放課後になって準備室に行くと、すでにノエルが来ていた。
扉の影に隠れて様子を窺う私に、「早く入っておいでよ」と呆れた調子で話しかけてくる。
そんな様子はいつも通りなんだけど、機嫌が悪いのは治ったのかしら?
「昼間みたいに機嫌が悪いかと思ったわ」
「あれはドルイユが授業をサボっていたから怒っていただけだ」
「ふ~ん?」
その割には私の名前を呼ぶ時の声が怒っていたけど?
喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。こちらとしても深入りして欲しくない話題だもの。ここは上手くスルーしよう。
大人しく準備室に入って椅子に座る。するとノエルが紅茶を淹れてくれた。
「熱いから気をつけて」
「ありがとう」
目の前に置いてくれたティーカップから立ち上る湯気はほんのりとスパイスの香りが効いている。この紅茶に使われたスパイスは、ノエルの同僚が他国に視察に行った時のお土産でくれたらしい。
「異国の香りがしていいわね。旅行気分を味わえるわ」
深く息を吸い込んで香りを堪能していると、ノエルがクスクスと笑いながら角砂糖を二つとミルクを入れてくれた。
顔を上げれば紫水晶のような瞳が柔らかく細められていて、そうやって見つめられているとなんだか心がむずむずとする。
ノエルから視線を外して紅茶を一口飲んだ。スパイスの独特な味とまろやかなミルクの混ざり合った紅茶は、後からじんわりと甘さが口の中に広がる。
同じように紅茶を飲んでいたノエルが「そういえば」と話を切り出した。
「旅行といえば、もう修学旅行が近いな」
「ええ、みんな楽しみにしているわ」
修学旅行は毎年、二年生のこの時期に行われる。
行き先はその年によって異なり、先生たちがその時々で選んでいるのよね。
「レティシアはどこに行ったんだ?」
「私の時はスティーリア山脈に行ったわ。オーロラの下で踊るジャックフロストを見たのよ」
「イエティも出る場所にいったのか……わりと命がけの修学旅行だったんだな」
「同行したグーディメル先生が光に包まれた大剣を持ってみんなを守ってくれていたから大丈夫だったわ」
「あの人はいったい何者なんだ?」
「……さあ、ナンデショウネ?」
前世の記憶を思い出すまでは私もグーディメル先生のことが謎だった。
ただの怖い先生だと思っていたけど、修学旅行で大剣を持つ先生を見た時にはただ者じゃないことくらいはわかった。
いまは知っているけどノエルに教えられるわけがない。だって、この世界でそのことを知っている人って王族と神殿の関係者くらいなんだもの。
だけどきっとこの先、彼との関わりが増えてくるとノエルも知るでしょうね。
とりあえず話題をグーディメル先生から変えよう。
ボロが出ては困る。
「ところで、ノエルはどこに行ったの?」
「アズール海だよ」
「あ、そう言えば、ノエルの伝説は聞いているわ」
修学旅行先で、とある生徒に魅せられたセイレーンや人魚たちが押し寄せて来たという話を学生時代に聞いたことがある。しかもセイレーンたちが歌い始めたせいで辺りは騒然としたとか。事態を収拾するために王国騎士団と宮廷魔術師団が出動して大変だったらしい。
ちなみに、私はその噂を聞いて初めてノエルの名前を知った。
前世の記憶を思い出す前までは、【ノエル・ファビウス】といえば人も魔獣も魅了する”魔性の貴公子”として把握していたのよね。
そんな魔性の貴公子は当時のことを思い出したようで、遠い目になる。
「あの時初めて人型の魔獣を恐れたよ」
顔を真っ蒼にするノエルを見ていると、当時の彼の苦労が忍ばれた。
ノエルは魔力が強いのに人型の魔獣を使い魔にしていないのは、そんな過去があったからなのかもしれない。トラウマってやつね。
「魔性の貴公子も大変ね」
「……まったく、どうして魅了されて欲しい人には効かないんだろうね?」
「なに?」
「なんでもないよ」
じっと見てきたかと思えば、なにやらぼそぼそと呟いている。最近のノエルはそういうことが増えてきた気がする。
探られているような視線を向けられているようで、もしかして【なつき度】が下がったのかもしれないと不安になるのよね。
ジルが優しくなったからノエルの【なつき度】は上がってるとばかり思っていたんだけど、それとこれとは別なのかしら?
