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 魔法競技大会を終えた生徒たちを労うための盛大な宴が終わると夜も更けていた。
 仕事を終えたレティシアを寮に送るなか、レティシアはいつもに比べて口数が少なく、一言二言交わせばすぐに沈黙が訪れる。

「……怒ってる?」

 目立つのを好まないレティシアが大勢の好奇に晒されることになってしまったのは申し訳なく思う。その一方で、レティシアの方から頬にキスしてくれたのが嬉しかった。

「怒ってないわよ」

 否定してくれているが、声は拗ねているのを隠せていない。先ほどの夕食会でもさんざんからかわれてしまったに違いないだろう。

「ノエルには感謝しているもの。おかげでクラスが優勝することができたし、それに、障害物競走の後では生徒たちを上手く宥めてくれたから……ありがとう」

 口ごもりながら伝えてくれる気持ちは温かく、触れるとたまらなく彼女を愛おしく思う。

「それなら我儘を言っても許される?」
「へ?」
「第二の母上とやらはなんでも我儘を聞いてくれると言っていたが?」
「え、ええ、そうだったわね」

 どうしていまごろその話題を出すのかとでも言いたげだ。
 いまこそが最高の頃合だと思うからだよ。大勢の前でも頬にキスできるくらいまで踏み込んでくれたいまなら、聞いてくれそうな予感がする。

 そんなずるい考えを悟られないように隠した。

「もう一度頬にキスして」
「だっ、な、なんでそうなるのよ?!」 
「眠る前の挨拶でしてくれたら悪夢を見ないと思うからさ」
「そんなおまじない聞いたことないわよ」

 案の定、レティシアは狼狽えたけど、「約束を破るわけにはいかない」と何度も自分に言い聞かせていた。顔を赤くしたり青くしたり、思い悩んでぎゅっと目を閉じたり。せわしなく変わる表情を見守っているとついにレティシアは意を決したようで承諾してくれた。

「いくわよ」
「どうしてそう力むの?」
「い、いいからかがんで」

 言われたとおりにするとレティシアはそっと顔を近づけ、小さく声を漏らして動きを止めるとメガネを外した。

 初めて、レティシアの素顔を見た。

 なににも阻まれずに見る瞳は真っすぐで強い意志を宿していて、惹きつけられる。おまけに月明かりが照らす滑らかな頬には睫毛の影が落ち、その繊細な陰影が神秘的な空気を醸し出している。
 メガネを外して視界が悪いのか、視線が合わなくてひどく心が焦れる。こっちを見て欲しいと駆られている間に、皮肉にも彼女は目を閉じて、そっと唇を押し当てた。昼間とは違い、軽く触れるように。

 まるで凪いでいた湖に石を投げ入れた時のような波紋が胸の内に広がり、ひどく心をかき乱された。
 
「レティシア、他の人の前ではメガネを外さないように」
「なぜゆえ?!」

 その素顔を見るのは僕だけでありたい。
 彼女の秘密を独り占めしたい、と我儘にも思ってしまった。

   ◇

 レティシアの部屋の明りが消えるまで見守った後に邸宅に戻ると、執事が迎え出てくる。上着を預けながら、変わったことがなかったか尋ねた。

「特にございませんでしたが……坊ちゃん宛てにベルクール家から手紙がきています。子どもの字だったのでいたずらかと思っていたのですが、裏面にはちゃんとベルクール家の封蝋が押されていました」
「子どもの字?」

 お義父様やお義兄様は二人とも綺麗な字を書いている。子どもの字と言わせるような崩れた文字ではないはずだ。

 部屋に行くと机の上に(くだん)の手紙が置かれていた。ナイフで封を開けた中には便箋が一枚と小さなカードが一枚入っている。
 カードはお義兄様が書いたものだった。息子のエメがどうしても伝えたいことがあるそうで、どうか読んでやって欲しいと書いている。

 これはエメからの手紙だ。
 意外な送り主の名前を告げられて、思わず笑ってしまった。

 便箋に並ぶ文字は幅が不揃いで右肩上がりになっているが、綺麗に見せようと懸命にペンを握って書いたのが伝わってくる。心をこめて丁寧に書いてくれた、果し状だ。

 この前はいきなり怒鳴って悪かった。我ながら大人げなかったと反省する。早くレティシアに見合う大人になるから、決闘してどちらがレティシアにふさわしいか決めよう。そう書かれていた。

「悪いけど譲れないよ。君を待たずに僕がもらう」

 卑怯者だと言われてもいい。
 大人げないと言われてもいい。

 レティシアはだれにも譲るつもりはないのだから。

「君より先に、大人として認めてもらうよ」

 口にしたところで苦い気持ちになる。
 第二の母を名乗って溢れる愛を与えてくれる。そんな彼女の隣は居心地がいいが、もっと先に進みたい。

 息子ではなく未来の夫として見られるように。

「エメ、笑えるだろう? どうやったらレティシアに大人に見てもらえるのか、大人の僕でもわからなくて手探りなんだ」

 それでも一つ一つ、まわり道だとしても確実にその地位を確立していくつもりだ。
 だからレティシア、覚悟しておいてくれ。