塗られた玉座に座る老いぼれが邪魔をした』

 それは少しずつ体力と精神を消耗させていく古の呪いで、解呪方法は知られていない。
 だけどノエルは魔術省の伝手を頼ってついにその解呪方法を見つけ出した。
 それなのに。

――『あいつらは見せしめのように僕の目の前で先生を殺した。逆らうなと、幸せになるなと、教えるために』

 ロアエク先生は、ノエルが解呪に必要な素材を揃えたと聞きつけた国王によって手を下されたのだ。
 大切な恩師を奪われた彼は、育ての親と、この学園と、この国を恨み、敵国と手を組んで、報復を目論んでいる。

   ◇

「妖精と交渉できる私ならきっと解呪の役に立ちますので、どうか私を妻にしていただけませんか? 妻であること以外はなにも求めません」

 事情を知っている私なら、その素材を秘密裏に探してこの事態を防げるかもしれない。
 だから彼に近い存在であるように婚約者になるのが手っ取り早いと踏んだんだけど、そもそもこの鉄壁の黒幕が承諾してくれないんじゃないかって不安になってきた。

 それに加えて紫水晶の瞳で見つめられてしまうと、思わず心臓が跳ねる。

「取引をしようってことですね」
「ええ、ファビウス先生に有利な取引だと思いますが?」
「そうですね、あまりにも条件が良くて、なにか裏があるんじゃないかと思いますが」

 確かにあるっちゃあるんですけど。
 いかにも「そんなものないですよ~」って顔を作って見つめ返す。たぶん今世紀最大の力作だわ。誰がどう見ても人畜無害な顔になっているはず。鏡で確認してないけど。

「……」
「……」

 ノエルは悩んでいるようで、なにも喋らなくなった。沈黙がすごく長く感じられる。
 さすがに今日一日で婚約まで取りつけるのは無理かもしれない。そう諦め始めた時、彼は口を開いた。

「いいでしょう。明日にでもベルクール家に手紙を送ります」
「え、あ、わかりました」
「ただし、あなたに見張りをつけるのが条件ですけど」

 そう言って、今日一番の麗しい笑顔をお見舞いしてくれた。

 ああ、この人きっと、おかしなことをしたら殺してやるって思ってるんだわ。ゲームの中でも裏切って主人公たちに密告しようとした仲間を殺していたんだもの。あのちょい役の名前はなんだったっけな。

 職員寮の部屋に帰ったら遺書でもしたためようかしら、なんて思っていたのに書かなかったのは、彼がつけた見張りと一緒に帰ることになったからだ。