いずれにせよ由々しき事態よね。
最後の攻略対象であるオルソンのイベントに差し掛かったのだから、クライマックスは確実に近づいているもの。悠長なことは言ってられない。
だけど、どうしたらいいのかしら?
まずはノエルに疑われないようにしないといけないわね。いままでは「信じて欲しい」と言ってきたけど、それだけでは伝わってくれないのかしら。
もしかして、こういうのって回りくどく伝えないで包み隠さずガツンと言ってみた方がいいとか?
いい作戦を思いついたわ。
その名も、【ハートにダイレクト☆アタック作戦】!
あえて本音をぶつけて信頼を勝ち取るわ!
「ノエル、私のことなにか疑っているでしょう?」
「いや、そんなことはない」
条件反射の如く否定されてしまったけど、ここまでは想定の範囲内だ。
「このところ、まるで探るように見られているのには気づいてるのよ。なにか疑われているような気がしてならないの」
「ずっと見ていたのは否定しないよ。レティシアのことが心配だから」
「そ、そう。だけど私はちょっとやそっとのことで怪我したりはしないんだから気にしないで」
ノエルは「でも、」と言って難色を示す。
「ノエルは私のこと信じられない? 大切な人から探るような視線を向けられるのは耐えられないものよ?」
「大切な人……レティシアは僕のことをそう思ってくれているのか?」
「ええ、当り前よ」
そう答えると、ノエルは手を伸ばして私の頬に触れる。
壊れ物に触れるように撫でられるとさすがに頬が熱くなった。ややあって、「第二の母として?」とノエルが訊いて来た。
顔を上げるとノエルは不安そうな顔をしているから。
「ええ、もちろん」
安心させようと思って母のように溢れる愛を込めて微笑みを向けると、なぜかノエルは大きくため息をついた。
「……それ、まだ続いているのか」
そのまま片手で目を覆って椅子の背もたれに体を預ける。
「どうしてこんなにも気づかないんだ?」
おまけになにか呟いているけど、あんまりにも溜息を吐くように言うものだから、上手く聞き取れなかった。
どうやら作戦は失敗のようね。
あとで原因を調べて改善策を練らないといけないわ。
扉の影に隠れて様子を窺う私に、「早く入っておいでよ」と呆れた調子で話しかけてくる。
そんな様子はいつも通りなんだけど、機嫌が悪いのは治ったのかしら?
「昼間みたいに機嫌が悪いかと思ったわ」
「あれはドルイユが授業をサボっていたから怒っていただけだ」
「ふ~ん?」
その割には私の名前を呼ぶ時の声が怒っていたけど?
喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。こちらとしても深入りして欲しくない話題だもの。ここは上手くスルーしよう。
大人しく準備室に入って椅子に座る。するとノエルが紅茶を淹れてくれた。
「熱いから気をつけて」
「ありがとう」
目の前に置いてくれたティーカップから立ち上る湯気はほんのりとスパイスの香りが効いている。この紅茶に使われたスパイスは、ノエルの同僚が他国に視察に行った時のお土産でくれたらしい。
「異国の香りがしていいわね。旅行気分を味わえるわ」
深く息を吸い込んで香りを堪能していると、ノエルがクスクスと笑いながら角砂糖を二つとミルクを入れてくれた。
顔を上げれば紫水晶のような瞳が柔らかく細められていて、そうやって見つめられているとなんだか心がむずむずとする。
ノエルから視線を外して紅茶を一口飲んだ。スパイスの独特な味とまろやかなミルクの混ざり合った紅茶は、後からじんわりと甘さが口の中に広がる。
同じように紅茶を飲んでいたノエルが「そういえば」と話を切り出した。
「旅行といえば、もう修学旅行が近いな」
「ええ、みんな楽しみにしているわ」
修学旅行は毎年、二年生のこの時期に行われる。
行き先はその年によって異なり、先生たちがその時々で選んでいるのよね。
「レティシアはどこに行ったんだ?」
「私の時はスティーリア山脈に行ったわ。オーロラの下で踊るジャックフロストを見たのよ」
「イエティも出る場所にいったのか……わりと命がけの修学旅行だったんだな」
「同行したグーディメル先生が光に包まれた大剣を持ってみんなを守ってくれていたから大丈夫だったわ」
「あの人はいったい何者なんだ?」
