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 あの夢はきっとオルソンのイベントが起こるという予兆のはず。
 ゲームでイベントが起こったのもちょうどこの時期だったわ。

 たしか、ノエルがオルソンに揺さぶりをかけて、精神的に追いつめられたオルソンは修学旅行先で、シーアが作り出した禁忌の薬を飲んでしまう。その薬の効果は恐ろしく、飲めば人ならざるものに姿を変えるのだ。
 薬のせいで身も心も人間らしさを失ったオルソンは暴走して、王国騎士団に討伐されそうになる。

 ゲームではそんなオルソンをサラが光の力で戻してあげていたけど、戻せる方法があるからといって見過ごすわけにはいかない。あんなイベントを起こすつもりはないわ。

 なにがなんでも、オルソンが薬を飲むのを防ぐしかないわね。

 とはいえ、いまのノエルがオルソンを追い詰めるようなことをするとは思えないけど……。それでもこの世界はイベントを起こそうとするはずだから、オルソンの様子を探って対策をとるしかない。

 大丈夫、ディディエのイベントを防げたのだからオルソンのイベントだってどうにか阻止できるはずよ。

 そうと決まれば後は行動あるのみだ。オルソンがいそうな場所はゲームのおかげで知っているから、順に当たってみれば出会えるわよね。

   ◇

 ひとまず図書館の前に行ってみた。
 たまに木の上で眠っているけど、いまはいないみたい。

 続いて中庭。
 ここで女子生徒をナンパしている描写があるんだけど、行ってみたけど誰もいなかった。その代わりに、校舎の中にいるグーディメル先生と目が合って心臓が止まるかと思った。

 残りは庭園ね。
 踵を返して歩き始めると、ジルがじっとりと睨めつけてくる。

「おい、小娘。さっきからウロウロとしてどこに行くつもりだ?」
「散歩よ」
「次は授業があるのにそんな暇なんてないだろ」
「そ、そうだけど気分転換も大事なのよ」

 よもやオルソンに会おうとしているだなんて口が裂けても言えない。オルソンの担任でもない私が必要以上に関わろうとすれば、さすがに怪しまれるもの。
 オルソンはノエルが手を貸している敵国のスパイだから、私が下手なことをしないか目を光らせていると思うわ。

 ただ、このことについては釈然としない点がある。例えば、この世界のノエルがシーアに協力してオルソンを潜り込ませたこと。
 ロアエク先生は生きているのにシナリオ通りになったのは、抑止力のせい……だと思いたい。

 しかしそうだとしたら今度は疑問が浮かぶ。

 ノエルはどうして、シーアに手を貸しているの?

 この疑問はときどき思い出しては心に影を落とす。
 毎日一緒に紅茶を飲んでいるノエルが、私の前では本心を隠しているだけでゲームと同じような計画を立てていたらどうしようかと、不安になることもあるのだ。

 そんなことを考えながら庭園に辿り着くと、オルソンはベンチで昼寝していた。

「あら、ドルイユさん。こんな所でなにしてるのかしら?」

 たぶん、私の気配を察知してもう起きていることだろう。
 それでも眠ったふりをしているオルソンに声をかけてみると、うっすらと瞼が開いて、海のような深い青色の瞳が現れる。

「レティせんせこそなんでここにいるの?」
「散歩よ」
「ふーん? なんでもいいや。レティせんせに会えて嬉しいなぁ」
「あらそう。喜んでくれるのはいいけど、あなたがいましているのは立派なサボリよ。弁明することはある?」
「んー、ない」
「そこまで潔いともはやすがすがしく思えるわね」
「わ~い、褒めてもらえて嬉しい」
「褒めてないわよ」

 こんな他愛もない会話なら、前世の教え子たちともしたことがある。もし私がなにも知らなかったら、いま目の前にいる彼は他の生徒たちと変わりなく見えた事だろう。
 けれど彼が抱える問題はこれまでの経験を合わせてみても出会ったことがないくらい大きくて、どう声をかけてあげたらいいのか、明確な答えはまだ得られていない。
 それでも探している暇なんてなくて、とにかく目の前のオルソンを見て、彼に必要な言葉を探すしかない。

「それより、いつか聞ききたいと思っていたの。ドルイユさん、最近はどう? 学園には慣れた?」
「なれたよ。可愛い女の子がいっぱいいるし、素敵な先生がこうやって話しかけてくれるから毎日楽しい、かな」
「……充実していてなによりだわ」

 へらりと笑ってみせるオルソンは一見するとなにも思い詰めていないように見えるけど、彼もまた感情を隠すのが得意だから本心からそんな顔をしているのかはわからない。

「もし悩むことがあったり辛いことがあったらいつでも話してね。あなた、そういうの隠しそうだから」

 隠しそうだから、というより隠しているのを知っているからそう言わせてもらうんだけど。
 すると、オルソンの笑顔が一瞬だけ剥がれた。ドキリとして見守る中、彼は手を差し出してくる。

「手、握って」
「手を?」
「うん、寂しいから握って」

 青い瞳は私の出方を窺うようにじっと張りついている。
 試すようなことをしているけど、寂しいと言うのは本心だろう。オルソンは親に顧みられることなく育ち、実の兄に虐げられてこの国に潜り込むことになったのだから。

 そんなオルソンを安心させたくて、その手を両手で包みこんだ。

「大丈夫よ、みんながそばにいるんだから」
「……みんなとかいなくていい」
「へ?」

 ぽそりと呟いた言葉が上手く聞き取れずもう一度聞こうとすると、突然、背後からひやりとした冷気を感じ取った。

「レティシア、こんなところでなにしている?」

 続いて低く穏やかな声が聞こえてくる。心地よい声音のはずなのに聞こえてくると身がすくんでしまう。振り向くとノエルが腕を組んで立っていた。どこから聞かれていたのかはわからないが、私とオルソンの会話を立ち聞きしていたらしい。

 ピシッと固まる私をよそに、オルソンは唇を尖らせて抗議する。

「せっかくレティせんせの方から話しかけてくれたのに邪魔しないでくださ~い」
「へぇ? そうなんだ?」

 ノエルがにっこりと微笑んだその刹那、ビリッと稲妻が走って庭園の木を焼いた。
 今日のノエルはたいそう機嫌が悪いらしい。いや、私がオルソンに近づいたから警戒しているのかもしれないんだけど。

「ノノノノ、ノエル。なにかあったの?」
「特にはないけど?」

 笑顔だけど禍々しいオーラを背負っている。

 今日はノエルが授業に来る日ということをすっかり忘れていた。
 わかっていたら慎重になれたものを。

 絶体絶命のピンチかと思いきや、幸運なことに予鈴が鳴ったから、それを理由にしてその場を逃げた。オルソンとノエルの背を押して校舎に戻るように急かす。

「も、もう次の授業が始まるから行くわよ!」
「……ああ、」

 ノエルはまだ不服そうだけど簡単に逃がしてくれた。
 女神様と時計塔の番人には、感謝するしかない。