◇

「……なぜ、泣くんだ?」

 ノエルはそう言うと、壊れ物に触れるように優しく涙を拭ってくれた。

「馬車の中でも、好きだと言いながら泣いていたんだ。どうして泣く?」
「私の気持ちを知ったら、ノエルが離れていくような気がしたの。私の恋は、いつもうまくいかないから。ノエルといままでのようにはいられなくなるのが怖くて、悲しくて……馬車の中で泣いていたのはきっと、そのせいだと思う。でも、これは嬉し涙だから」
「心外だ。レティの想いを聞いて離れるような人間だと思われていたなんて、随分と見くびられていたようだな」

 怒ったような声でそう言うけど、優しく抱きしめてくれた。
 泣いている子どもをあやすように背中をトントンと叩いてくれる感覚に、情けないけど安心してしまう。

「レティ、ちゃんと聞いて?」
「聞いてるわよ」
「上の空になってないか確認しただけ」

 こんな状況で上の空になっていられるものか。
 そんな気持ちを込めて睨みつけると、ノエルは柔らかな微笑みを返してくれる。

「愛してる。何度でも言うから忘れないで。だれよりもレティを愛してると自信を持って言えるから、拒絶されるなんて思わないでくれ」

 ノエルの言葉が、胸を締めつけてくる不安を解いていく。
 一つ一つ解ける度に、ノエルを愛おしく思う気持ちが強くなり、胸が軋んだ。

 私の恋はいつだって上手くいかなかった。
 抱いた期待はいつだって打ち砕かれて、苦い気持ちのまま幕を閉じるしかなかった。

 だけどいま、ノエルは温かく気持ちを受け止めてくれて。
 想いが通じている実感にまだ慣れない私のために優しい言葉をかけてくれている。

 ノエルはなんだかんだ言って、私の意思を尊重しようとしてくれる心優しい人で。
 この人に大切にしてもらっている私は、世界で一番幸せ者だと思う。

「レティの気持ちを聞かせて。レティの気持ちが僕にないまま、愛してるだなんて言ったら逃げられてしまうと思って、ずっと我慢していたんだ」

 ノエルはずっと待ってくれていた。それなのに私はノエルに愛されていていることに、いまようやく気づいたのが申し訳なくなる。
 だから、もうノエルを待たせないように、ちゃんと気持ちを伝えたい。

「私も、ノエルが好き」
「愛してる?」
「ええ、愛してる」
「……幸せだよ」

 本当に幸せそうに微笑むノエルを見ると嬉しくて、また視界が滲む。
 するとノエルはまた涙を拭ってくれて、安心させるように頬を撫でてくれた。
 そんなノエルの優しさが心地よくて目を閉じる。耳に届く声が甘くて愛おしくて、胸の奥がたまらなく疼くのに任せてノエルを抱きしめた。

「いつ惹かれてしまったのか、正直わからないんだ。けど、レティが無茶をしてでも生徒のために奔走する姿や、僕にかけてくれる言葉が全て愛おしくて、気づけば『愛して欲しい』と思うようになっていた」

 過去を懐かしむような表情で話すノエルを見ていると、もしかしたら私よりもずっと前から好きになってくれていたのかもしれないと、図々しくも期待してしまう。

「レティが前世の記憶について明かしてくれた時、僕がどんなに非道なことをしようとしているのかもわかっていたのに、排除するんじゃなくて助けようとしてくれたのが嬉しくて、もっと惚れてしまったよ」

 ノエルは体を離すと床に膝を突く。長く綺麗な指で私の手を掬って、そっと唇をつけた。
 伏せられた瞼を見つめていると、ゆっくりと開いて、紫水晶のような瞳が私を見つめる。

「レティ、僕と結婚してください。これからも一緒にいて、僕が正しい道を歩めるように導いて欲しい」
「もちろんよ。私でよければ、ずっと傍にいるわ」
「レティがいいんだ。もう一度、気持ちを聞かせて」

 甘えるように上目遣いで見つめてくるノエルの眼差しに、胸の内に温かな気持ちが広がっていく。

「ノエルを愛してるわ。いままであなたの気持ちに気づけなくてごめんなさい」
「ずっと待たせた分、僕がレティを想う以上に愛してくれ」

 と、拗ねたように言うノエルに眼鏡を外されてしまった。

「レティ、目を閉じて」
「わかったわ」
「いまからなにをされるのか、本当にわかってる?」
「え、ええ。もちろんよ」

 躊躇いつつノエルの頬に手を添えると、ノエルは私の背中に手を回して引き寄せる。

 目を閉じると、唇にノエルの温かく柔らかな唇が触れた。

 軽く触れる唇にノエルの気づかいと愛情を感じる。
 小さく何度も触れてくれるのは、私が怯えないように気を遣ってくれているようで。
 そんな気持ちが愛おしくて私からも触れてみると、ノエルの唇が小さく弧を描くのが伝わってくる。

「レティ、愛してる」

 ノエルは宣言通り、私がノエルの気持ちを忘れないように何度も囁きながら唇を触れ合わせてくれる。
 少しずつ、重ねる時間を長くして。

 教会の鐘が鳴り響く音を聞きながら、ノエルの優しいキスを何度も受けとめた。

   ◇

 そんなこんなで休暇が明けて学園に戻ると、私よりも数百倍は恋愛の嗅覚が優れている生徒たちに私とノエルの変化を勘づかれてしまい、冬星の祝祭日の思い出話をするように何度もせがまれてしまった。

 休暇明けの変化と言えばそれくらいで。
 その他には特に変わったことはなく、シナリオを示唆するような出来事も起こらないまま、サラたちのオリア魔法学園での二年目の生活は、あっという間に終わってしまった。