【電子書籍化】このたび、乙女ゲームの黒幕と婚約することになった、モブの魔法薬学教師です。

「せんせ、どうしてここにいるの?」
「モーリアさんを探していたのよ。ドルイユさんこそ、どうしてここに? 次の種目に参加する時間じゃないの?」
「いまは障害物競走だから俺は出なくていーのっ」

 障害物競走はカッコよく見せられないから出たくないと言って断ったらしい。
 オルソンがそう言った時のグーディメル先生の表情は易々と頭の中に思い描ける。きっと般若のようになって「下らん理由で辞退するな!」と怒鳴ったことだろう。

 可笑しくて笑ってしまった。

「レティせんせ、とっても嬉しそう。なにかあった?」
「ええ、いいことがあったのよ」

 なんせいまはディディエから嬉しい言葉を聞かせてもらえたところだから。イベントが起こるかもしれないからまだまだ油断はできないけれど、どうしても頬が緩んでしまう。
 私のクラスになれて良かったと生徒たちから言ってもらえるのは前世でもこの人生でもこの上なく嬉しいことで、教師をしていて良かったと心から思える瞬間だ。

 ディディエが言ってくれた言葉を思い出していると、オルソンが口をへの字に曲げて見せてきた。

「俺はどうしたらレティせんせを喜ばせられる?」
「え?」

 思いがけない質問に驚いて固まってしまう。
 オルソンに女たらしの設定があるにせよ、こんなモブをわざわざ構う必要なんてないのに。またからかっているのかしら?
 だけど、冗談や彼なりの社交辞令で言うにしてはひどく切迫したような顔をしていて、ゲームで知った彼の過去を思うとつきんと胸が痛くなる。

 きっと彼はゲームの中と同じ過去を歩んでここにいるのだろうから、寄りかかる相手もいなくて不安なのに違いない。オルソンは、自分を必要としてくれる人を求めているから。
 わかっていても、無敵の力を持つヒロインでもなんでもない私はすぐに助けてあげることはできない。くやしいけれどそれが現実だ。

 だから気休めと思われるようなことしか言ってあげられないけれど、味方でありたいという気持ちは知っていて欲しい。

「あなたが自分の歩む道を見つけて、幸せになっている姿を見せてくれたら嬉しいわ」

 呪縛から解放されて幸せな未来を掴んで欲しい。シナリオなんかに悲しい運命を背負わされることなく生きていて欲しいのだ。
 
 するとオルソンは力なく頭を横に振った。
 
「違う。そんなことじゃない」

 押し殺した声でそう言っているのに、目の前のオルソンは微笑んでいる。その様子がちぐはぐで、違和感を覚えた。
 どう声をかけたらいいのかわからず困惑していると、オルソンの視線がちらと私の背後に向けられる。

「……やっぱ邪魔だな、あいつら」

 オルソンが小さく呟いた言葉が聞き取れず聞き返そうとしたところ、背後からサラの声がした。

「あーっ! メガネ先生こんなところにいたーっ!」

 その直後、ズドンと衝撃を受ける。振り向くとサラが背中にぴったりとくっついており、身動きがとれないくらいしがみつかれてしまった。

「ファビウス先生が探しているので来てください。急がないと巻き返せませんよ」

 アロイスもやって来て、苦笑しつつ手を差し伸べてくれた。サラと一緒に探しに来てくれたようで、セザールとフレデリクとディディエに、イザベルも現れる。

「えっと、どうしてファビウス先生が探しているのかしら?」
「借り物競争ですよ。ベルクール先生が来ないとファビウス先生は動けませんからね」

 そう言って王子様の如く(本当に王子様なんだけど)エスコートしてくれるアロイスに連れられて競技場へと向かった。

   ◇

 熱狂した声援に包まれる競技場に着くと、そのままノエルの元に連れていかれる。
 
「やっと来た」

 ノエルは顔を合わせるなり、ホッとした表情になって私の手を取った。反対側の手には、彼が引いたくじの紙を持っている。折り畳まれているから、書かれている内容がわからない。
 
「紙になんて書いてあったの?」
「なんて書いてたと思う?」
「質問で返さないでよ。こっちはわからないから聞いてるのに」
「後でわかるよ」

 こんな具合にのらりくらりとかわされる。別に教えたってルール違反にはならないのに。
 少しばかり生まれた不満を漏らしてみたけど、眉尻を下げて見せてくるだけでちっとも教えてくれなかった。

 しかたがなく諦めてノエルに手を引かれるままに魔法で作られた湖や森を抜けていくんだけど、いかんせん日ごろの運動不足が祟って息が上がってくる。足がもつれそうになるとノエルが受け止めて倒れるのを防いでくれた。

 そんな私を見て、一緒について来たジルが「ポンコツめ」と罵ってくる。言い返してやりたいところだが、息をするので精一杯だ。
 急に出場することになったんだから私は悪くないはず。こんなことになるとわかっていたら事前に体力づくりくらいしていたわよ。そんな気持ちを込めて睨んだ。

 ノエルは私の息が整うのを待ってくれていたけど、司会を務めるブドゥー先生のアナウンスが聞こえてくると焦りを見せた。

「しかたがない。つかまってて」

 なににつかまるのかと問いかけるよりも先に持ち上げられて脚が宙を浮く。ノエルに抱きかかえられているんだと、状況を理解して一気に顔が赤くなった。それと同時にあちこちからきゃあっと歓声が上がって、続いて冷やかしの口笛も飛んできて追い打ちをかけてくる。

