【電子書籍化】このたび、乙女ゲームの黒幕と婚約することになった、モブの魔法薬学教師です。

 ノックス国王は鼻で笑った。

「断罪? 笑わせるな。お前のような子どもが国王を裁けるわけがない。お前たち、謀反者の王子を捕らえろ!」

 そう叫んでも騎士たちは眠りについていて、全く動く気配がない。
 ダルシアクさんが全員眠らせたようで、見渡せば辺り一面に人が倒れているから物騒な光景になっている。

 形勢逆転に気づいたノックス国王はさも忌々しそうに地面を一蹴りし、ドーファン先生に命令した。

「どいつもこいつも使えない! ヤニーナ、さっさと月の力を取り出せ!」

 ヤニーナと呼ばれたドーファン先生は嬉々として「かしこまりました」と言うと呪文を唱え始める。
 するとドーファン先生を発生源にしてどす黒い霧のような物が出てきて広がっていく。

 不気味で、重々しくて、恐怖心を煽る霧だ。
 いかにも悪役が出しそうな攻撃だと思いつつ、サラたちがその霧にのまれないように防御魔法に注ぐ魔力を増やす。

 だけど霧が深まるにつれて息苦しいのと力が抜けそうになるのとで、意識が朦朧とし始めた。

「レティ、生徒たちを連れて逃げるんだ!」

 ノエルがいつになく切羽詰まった声で話しかけてくる。
 生徒たちのことを考えるとそうするべきかもしれないけど、そうするとノエルを置いていくことになる。

 ノエルのことだって守ると決めたのに、置いていくことはできない。

 すると突然、ノエルが贈ってくれた指輪から淡い光が出てきて私を包むと息が楽になる。
 どうやらノエルはこの指輪にも私を守るための魔法をかけてくれていたらしい。

 私はノエルの魔法のおかげで無事だけど、他の人たちをどうやって助けよう。
 苦しむみんなを見て焦燥が募る中、ノエルがドーファン先生に向かって叫んだ。

「止めろ、降りるから霧を消せ」
「それならファビウス卿、先に降りてもらいましょうか」

 手ぐすねを引くドーファン先生の元にノエルを行かせてはならない。
 ダメだと叫びたいのに、先ほど吸い込んだ霧のせいで声が上手く出せず、涙が出た。

 そうしている間にノエルはナタリスに話しかけて、地上へと降りていく。
 絶望しながら、ノエルが地面に降り立つのを見守ることしかできなくて。

 ノエルの足が地面についた瞬間に、地面の上に赤黒く光る魔法印が現れた。
 途端にノエルが苦しそうに呻き声を上げた。

「……早く霧を消せ」

 そう言ってもドーファン先生は笑い声をあげるだけで消そうとしない。
 初めから消すつもりなんてなかったのかもしれない。そもそも、ノックス国王とドーファン先生はこの魔術が終わればみんなを始末するつもりなんだから。

 すると、サラが防御魔法の結界を叩く。

「メガネ先生、防御魔法を止めて! 私の魔法ならこの霧をなんとかできると思うから!」
「でも……」
「いいから早く!」

 確かにサラは光使いの力を持っているけど、危険に晒していいわけがない。
 だけど躊躇っている間もノエルが苦しそうにしている声が聞こえてきていて、すぐにでもノエルの元に駆けつけたい気持ちに板挟みされてしまう。

 混乱と恐怖で震えてしまっていると、両肩にそっと手を添えられた。
 気づけばアロイスとイザベルに支えられている。

 二人とも苦しそうなのに、私を気遣うような眼差しを向けてくれていて。

「ベルクール先生、私たちを信じてください。あなたの背を見て育ってきたんですから、どんな困難も突き進んで乗り越えていけます」

 アロイスはそう言うと、ゆっくりと私の手を下に降ろさせた。
 魔力の供給を失った魔法が消えて、サラたちの元にも霧が押し寄せる。

 サラは両手を胸の前に組んで、目を閉じて祈りを捧げた。
 普段のマイペースな彼女とはまるで別人の、真剣な表情に魅せられてしまう。
 見守っているとじんわりと淡い光が現れてサラを包む。幻想的な光の中で、サラは閉じていた瞼を開いた。

