【電子書籍化】このたび、乙女ゲームの黒幕と婚約することになった、モブの魔法薬学教師です。

   ◇

 グリフォンの馬車から地上の馬車に乗り継いでからしばらく経つ。

 国境付近を走っていてもおかしくない頃のはずだが、一向にその門も壁も見えないとなると、いよいよ怪しくなってきた。

 おまけに、この馬車に乗り込んでいるのは第一王子とその側近と護衛騎士。
 国王の息がかかった王子たちなのは間違いない。その気になれば他の馬車に乗り込んでいる使節団の人員に知られることなく動けるだろう。

 それを見越してこちらも付近に応援を呼んでいるが、合流地点までに相手が動けば苦戦を強いられることになる。

「兄上、外が気になるのか?」

 その言葉が自分に向けてかけられているのだと、気づくのと同時に強烈な悪意を感じ取る。
 目の前にいる第一王子――クロヴィスは心底楽しそうに笑っているのだ。

 嫌な予感が強まるが、こちらも負けじと微笑み返して隙を隠す。

「……殿下、お戯れを。私が兄だなんて、どうして仰るのですか?」
「演技はよせ。ここにいる誰もがお前の正体を知っているぞ、化け物めが」

 ああ、もう始まるようだ。
 レティから贈られた指輪に触れて気持ちを落ち着かせた。

「お前がいたせいで俺も父上も周りから疎まれてきた。お前が一番最初に生まれてきたせいで、お前が月の力を持っていたせいで、お前が周囲の人間に魅了をかけるせいで、俺たちは散々馬鹿にされてきたんだぞ! 能無し親子だと言われてな!」
「殿下、公には私に王位継承権があると知られていないはず。国民にそのように思われることはないのですから恐れることはありません」

 そう、事情を知らない者からは責められない。
 しかしそれは、お前たちの政治に非がなければ、の話だ。
 
 いまは事情を知っている数少ない人間から非難を囁かれているようだが、このまま横暴に振舞えば、いずれ国民からも後ろ指をさされる日が来ることだろう。

「それに、私の王位継承権などあってないようなもの。殿下たちご兄弟が憂うほどの力はない、ただの肩書です」
「うるさい! 落胤のくせに父上の慈悲を受けて生かしてもらっているのが気に食わないんだよ! 目障りなんだ! 今日ここで消えろ!」

 あれが慈悲だと?

 これまでになにをされてきたのか、この幸せ者の王子は知らないらしい。
 笑ってやりたいよ。
 都合のいい解釈で己の非を消すのは、父王によく似ている。
 脳無しと言われるのは、周囲の言葉に耳を貸さず己の気の向くままに振舞って周囲に尻ぬぐいさせているからだというのに。

 クロヴィス殿下は口元を歪めて勝ち誇ったような表情を浮かべる。

「ファビウス卿にはここで不慮の事故に遭ってもらう」
「やはり、そう言うことでしたか」

 ここで捕らえて、後は事故と見せかけて亡き者にすればいい。
 そうして例の魔術師の元に連れて行くつもりだろう。

 お前たちの好きにさせるものか。

守れ(エスキュード)

 防御魔法をかけて側近と騎士たちが引き抜いた剣を躱す。
 馬車の中では身動きがとれない上に、このまま別の馬車に乗っている仲間を呼んで取り囲まれては困る。
 どうやら走行中の馬車から飛び降りるしかないようだ。

 扉を開けて馬車の外に身を投げた。地面に落ちると体中が痛みを訴えているが、蹲る時間なんてない。

 先頭の馬車が停まれば次々と後続の馬車の扉が開き、騎士たちが出て来た。
 中には文官も剣を持っており、孤立無援の状態だ。

 全員を眠らせたらいいだろうか。
 
 候補の呪文を挙げていたその時、頭上を大きな影が通り過ぎて陽の光を遮った。

「クェェェェッ!」

 空からドラゴンの咆哮が聞こえてくるや否や、目の前を青い炎が走る。
 騎士たちから守るように放たれたその炎は地面を移動して形を変えていく。

 まさかと思って空を見上げると、漆黒の鱗をもつドラゴンが旋回して騎士たちを睨んでいるのだ。
 見紛うことはない。
 あれはアーテルドラゴンで、シーアの固有種だ。それがここにいるとなると、思い当たるのはあの一頭――ナタリスかもしれない。

