【電子書籍化】このたび、乙女ゲームの黒幕と婚約することになった、モブの魔法薬学教師です。

 おそらくだけど二人とも私に気づいていないようで、しかもどうやら、私がいつもと違う髪型にしたから別人に見えてしまっているようだ。

「ファビウスせんせー、だれなんですか、その女は!」

 サラは威嚇する猫の如くフーフーと鼻息を荒くしている。

 あなたの担任なんです、と伝えるべく話しかけようとするも、サラの剣幕に押されて言葉を失ってしまう。

 こんなにも怒りを露にしたサラを初めて見て、戸惑ってしまった。
 いつもの明るくてマイペースなサラの面影が、全く見えないのだ。

「見損ないましたよ! バカ! 浮気者! 女たらし!」
「サラ、先生に対してその口の聞き方はいけませんわ」

 憤るサラを、隣に居るイザベルが窘める。けれどそのイザベルもまた、ノエルと私に非難めいた視線をお見舞いしていて。

 二人とも私のためにノエルに立ち向かおうとしているようで、戸惑いつつも内心ジーンと感激している。
 そんな状況の中、ノエルはというとなにやら考え事をしていて、「ふむ、」と一人で納得した声を漏らした。

「レティが髪を下ろすと気づかれないのは、もはや呪いなのか?」
「そうね、たぶんゲームにかけられた呪いよ。モブが目立たないようにするためにね」

 きっとこれは、一生消えない呪いなのかもしれない。
 この先何年も私は同じ髪型に同じ服装で生きなければならないのかも。
 それなら老けないようにしてくれるとありがたいんだけどな、なんて考えつつ、事態の収拾を試みる。

「リュフィエさん、セラフィーヌさん、私よ。今日は髪型を変えてみたのよ」

 話しかけてみるとサラの表情がみるみるうちに変わった。
 ぎゅっと固く結んでいた唇が、ぱかっと大きく開かれる。

「えっ?! その声は……メガネ先生?!」
「本当ですわ……まったくの別人に見えますのに声も仕草もベルクール先生ですわ」

 試しに片手で髪をゆるく纏めていつもの髪形のようにして見せると、サラとイザベルは文字通り目を真ん丸にさせて驚いている。

「メガネ先生だ?!」
「本当ですわ! 一瞬で姿を変えたようでしたわ」
「ええ~?! なんで?!」

 どうしてこうなるのかは、私も知りたいところ。それに、みんなの目には私がどんな風に映っているの見てみたいものだとも常々思っている。

「え~ん、良かった~! ファビウス先生、疑ってごめんなさい」

 サラは申し訳なさそうに深々とノエルに頭を下げた。すると、ノエルはふわりと笑って見せる。

「いいや、レティのために怒ってくれて嬉しいよ。けれど、これからも僕はレティ以外の人は眼中にないから、それだけは覚えていてくれ」
 
 と、言いながら眼差しを向けられるとまたもや胸が轟音を立ててしまうものだから、顔が熱くなる。
 サラとイザベルがきゃあっと声を上げると気恥ずかしくなって、思わず下を向いてしまった。

 そんなことを言われたら本当に、本当に、好いてくれているんじゃないかと、期待してしまうから落ち着かないわ。
 しかも、ノエルはなにを思ったのか、ごくナチュラルに頭にキスを落してきた。最近は息をするようにしてくるから慣れてきたけど、それでも人前でされると困惑してしまうもので。

「はいは~い! お邪魔虫たちは退散しま~す!」
「先生たち、良い休暇をお過ごしくださいませ」

 頭が覚束ないでいると、サラとイザベルはニコニコしながら手を振って立ち去ってしまった。
 せっかく見つけた二人を見失ってはいけない。後を追わなければ、と自分を律するために頬を叩く……けれど、ノエルが柔らかに髪を撫でてくるものだからまた思考がふにゃりと溶けそうになって泣きたくなる。

「レティが髪を下ろすとだれも気づかないのは不可解だが、この姿のレティを独り占めできるようで嬉しいな」

 独り占めと言われてしまうとまた心臓に悪く、ノエルの顔を見られない。
 
 確かに、髪を下ろしてもいつもと違う服を着ていても、ノエルは気づいてくれていた。どうしてかは、わからないけど。

 そういえば、ウンディーネも髪を下ろしている状態で会っても気づいていたわね。

「ノエルだけじゃないわよ。ウンディーネも気づいてくれたわ。二人にはなにか共通点があるのかしら?」
「……さあ、どうなんだろうね?」

 ノエルはそう言うと、髪を優しく梳いて、耳にかけてくれる。
 そっと顔を見てみると、バッチリとノエルと視線が絡み合ってしまった。慌てて視線を逸らそうとしたら、ノエルの手が頬に添えられて、次の瞬間、コツンと額同士を合わせられる。

 睫毛が触れ合うほどの距離にある紫水晶のような瞳に縫い留められたかのように、見つめてしまった。

「レティの顔、熱いね」

 くすくすと笑うノエルが動くたびに、ノエルの髪がさらりと頬を撫でる。
 それに加えて、耳に届くノエルの声が、甘く重く、胸の中を占めていく。 

「ち、知恵熱よ。それより、リュフィエさんとセラフィーヌさんの後を追うわよ!」

 それからサラとイザベルの後をこっそりとつけてみたけど、シナリオを示唆するような展開はなく、ただ穏やかな一日が過ぎた。

   ◇

「結局、収穫はなかったわね」

 王都から学園までの帰り道、馬車の中でノエルにそう零すと、ノエルの手がまた頭に触れてくる。
 指の腹でやんわりと撫でてくれる動きは、子どもをあやすような仕草に思えた。

「不穏な気配がなかったんだから、もう少し安心していいと思わないか?」
「……まあ、二人とも楽しそうにしていたから安心はした、けど……」

 バッドエンドになりそうな雰囲気は、なかった。
 もしバッドエンドになるのなら、それなりに匂わすような出来事が起こるから。

「ひとまずこの休暇ではなにも起こらないんだろう? それならレティには休息が必要だ。気を張ったままだと運命の日まで持たないから」

 労わるように触れてくれる手がただただ優しくて、ノエルが心配してくれているのが伝わってくる。
 このままノエルに寄りかかってしまいそうな自分がいて、意識を逸らすために必死で変身薬の作り方を頭の中で唱えた。

「今日は早く休んでくれ。明日の朝一番に、迎えに来るから」
「そ、うね。ノエルもしっかり休んでね」

 もう明日、か。
 期待と不安が混ざった気持ちでノエルを見上げると、ノエルもまた、私を見ていた。