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 遠い昔、女神に仕える人間の男がいた。

 その男がどこから来たのか知る者はおらず、女神の末裔ともいわれていた。
 だれよりも魔力が強く、そしてだれよりも心優しいその男は世界中を渡り歩き、助けを求める声を聞きつけては手を差し伸べ、訪れる先の住民たちを助けてきた。

 そんなある日、世界各地で大きな戦争が起こり、苦しむ人々を目の当たりにした男は、己を無力だと嘆く。
 来る日もくる日も争いは続き、戦争に巻き込まれた人々を苦しみから救い出したいと願った男はとある夜、女神にとある頼みごとをした。

 私を国王にしてくれ、と。
 誰も傷つかない、平和で豊かな国を作り、人々の笑顔を守りたいと訴えた。

 すると女神はオリアの木の枝を地面に刺してこう告げる。
「闇夜を照らす月の力をお前に与えよう。その代わり、この地の真の平和と安寧を維持しなさい」、と。

 女神がオリアの木の枝を刺した場所からは光が溢れ、荒れ果てた大地だった場所は豊かな緑や美しい湖が広がった。

 その日からノックス王国の歴史が始まった。
 女神から力を与えられた男こそが、初代国王のグウェナエル・リュカ・ノックス。

 グウェナエルの元には戦争によって傷ついた人たちが集まり、彼の庇護を受ける代わりに忠誠を誓った。

 こうして宵闇の中で建国されたこの国は夜に満ちる魔力の恩恵を受けて、そして、グウェナエルから受け継がれてきた月の力に支えられて、今日に至るまで栄えている。
 







 最後のページは王冠を頭に載せて玉座に座るグウェナエルの肖像画が描かれている。
 この挿絵は以前ノックスに立ち寄った時に読んだ本と同じだが、市井に出回っている本とはちがって、王立図書館にあるこの本にはしっかりと月の力について書いてあるということは、やはりこの力のことは民に知られないようにしているのだろう。

「――美しい話だな。綺麗すぎて、子どもに聞かせるおとぎ話でも読んでいるようで退屈だ。お前もそう思わないか?」

 そう話しかけても、目の前にいるノックスの官僚は震え上がるだけでまともな言葉を話せていない。
 俺の姿を見ただけで物も言えぬほど怯えるくせに偵察に来ていたとは、ずいぶんと舐められていたのかもしれんな。

 まあ、本物の強者を見る機会がなかっただろうし、許してやる。

 平和主義の歴代国王といまの落ちぶれた国王の治世しか知らない輩からすると、さぞや俺の存在は恐怖でしかないだろう。
 おかげでここ、ノックスの王宮内にある図書館に案内させることができた。
 ノックス王国の建国神話が書かれたこの本こそが、いずれ切り札になる。

「おい、お前の王がなにをしようとしてるのか話せ」
「な、なんのことでしょうか? シーア国王陛下がお聞きしたいことを私は存じておりません」
「口を割らせるのは可能だが、自ら言った方がこの国とお前の家族のためだぞ。俺の手にかかれば、お前の家族なんて瞬きの間に呪える」

 こんなおとぎ話のような建国神話を語り継いできた国の現王が、全くの無能であるくせに他国を襲撃したのも、おめでたい国民たちは知らないだろう。
 しかし、この男は知っているはずだ。

「ノックス王の忠実な家臣よ、アレをどこにやった?」
「アレとは……? お、仰っていることがよくわかりません」
「俺の王宮に入り込んで監獄から連れ出したアレだよ。名を口にするのもおぞましい魔術師さ」

 己の知的好奇心を満たすためならどんな非道な手段も厭わない魔術師。
 先々代は利用できるからと言って自由にさせていたが、手のつけようがない狂人に頼るのは趣味じゃないとして父上が牢に放り込んでいた。

 それなのに数年前、牢が襲撃されてアレはいなくなった。
 父上の代から行方を追い続けていたが痕跡さえ掴めていなかった。

 しかし、異母弟スヴィエートの様子を見に行ったあの街で、確かに奴の魔力を感じ取った。
 おおよそ、自分が作ったあの霊薬を飲んだ人間がいるのを知って、興奮のあまり魔力の抑制が効かなかったんだろう。

 おかげでノックスにいるのがわかって、スヴィエートには感謝している。

「――にいます。そこで教師として暮らしています」
「フン、口封じをかけられているのか。忠実な家臣の割には存外信用されていないようだな」

 教師として過ごしているというならば、一つ思い当たる場所がある。
 オリア魔法学園。
 はたして王国随一の魔法学校に潜り込んだアレが大人しくできるのかは疑問だが、ノックス国王がなにかしらの意図で置いたに違いない。

「場所を言えぬのなら目的を言え」
「つ、月の力を、手に入れるためです」
「ファビウス卿を服従させる魔術をアレに編み出させると?」
「いえ、ファビウス卿から力を取り出して陛下に移植させるためでして」
「はっ。バカバカしい」

 ノックス国王よ、ついに血迷ったか。
 魔力の神聖な領域に人が触れてしまえば、ただではすまぬぞ。

「あの老いぼれはどれだけ私利私欲を満たせば気がすむ?」

 万が一、そんなことができてしまえば厄介なことになる。
 その前に早くアレを始末しよう。

 他国の手に渡った以上、放っておくわけにはいかない。

 それに――。

「俺はな、この国の王みたいに、弱いくせに地位だけは高い奴がふんぞり返っているのを見るのが嫌なんだ」

 我が国は実力主義であるからな。
 月の力も持たないそこそこの魔力しか持たない無能の王など、見ているだけで虫唾が走る。

 ここは一つ、ファビウス卿に力を貸してやろう。
 奴らが欲しがる月の力で滅ぼしてやるのもまた一興だ。