【電子書籍化】このたび、乙女ゲームの黒幕と婚約することになった、モブの魔法薬学教師です。

   ◇

 オリア魔法学園には魔法競技大会と呼ばれる行事がある。
 生徒たちが魔法の技術を競い合う日で、学園内にある競技場で開催される大規模な行事だ。

 生徒たちはこの日のために魔法のコントロール力や瞬発力を磨き、自分たちのクラスが優勝できるように全力で挑むのである。
 そんな生徒たちが輝ける舞台を用意するのが教師たちの仕事で、夏季休暇の終盤から会場づくりに勤しんでいた。
 魔法で大きな滝を作ったり、魔術で移動地点を作ったり、と魔法世界ならではの仕掛けが満載のテーマパークみたいな会場だ。

 そして今日、ついに本番を迎えた。

「はぁ……」

 魔法競技大会での出来事のことを考えると、朝から不安と憂鬱が織り交ぜられた気持ちに悩まされる。
 いつもは生徒たちの活躍を見るのが楽しみだったけど、今年はこの行事の最中にディティエのイベントが起こるとわかっているから不安で憂鬱なのだ。

 ディディエの様子を見た限りではイベントは起こらなさそうだけど、これまでの経験から、この世界はきっと何とかしてでもゲーム通りのイベントを起こそうとするはず。そうとなればバッドエンドになりそうな要因を排除したいけれど、なによりもまず、ディディエが苦しむ姿を見たくないという気持ちの方が遥かに強い。

 ゲームでは、魔力を暴走させていたディディエがとても苦しんでいたもの。

「はぁ……」

 現実逃避で布団の中に潜り込んだら、意外にもジルがそっと顔を覗き込んできた。いつもなら、「やい、小娘! さっさと支度しろ!」って言ってくるのに。

「どうした、小娘。具合が悪いのか?」
「ううん、ちょっと憂鬱なだけ」
「また悪夢を見たのか? あの若造が調子に乗っているようだな」

 ジルは眉間に皺を寄せてふんふん唸っている。
 私のためにダルシアクさんを怒ってくれているみたいだけど、面白いほど迫力がなく、むしろかわいらしい。思わず頬が緩んでしまった。けれど、ここはダルシアクさんの名誉のためにも否定しておこう。

「いいえ、夢を見ないくらいぐっすり眠ったから大丈夫よ」

 そう、夢ではなくて、これから起こるかもしれないイベントのことが不安で仕方がないのだ。きっと大丈夫だと自信が持てたらいいけど、自分でもらしくないと笑いたくなるほど弱気になってしまう。

 すると、ジルがいきなり掌に頭をぐいぐいと押しつけてきた。まるで猫が甘えてくるような仕草で、ジルの方からこんなことをしてくれるなんて珍しい。

 困惑する気持ちと、嬉しくて抱きつきたくなる気持ちが半分ずつ、心の中を占めている。きっといま、人には見せられない顔をしていることだろう。自分でもわかるくらい、顔の筋肉が緩んでしまっているんだもの。

 そんな私であるのにも関わらず、ジルは真剣な顔つきになって、私の手の上に前足を置いた。

「小娘、一人で抱えるなよ」
「……えっ?」

 こんなにも優しくてデレデレなジルは見たことがない。頭をぶつけてしまったのだろうかと不安になる。
 ひとまずジルを安心させなければならないと思って微笑んで見せると、ジルはぷいっとそっぽを向いた。
 
「思い詰めているように見えるぞ。小娘のくせに」
「最後のは余計よ」

 結局いつもの調子に戻ったけど、その後、朝食のために食堂に向かう最中もずっと、ジルの気遣わしげな眼差しを感じ取っていた。

   ◇

 魔法競技大会は開幕してから順調に進んでいった。

 私のクラスはディディエのさりげないサポートに助けられて、ぐんぐんと順位を伸ばしている。優勝も間違いないかもしれない、と期待する声もちらほら聞こえてくるようになった。

 そんな中、ふと気づくとディディエの姿がなかった。
 近くにいた生徒に聞いてみると、気分転換したいから風に当たってくると言って一人でどこかに行ってしまったらしい。

 ざわりと不安が押し寄せてきた。
 
 今朝のディディエは笑顔だったけど、もしかしたら不安を抱えているのかもしれない。それとも、魔力のコントロールが上手くいってなくて体調が悪いのだとしたら、どうしよう?

 夢中になってディディエを探していると、図書館の前にある木の根元に腰かけているのを見つけた。息を整えてから、声をかけてみる。

「体調は大丈夫?」
「あ、大丈夫、です」

 慌てて立ち上がったディディエを宥めて座らせた。
 競技場から抜け出したのを怒られると思っているのかもしれないから、安心させるためにも彼の隣に座ってみる。

「モーリアさんのおかげでうちのクラスはいい順位になっているわ」
「ぼ、僕の力じゃありません」

 みんなのおかげですから、と言ってはにかむように笑う。
 そんなディディエにつられてしまったのか、気づけば私も微笑んでいた。

「先生、休暇中に領地に連れて行ってくれて、本当にありがとうございました。どう感謝したらいいのかわかりません」

 顔を赤くして照れ臭そうな表情を見せながらもお礼を言ってくれる。そして驚くことに、ジスラン様と交流があることを教えてくれた。
 あの時、ジスラン様から騎士団での治癒師の仕事を聞いたことが、やはり彼に大きな影響を与えたようだ。 

「ふふ、お礼なら出世して返してちょうだい」
「頑張りますね!」

 両拳を握って勇んでみせるディディエには以前のようなか弱さはなく、年相応の頼もしさを感じた。

「そろそろ、みんなのところに戻りますね」

 ディディエはそう言って立ち上がると、なにか悩んでいる素振りを見せるや否や、パクパクと口を開けたり閉じたりしている。
 どうしたのかと訊きたいのを堪えて、彼が話してくれるのを待ってみると。

「いままでは、みんな僕のことを見ると不安がっているように見えて、踏み込むことができませんでした」

 彼はそう切り出した。

「いつ暴走するのかもわからない、魔物のような僕なんかのそばには誰もいてくれないと絶望していました。それでも、フレデリクや、先生や、リュフィエさんたちに出会ってその考えが変わりました。みんなは僕の力ではなくて、僕自身を見てくれていたから。それに、力をコントロールできるように信じてくれているから、頑張ってこられました」
「そう気づいてもらえてよかったわ」

 私たちが信じているのだと、ディディエの方も信じてくれないと、気持ちは一方通行になってしまうから。

「先生のクラスになれて本当に良かったって、心の底から思っているんです」

 ディディエはそう言うと、恥ずかしそうに顔を赤くして競技場に戻っていった。


「ふう、大丈夫そうでよかったわ」


 心配して声をかけたけど、ディディエが以前よりも逞しくなった姿を見れて安心した。すると力が抜けてしまい、木の幹にもたれかかる。そんな私を見て呆れたのか、ジルが渋い顔をして膝の上に乗ってきた。 

「小娘、お前はいちいち生徒たちに過保護すぎるぞ」
「そんなことないわよ。生徒たちの心に寄り添うのも私の仕事なんだから」

 ジルとそんな軽口を叩き合っていると、ざく、と地面を踏みしめる足音が聞こえてきた。見上げると、オルソンがこちらに向かって近づいてきている。

「あれっ、レティせんせがこんなところにいる」

 彼はあざとく首を傾げると、嬉しそうに顔を綻ばせた。