「……さあ、ナンデショウネ?」
前世の記憶を思い出すまでは私もグーディメル先生のことが謎だった。
ただの怖い先生だと思っていたけど、修学旅行で大剣を持つ先生を見た時にはただ者じゃないことくらいはわかった。
いまは知っているけどノエルに教えられるわけがない。だって、この世界でそのことを知っている人って王族と神殿の関係者くらいなんだもの。
だけどきっとこの先、彼との関わりが増えてくるとノエルも知るでしょうね。
とりあえず話題をグーディメル先生から変えよう。
ボロが出ては困る。
「ところで、ノエルはどこに行ったの?」
「アズール海だよ」
「あ、そう言えば、ノエルの伝説は聞いているわ」
修学旅行先で、とある生徒に魅せられたセイレーンや人魚たちが押し寄せて来たという話を学生時代に聞いたことがある。しかもセイレーンたちが歌い始めたせいで辺りは騒然としたとか。事態を収拾するために王国騎士団と宮廷魔術師団が出動して大変だったらしい。
ちなみに、私はその噂を聞いて初めてノエルの名前を知った。
前世の記憶を思い出す前までは、【ノエル・ファビウス】といえば人も魔獣も魅了する”魔性の貴公子”として把握していたのよね。
そんな魔性の貴公子は当時のことを思い出したようで、遠い目になる。
「あの時初めて人型の魔獣を恐れたよ」
顔を真っ蒼にするノエルを見ていると、当時の彼の苦労が忍ばれた。
ノエルは魔力が強いのに人型の魔獣を使い魔にしていないのは、そんな過去があったからなのかもしれない。トラウマってやつね。
「魔性の貴公子も大変ね」
「……まったく、どうして魅了されて欲しい人には効かないんだろうね?」
「なに?」
「なんでもないよ」
じっと見てきたかと思えば、なにやらぼそぼそと呟いている。最近のノエルはそういうことが増えてきた気がする。
探られているような視線を向けられているようで、もしかして【なつき度】が下がったのかもしれないと不安になるのよね。
ジルが優しくなったからノエルの【なつき度】は上がってるとばかり思っていたんだけど、それとこれとは別なのかしら?
いずれにせよ由々しき事態よね。
最後の攻略対象であるオルソンのイベントに差し掛かったのだから、クライマックスは確実に近づいているもの。悠長なことは言ってられない。
だけど、どうしたらいいのかしら?
まずはノエルに疑われないようにしないといけないわね。いままでは「信じて欲しい」と言ってきたけど、それだけでは伝わってくれないのかしら。
もしかして、こういうのって回りくどく伝えないで包み隠さずガツンと言ってみた方がいいとか?
いい作戦を思いついたわ。
その名も、【ハートにダイレクト☆アタック作戦】!
あえて本音をぶつけて信頼を勝ち取るわ!
「ノエル、私のことなにか疑っているでしょう?」
「いや、そんなことはない」
条件反射の如く否定されてしまったけど、ここまでは想定の範囲内だ。
「このところ、まるで探るように見られているのには気づいてるのよ。なにか疑われているような気がしてならないの」
「ずっと見ていたのは否定しないよ。レティシアのことが心配だから」
「そ、そう。だけど私はちょっとやそっとのことで怪我したりはしないんだから気にしないで」
ノエルは「でも、」と言って難色を示す。
「ノエルは私のこと信じられない? 大切な人から探るような視線を向けられるのは耐えられないものよ?」
「大切な人……レティシアは僕のことをそう思ってくれているのか?」
「ええ、当り前よ」
そう答えると、ノエルは手を伸ばして私の頬に触れる。
壊れ物に触れるように撫でられるとさすがに頬が熱くなった。ややあって、「第二の母として?」とノエルが訊いて来た。
顔を上げるとノエルは不安そうな顔をしているから。
「ええ、もちろん」
安心させようと思って母のように溢れる愛を込めて微笑みを向けると、なぜかノエルは大きくため息をついた。
「……それ、まだ続いているのか」
そのまま片手で目を覆って椅子の背もたれに体を預ける。
「どうしてこんなにも気づかないんだ?」
おまけになにか呟いているけど、あんまりにも溜息を吐くように言うものだから、上手く聞き取れなかった。
どうやら作戦は失敗のようね。
あとで原因を調べて改善策を練らないといけないわ。



