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 王宮の中にある騎士団の稽古場に行けば、目当ての人物はすぐに見つかった。
 普段は文官が立ち寄らない場所なだけに、騎士たちが物珍しそうに見てくる。

 視線に晒されるのは好きじゃないが、今はその方が都合がいい。
 注目されている中で、はっきりと示してやる。もう二度と彼女に近づかないように、彼女が誰のものであるのか教えてやろう。

 見せしめの獲物に近づいて、声をかけた。

「カスタニエ卿、先日はどうも、レティシアがお世話になりました」
「いえ、お礼を言われるほどのことなどしていませんよ」

 朗らかな微笑みを浮かべる騎士団長からは全く邪気を感じない。
 ああ、この人は僕とは違う。
 心の底からそんな言葉を言える類の、人間なんだ。

 真っ直ぐな気持ちで、本物の善意を持っている人。
 本物には敵わない。
 レティシアは、僕より先に彼と出会っていたら、彼に結婚を申し込んでいただろう。

 そんなことを考えてしまったとたんに、ドス黒い気持ちが胸の奥に湧き上がって、暴れ始める。

「今後は僕が彼女のそばにいるようにするので、どうか近づかないでください。彼女は婚約者になったばかりです。僕以外の異性と一緒にいると、大切なあの人の名誉が傷つきかねません」
「申し訳、ございません。ベルクール先生のお役に立ちたいと思っていましたのに、肝心なことに気が回っていませんでした」

 きっと、この人はレティシアに惹かれてしまったんだろう。

「今後は陰ながら見守らせていただきます。どうかベルクール先生を幸せにしてください」

 目的を果たせたのに敗北を味わったような感覚だ。
 本物の善意を持つ彼への劣等感が暴れ出てくる。

「あなたに言われなくてもそうするつもりです」

 カスタニエ卿なら間違いなく平和で幸せな生活を彼女に与えられるだろう。
 それでも彼女はもう、僕の婚約者だ。その事実を覆すことはない。

 レティシアがカスタニエ卿と一緒にいるとジルから聞いた時、心の中に禍々しい気持ちが渦巻いた。

 怒りと、悲しみと、なぜか、寂しさが、ない交ぜになっている厄介な感情。

 初めはその感情に戸惑った。
 自分がなぜ、そんな気持ちを抱いたのかもわからなかった。

 彼女が騎士団長という、王室側の人間と話しているのが気にくわなかったから?
 憶測を立てたところで、違うのは分かり切っている。

 噂に聞くカスタニエ卿は、王国騎士団に所属しているとはいえ、国王や父上たちの仲間ではない。
 あいつらが仲間に引き入れられないくらい真っ当な人間だ。

 それなのに、なおも募らせてしまうこの感情はなんだ?
 苦しくて、頭の中がかき乱される。微かな苛立ちさえ覚えた。
 
 彼女と話せば解決できるんだろうか。
 大人げないほど怒りを隠さないまま、いや、隠せないまま彼女に会いに行った。
 
 ――『言っておくけど、本当はあなたと出かけたかったんだからね。私が他の人といるのが嫌なら誘いを断らないで欲しいわ!』

 嫌、か。
 
 僕は子どものように、騎士団長に妬いていたのかと。
 初めての感情に確信が持てず、聞き返すと彼女は更に怒ってしまった。

 言われたとおりに自分の胸に問いかけてみたところ、やっぱり僕は妬いているだけだった。

 このままではいけない。
 レティシアの一挙一動に心を乱されていてはロアエク先生を助けられないし、なにより、国王たちに都合の良い弱点を知らせてしまう。
 あいつらの思うようにはさせないと誓っていたのに。

 厄介だ。

 だから彼女を――レティシアを、消そうと思った。けれどそれは決意にまでは至っていなかったと、思い知らされる。

 朝の、人気が全くない準備室で手にかけようとしたのに、いざ彼女の顔を見ると体は動かなくなってしまった。
 それどころか、なにか話しかけてくれるのを待っている自分がいる。

 結局、彼女はなにも言わないまま通り過ぎて、やるせない気持ちがまた心の中を乱してきた。
 そんな中、フィニスの森でレティシアがトレントに襲われていると、ジルが助けを求めてきた。

 助けに行かねばならないと、気づけばグリフォンに乗ってフィニスの森に向かっていた。

 彼女を失いたくなかった。その気持ちを改めて思い知らされた。

 レティシアはトレントがいなくなると真っ先に生徒たちを労い、彼らを想う気持ちを伝えていた。
 なにがあっても生徒を優先する。彼女はそういう人物なんだと、ここ数日のうちにわかっていた。
 
 そして、僕はもう完全に彼女に惹かれてしまったのだと、認めざるを得なかった。

 息抜きでデートに誘うなんてただの口実で、本当は彼女のことをもっと知りたくて、その機会が欲しかった。
 結果、いつもとは違う彼女を見られて、その度に喜んでいる自分がいた。

 髪を下ろしてる姿は清楚な印象をさらに引き出していて、美しかった。本屋で夢中になって本を見ている後姿を前にすると、どうしても触れたくなって、何度も手を伸ばしかけた。

 初めて触れた手は、ほっそりとしていて、柔らかかった。
 それに、彼女の温かい言葉に溶かされてしまう気がした。

 もっと一緒にいて、そんな彼女に触れたいと、思ってしまう。

「ジル、レティシアは、ちゃんと眠っているか?」
『ふわぁ……ご主人様、先ほども言いましたが、なにかあったらお伝えしますので気になさらずお休みください……むにゃむにゃ……』


 眠そうなジルの声が返ってくる。
 ジルが眠れないほど何度もレティシアの様子を聞いてしまっていたんだと、改めて気づかされる。

 この感情は本当に厄介だ。

 レティシアがなにをしているのか、なにを考えているのか、ずっとそんなことを考えてしまう。

「僕が不利益を被ることはしないと、約束したじゃないか」

 彼女はただ教師を続けたいから僕に契約を持ちかけてきた、僕には全く興味のない人なのに。

「責任を、取ってくれ」

 あふれ出てくる恨み言をのみこんで目を閉じた。

 早く明日になってくれ。
 朝一番に彼女に会いに行けば、幾分かは心が楽になるはずだ。