「穢れを祓い落とせ――浄化せよ(サンクトス)!」

 あっという間に光が辺りを包み込んで霧を呑み込んでいく。
 眩い光が消えてしまうと、霧もまた、跡形もなく消えていた。

 胸を撫でおろすのも束の間、ノエルを苦しめる魔術は光使いの力を受けても消えずに残っており、絶えずノエルを苦しめている。

 絶望した。

 ゲームではどんな魔法でも魔術でも、光使いの力さえあれば無効化できたのに、その力でも消せない魔術からどうやってノエルを助けたらいいのかわからなくて。

解除せよ(リベラティオ)!」

 苦しむノエルを見ていられなくて魔法をかけてみるけど、まったく変化が起こらない。

解除せよ(リベラティオ)! 解除せよ(リベラティオ)! 解除せよ(リベラティオ)――!」

 何度唱えても魔法の光りはノエルに触れた途端になにも成さずに消えてしまう。

 嫌だ。
 ノエルをこれ以上苦しめたくないのに。

「ノエル!」

 駆けつけて手を伸ばすと、ノエルの体が異常なほど熱い。おまけに全身にびっしょりと汗をかいている。

「レティ、魔術のせいで体内で魔力が暴走しているんだ。危ないから離れて」
「嫌だ。ノエルが苦しんでいるのに見ているだけなんてできない」
「その気持ちだけで十分だ。それに、ひとつだけ策はある。上手くいくかわからないけど、試してみる価値はあるから」
「策って?」
「月の力の最大魔法を使うことだ。ルーセル師団長から伝承を聞いたくらいで実際に使ったことはないけど、もしかしたらこの魔法印を消せるかもしれない」

 ノエルはそう言うと、そっと私の肩を掴んで自分から離した。
 離されるのは初めてで、動揺した。ノエルに抱きしめられたり引き寄せられたりすることはあったけど、ノエルが離れていくことなんてなかったから。

 縋るように手を伸ばしても、オルソンたちに止められてノエルの元に行けない。

「ファビウス卿、さっさと我慢を止めたらいいじゃないですか。その力があっても苦しむだけなんですから、早く楽になりたいでしょ?」

 悪魔のように囁くドーファン先生の言葉に、ノエルはいつもの微笑みを見せた。

「ええ、憎い力ですが、一度は上手く活用してやりたいんです」
 
 ノエルはもう一度私に微笑みを向けると、そっと目を閉じた。

夜になれ(ノックス)

 呪文を唱えても光が現れることなく、しんとしている。
 いったいどんな魔法が起こるのか、それとも失敗してしまったのか。

 不安になって見守る中、辺りが次第に暗くなっていく。
 先ほどまで真昼間だったはずなのに、太陽はすっかり隠れてしまい、紫紺色の夜空が広がって、満月や星々が姿を現わした。

「我は女神に代わり宵闇の平穏を守る者であり、生きとし生けるものを守り良き夢に誘う導き手を担う。穢れや呪いを我が光で焼き尽くし、夜の静寂を守ろう――」

 ノエルが言葉を紡ぐたびに眩い光が空から降ってきてノエルの周りを浮かぶ。
 まるで月の周りに浮かぶ星のようで、ノエルを守るように蠢いている。

 月の力なんて、初めて聞いた時もルスから聞いた時も、具体的にどんな力なのかわからなかった。
 ただ漠然と、すごく大きな力だということはわかっていたけれど、それがどんなに尊く偉大な力であるのか、ノエルが唱えた呪文に思い知らされた。

 月の力もまた光使いと同様に女神様に並ぶような力であって、そして力を持つ者に課された使命がとんでもなく重いものだということを。
 女神様はきっと、ノエルなら果たしてくれると思って託したんだろう。
 それがノエルに悲劇を招くことになるなんて、女神様も予想していなかったのかもしれない。

 みんなが息をのんで見守る中、苦しそうに顔を歪ませるノエルは、さらに呪文を続けた。

「満月よ、その力を我に。照らせ(フェガロフォト)

 カッと眩い光がほとばしり、辺り一面を白く染めた。
 視界が真っ白になってなにが起こっているのかわからない中、ビリビリと空気を裂くような音がして、それと同時になにかがじゅっと焼けるような音も聞こえてくる。

「ノエル!」

 不安になってノエルを呼んでみると、ふわりと温かいものに包まれた。

「レティ、もう大丈夫だから」

 その言葉を最後に体がぐらりと傾いて、音を立てて地面に倒れた。

   ◇

「ベルクール先生、目を開けてください!」

 イザベルの声がして気がつくと、視界いっぱいに涙を溢れさせたイザベルの顔が映る。
 辺りを見回すと空はまた明るくなっていて、綺麗に晴れている。
 魔法印の赤黒い光は消えていて、代わりに焼け跡のようになって地面に残っている。
 騎士たちはトレントの魔法によって手足を縛られており、その傍でウンディーネとダルシアクさんに見張られている。