 大きくなって顔つきが変わっているが、ノックスにいるアーテルドラゴンはナタリスしかいないはずだ。

「ファビウス卿、無事ですか?!」

 カスタニエ卿の声と、数多の馬の足音が聞こえてくる。
 振り返るとカスタニエ卿が仲間の騎士と魔術師を引き連れてこちらに向かって走ってきている。

 おそらく時間になってもこの馬車が通らなかったのを不審に思って探しに来てくれたのだろう。

「ええ、腕の一本は失うつもりでいましたが、あのアーテルドラゴンに助けられました」

 降り立ったアーテルドラゴンは緊張を解くことなく騎士たちに凄んでおり、敵も味方もナタリスの登場に驚いている。

「お前、ナタリスだろう?」
「フンッ」

 呼びかけたところで友好的な態度は取ってくれないが、逃げもせず攻撃も仕掛けてこないということは、恐らく協力するつもりでここに来てくれたんだろう。

 怖くないのか、カスタニエ卿もナタリスに近づいてしげしげと観察している。

「このドラゴンは……ノックスでは見たことありませんが迷い込んだのでしょうか?」
「いいえ、彼はレティの知り合いです」
「ドラゴンの知り合いですか! さすがはベルクール先生、気さくなお人柄なのでお友達が多いんですね!」
「……」

 この人は、善良すぎる性格が災いして騙されてしまわないか心配だ。
 今回のことだって、いくらビゼー卿からの説得があったとはいえ、自分に牽制をかけて来た男の手助けをするのだからお人好しにも程がある。

「カスタニエ卿、実行犯たちの捕縛と王都への搬送をお願いします」
「お任せください。私とビゼー卿で集めた先鋭たちが無事に任務を遂行いたします。ファビウス卿から頼まれたグリフォンを近くに待機させているので案内しますね」
「ありがとうございます……ナタリス?」

 カスタニエ卿について行こうとすると、ナタリスに尻尾で行く手を塞がれてしまう。
 そのままナタリスは目の前で身をかがめた。
 まるで、「背に乗れ」とでも言いたげな表情をして。

「どうしてそこまでしてくれる?」

 不思議に思って問いかけてみるとナタリスに鼻先で右手を叩かれた。硬い鼻先が当たるのは、例の呪術でできた痣。
 あの時の術でナタリスと繋がりができて危機を察知してくれたと言うのだろうか。

「あの時は一瞬でもお前の命を利用しようとして悪かった。……そう簡単に許されることではないとわかってる」
「クエェェェェ」

 そんなことはどうでもいいと言わんばかりに鳴いたナタリスは、身をかがめ、せっつくように睨みつけてくる。
 早く乗れと鳴いてくるものだから、促されるまま背に跨った。

「カスタニエ卿、僕はこのドラゴンに乗ってオリア魔法学園に向かいます。後で落ち合いましょう」
「ええ、どうかお気をつけて。ラングラン卿がいると思うので、よろしく言ってください」

 ナタリスが羽ばたけばあっという間に空にたどり着く。
 ドラゴンなら早く学園に着くかもしれない。国王が学園祭に来ると聞いてから、嫌な予感がしてならないのだ。

 逸る気持ちを抑えていた矢先に、レティに贈ったイヤリングの魔法石が壊れて守護魔法が消えていく感覚がした。
 体中の体温が一気に下がっていくのがわかる。

「オリア魔法学園まで連れて行ってくれ。最速で頼む」
「クェーッ」

 ナタリスはひと声鳴くと、グングンと速度を上げていった。