 しかもトドメの一撃でフォートレル先生が「いいね~! 見せつけてくれるねぇ~!」なんて煽ってくるものだから恥ずかしくてならない。頭が熱くなりすぎて、卵を割ったら目玉焼きでも作れそうだ。

「ま、待って!」
「待ってられないよ」

 降りようとジタバタと藻掻いてみても驚くほどどうにもならない。それどころか、危なげなくしっかりと支えられている。
 ノエルは器用にも私を抱きかかえたまま障害物を越えて、最後に箒に二人で乗ると全速力で飛ばして先頭を走っていた生徒を追い抜かした。すると会場の盛り上がりは最高潮になり、大きな拍手が湧き起こる。

 そのままノエルは空中のステージに立っているブドゥー先生の周りをくるりと旋回してからステージの上に降り立ち、続いて私も降ろしてくれた。

 ブドゥー先生もまた観客たちと同様にニヤニヤして見てくるものだからいたたまれない。
 
「さて、その紙に書かれているものを教えてください」

 ノエルは手に持っていた紙をブドゥー先生に渡す。

「”大切な人”です」

 なぜかこちらの目を見てそう答えた。いまから愛の告白でも始まりそうな雰囲気にのまれて、心臓が早鐘を打つ。しっかりしろと自分に言い聞かせて立て直したところで、今度は観客たちによるキッスコールが始まってまたもや心臓が大きな音を立てる。

「やるまで終わらなさそうね。ちゃっちゃと見せつけてあげなさい」

 それに加えて、困惑している私の気持ちなんてまったく知らないブドゥー先生が爆弾を投下してくる。

「い、いやいやいや。生徒たちの前でするのは教育上よろしくないでしょう?!」

 ねぇ、とノエルに同意を求めたのに、ノエルは微笑みを浮かべて両手を握ってくると。

「ブドゥー先生の言う通りだよ。恥ずかしがらないでいつもみたいにしたら大丈夫」

 とまあ息をするように嘘をついてくれる。否定しようと口を開けると、ノエルはそっと耳元で囁いてきた。

「みんなは恋愛結婚だと思ってるんだから、合わせないと不自然でしょ?」

 私とノエルは恋愛結婚。その設定にこんなにも追いつめられることになるだなんて、あの時は想像すらつかなかった。

「……わかったわ」

 こうなったら腹を括るしかない。
 全ては生徒たちのため。
 もっと言えば、アロイスをバッドエンドから守るため、ノエルの婚約者役を完璧に演じるしかない。

「い、いくわよ……!」
「待って。なにか勘違いしている気がする」

 ノエルが「合わせろ」と言ってきたくせに止めてくる。なにが勘違いなのかさっぱりわからないけど、そんなことを気にしている場合じゃない。いままでに経験したことがないこの空気に、これ以上耐えられないもの。

「待たない! 口から心臓吐きそうなくらい緊張しているんだから!」

 そのまま勢いに任せて伸びあがり、ノエルの頬に唇をつける。勢いがついて押しつけるようにしてしまった上に、メガネがノエルに当たってしまって散々だった。客席からはブーイングが飛んできて、頭の中が混乱する。

「やっぱり勘違いしてた」

 ノエルもまた咎めるように言ってくるけどその表情は柔らかくて、ずれたメガネをそっとかけなおしてくれた。
 ありがとう、とお礼の言葉を口にしたのに最後まで言えなかった。ノエルの紫水晶のような瞳が本当に目と鼻の先ほどの距離にまで近づいて、その綺麗な色の瞳に目を奪われているとノエルの唇が唇のすぐ近くに触れた。

 先ほどまでのブーイングは一転して、歓声が聞こえてくる。
 なにが起こっているのかわからず目を瞬かせていると、ブドゥー先生がやれやれと肩を竦めた。

「客席からだと本当にキスしているように見えるでしょうね」

 まるで聞きわけのない子どもを見るような眼差しを向けてくる。

「大勢の前では恥ずかしがるベルクール先生のためにファビウス先生が配慮してくれたんだから、この後はちゃんと応えてあげなさいね?」

 応えるって、なにを?
 訊ねる前にノエルに連れられ客席に戻ることになった。客席に戻ってからも冷やかしは止まず、しばらく競技場の柱の陰に隠れていた。

 そんなこんなでいろいろあったけど、ノエルの頑張りもあって、私のクラスは優勝することができた。
 生徒たちが飛び上がって喜んでいる姿を見ていると心の中にあった羞恥心も不満もちょっぴり薄れて、いい魔法競技大会だったな、と感慨深く思う。

   ◇

 魔法競技大会のある日は一日中お祭り騒ぎだ。そのため、晩餐会のような夕食を終えて寮に戻る頃には体力が限界を迎えており、だらりとベッドに倒れ込む。

「はあ、クタクタだわ」
「やい、小娘。あれしきの運動で音《ね》を上げるなんて情けないぞ」
「気づかれもあるのよ」

 ディディエのことでずっと心配していたもの……。
 心の中で反論して気づいた。私は魔法競技大会でディディエの魔力が暴走するのを阻止しようとしていた。それなのに、なにごとも起こらずにこうして夜を迎えている。

「イベントが起きなかった……!」
「なにを言ってるんだ?」
「なんでもいいのよ!」

 嬉しさのあまり、ジルを抱き上げてくるくると回る。
 イベントを阻止できた。その達成感はなかなか冷めやらず、ミカに止められるまでぐるぐると回り続けた。



 できることなら、この時の私を叱り飛ばしたい。すっかり浮かれてしまっていて、恐ろしい可能性なんて考えてすらいなかった。

 歯車をかけ違えた物語は、黙ってくれてはいないのだから。