 状況を掴んでいると、つんつんと後頭部をつつかれて、振り返るとナタリスが気遣わしく顔を覗き込んでくる。

「セラフィーヌさんもナタリスも、ありがとう。私は大丈夫よ」

 起き上がろうと手を突くと、地面ではなく温かなものに触れた。
 ノエルの胸に、手を突いていたのだ。

「ノ、ノエル……ごめん」

 慌てて手を離してもノエルから返事はなくて、目を閉じてぐったりと眠っている。
 起き上がった拍子に背中にまわされていた手がぱたりと地面に落ちても、全く動かない。

「ねぇ、ノエル。しっかりして……」

 全く動く気配のないノエルを見て視界が滲む。
 息はしているし体も温かいけれど、漠然とした喪失感が襲ってきて、声が震えてしまう。

 守りたかったのに。
 苦しめたくなかったのに。

 結果としてノエルがボロボロになってしまったのが許せなくて。

「お願い、ノエル。私に挽回させて。今日受けた苦しみ以上にノエルを幸せにするから、目を開けて」

 必死になって呼びかけていると、頭上からふっと影が落ちてきた。
 見上げるとイザベルやサラ、アロイスたちが私とノエルを守るように立ちはだかっている。
 その先にいるのは、ドーファン先生だ。

「そこを退きなさい!」
「嫌です!」

 苛立ちを隠さずに怒鳴るドーファン先生に、負けじとサラが声を張り上げた。
 それでカッとなったのか、サラたちに魔法をかけようとドーファン先生が手を振りかざすと、グーディメル先生が大声を張り上げて呪文を唱えた。

「捕縛《プレヘンデア》!」

 すると、光る鎖が空から伸びてきてドーファン先生を拘束する。
 通常の捕縛魔法は鎖が巻きつくだけなのに、この魔法は空から降ってきた鎖によって拘束されており、光り使いの魔法のような光を纏っている。

「ノックス国王、オディロン。お前が生まれた時に予言したように、やはりお前は災いを呼ぶ子どものようだ。もっと早くに手を打つべきだったよ」

 そう言い放つと、グーディメル先生は何もないところから金色の杖を取り出して、地面をとんと突く。途端にノックス国王の手足も鎖でつながれた。

「う、うるさいぞ! グウェナエルの生まれ変わりだがなんだが知らぬが、お前が儂を無力だの災いをもたらす子だの言ったせいで、儂は父王や周りから虐げられてきたんだぞ。お前が、月の力にこだわるせいで! お前に儂の気持ちなどわからぬだろう!」

 拘束されているというのにノックス国王は大声でわめいている。
 顔を真っ赤にして叫ぶ姿はもはや国王ではなくて、駄々をこねている子どもだ。

「おい、国王を鎖で繋いでいいのか?! 死刑に処するぞ!」

 生徒たちに冷たい視線を向けられているというのに死刑だの極刑だの言って脅しをかけているノックス国王の姿はひどく惨めだ。
 そんな中、幾人もの騎士たちが噴水広場に現れた。
 先頭にはお義父様が立っているから、王国騎士団のようだ。

「ちょうど良い、この者たちを捕らえろ!」

 窮地に立たされていたノックス国王は援軍が来たとばかりに顔を輝かせた。
 しかし次の瞬間、お義父様の指示で幾人もの騎士に取り囲まれて剣を向けられてしまい、悲鳴を上げる。

「我々王国騎士団は、あなたへの忠誠を破棄しました。我々は国王に仕える以前に国民の盾であります。国民への誓いを破り危害を加える者を主にはできません。よって本日よりアロイス殿下の指示の下、ノックスの平和を守ります」

 お義父様はそう言い放つと、アロイスの傍に立つ。その反対側にはラングラン侯爵もいて、二人に挟まれたアロイスは静かに片手をあげた。すると騎士たちはノックス国王に向けていた剣を下ろす。

「父上、あなたを裁判にかけて正式に国王の座から退いて頂きます。今回の件に加担した兄上は身分剥奪後に塔に幽閉します。よって、これからは私がこの国を立て直します。真に平和な国を築きましょう――たとえ月の力を持っていないとしても、国民への誠意をもってこの国を治めてみせます」
「綺麗事を言うな。そう簡単に儂を裁けるわけがない。代わりにお前を国家転覆罪で追放してやる」
「いいえ、できます。この学園の平和を乱した罪も追加で問いましょう」
「ははは、学園の中で起こった出来事で私を断罪できるとは大した自信だ。こんな狭い場所で起こったことは誰も信じまい。この事件はだれにも知られず、歴史から消されるのだ」
「ええ、そう仰ると思ってこちらも手を打っています」

 アロイスはノエルにも負けないくらい黒幕然とした不敵な笑みを浮かべた。
 彼が視線を送る先にはルーセル師団長と宮廷魔術師団のメンバーがいて、みんな手に持っている水晶を高く掲げている。

「学園中に設置した水晶玉にこれまでの出来事を全て記録しました。これをアロイス殿下に献上します」
「ルーセル師団長を始めとする宮廷魔術師団の方々には感謝します。おまけに父上がセザールの誘導に上手く乗って下さったおかげで貴重な証拠品ができました。それに、証拠はまだ他にもあります」

 そう言って今度は、連れて来た生徒たちに視線を移した。

「もうそろそろ効果が切れる頃でしょう。あなたの悪事を暴くために、強力な証人を作る必要がありましたから随分と苦労しましたよ。招くのが申し訳なくなるほど多忙な方たちでしたので」

 アロイスと現れた生徒たちは、そういえばずっと傍観に徹していた気がする。
 それに生徒会のメンバーではないようだけど、どういう繋がりで集められた面々なのかが全くわからない生徒たちだ。
 学年もクラスもばらばらの生徒たちをアロイスが適当に連れてきたとは思えない。

 じっと見ていると、生徒たちの姿が一瞬にして消えて、代わりに宰相やら大臣やらが現れた。

「ベルクール先生から貰った材料で変身薬を作ったんです。それで生徒たちに入れ替わってもらって、父上が罪を犯す現場を見て頂くことにしました。百聞は一見に如かずですし、見てもらった方が早いと思ってお招きしたんです」

 さすがに国王も、この国の中枢にいる人たちを敵にまわせば立場がない。
 騎士団に続き宰相や大臣たちからも信頼を失うことになると、自分に従ってくれる貴族と手を組んでも王座にとどまるのは難しいはず。

「……お前たち、主君を裏切るのか?」

 ノックス国王が震える声で呟いた言葉に、アロイスが溜息をついた。

「あなたが正しい王であったのならついてきてくれたでしょうね。彼らの証言に加えて、騎士団長のカスタニエ卿から国境付近で起きたファビウス卿襲撃事件の調査結果を提出してもらうのでそれも裁判に使います。逃げ場はありませんよ?」
「うるさい! ヤニーナ! なんとかしろ! 全員殺しても構わぬ! 儂を助けろ!」

 喚き声をまき散らしても、ドーファン先生は答えなかった。
 不審に思って見てみると、ドーファン先生の前にはいつの間にか現れたルスがいて、震え上がるドーファン先生を見てニヤリと笑っている。

 まるで蛇に睨まれた蛙だ。

「ヤニーナ、お前はシーアに連れて帰って相応の刑に処する。罪人の引き渡しに協力してくれたノックスにはもちろん、ノックス国王がこやつをシーアの監獄から脱走させた証言を提供してやっても良いぞ。ノックスの密偵をつかまえておるからな」

 ルスが指輪に触れると、ドーファン先生と一緒に姿を消してしまった。
 大きな笑い声をあたりに響かせながらルスが消えると、ノックス国王はその場に崩れ落ちる。

「親を謀った国王が信頼されるものか」
「あなたの愚行を明かせば納得してくれるかもしれません。国民にどう思われようと、私は国民のために尽くすつもりです。この命も力も、国民のためにあるのですから」

 アロイスの感情は、表情だけでは読み取れなかった。
 淡々と話す声にもまた感情は籠っておらず、だけど、彼の決意はひしひしと伝わってきた。

 アロイスは本当に、実の父親であるノックス国王を裁くだろう。

 ようやく、真の元凶が断罪されるんだ。
 ノエルが長年の苦しみから解放される日が、訪れるというのに――。

「ノエル、起きて。やっと悪者がやっつけられるんだから、一緒に見届けよう?」

 どれだけ話しかけても、腕の中のノエルはピクリとも動かない。
 アロイスの指示で騎士や魔術師たちが罪人たちを搬送する喧騒の中、ノエルは全く目を覚まさなくて。


 それから一日経っても二日経っても、ノエルは起きなかった。