【電子書籍化】このたび、乙女ゲームの黒幕と婚約することになった、モブの魔法薬学教師です。

 生徒たちを送ったら応接室においでとお兄様から言われていたから、ノエルと一緒に向かった。
 応接室へ行くと、お父様とお母様、お兄様夫婦、そしてジスラン様が歓談している。エメはもう寝かせたみたい。

「待ってたよ。大人たちで少し話そうではないか」

 お兄様は嬉しそうに微笑み、グラスを渡してくる。

「私はよしておくわ。お酒は飲まないと決めてるの」
「レティは酔っぱらって階段から転げ落ちちゃったもんね~」

 笑顔で痛い思い出を蒸し返してくれたわね。それも、みんなが揃っている場所で。

 なんてことを言ってくれたんだと恨みたくなる半面、あの時にお兄様にかけた心配の数々のことを思うと、申し訳ないという気持ちも現れてくる。
 いまは笑っているお兄様だけど、当時は泣きながらずっと眠っている私のそばにいてくれていたらしいのよね。

 昔からお兄様は私のことを可愛がってくれていて、喧嘩したことは全くない。
 たぶんだけど、お兄様は体が弱くてみんながお兄様につきっきりだったから、私に対して負い目があるみたい。
 けれど私は、お兄様がずっと相手をしてくれていたからちっとも寂しくなかった。

 お兄様と過ごした過去を思い出していると、隣にいるノエルから「え?」と小さく声が上がったのが聞こえてくる。振り向くと、ノエルがあからさまにドン引きした目を向けてきていて。

「一体どんな飲み方をしたらそうなるんだ?」

 さもどうしようもない人間のように扱ってくる。
 なによう、お酒の力を借りないとやっていけないくらいの出来事があったからよ。いまここでは言えないけれど。ご本人様が朗らかに笑っている前では言えないけれども。

 かくして私は、ソフィーに入れてもらった果実水を片手に談笑に加わった。

 ジスラン様から治癒師の仕事のことを聞いたり、お兄様とノエルがディエース王国について話していたり、学園ではあまり聞くことのない話題を楽しんでいると、時間はあっという間に過ぎていった。

 時計を見ると、夜も深くなっている。
 まだまだ話したいのはやまやまだけど、明日も生徒たちの引率が残っているし、馬車の移動で疲れているから、抜けさせてもらおう。

「もう寝るわ。明日も早いもの」
「え~?! 久しぶりに会えたんだからまだ話そうよ」

 お兄様は唇を尖らせて抗議してきた。
 引き留めてくれるのは嬉しいけど、私は里帰りでここに来たんじゃなくて、生徒たちの引率で来たんだから、教師として万全の体調に整えておかないといけない。

 エメのようにダダをこねるお兄様の頬にキスをしておやすみの挨拶をした。するとノエルが立ち上がって、部屋まで送ると言い出す。ここは私の実家だというのに部屋まで送ってもらうなんて不思議な感じだ。

 一度は断ったけど、お兄様が「ノエルの気持ちを察してあげてよ」と言ってくるので、送ってもらうことにした。ノエルと並んで歩く一歩後ろに、ソフィーがついて来てくれている。

 実家の廊下をノエルと歩いていると、見慣れた景色でも違って見えるような気がした。
 部屋の前に着くと、ノエルはなぜか、黙ってしまった。つないだ手は離れそうになく、しっかりと握られている。

「おやすみ、ノエル」
「ああ、おやすみ。しっかり休んで」

 挨拶を交わしてもなお、彼の手は握られたままで。
 その姿がまた、エメに似ているようでおかしく思えた。眠る前にもっと一緒に遊びたいとぐずっていたエメを、思い出してしまったから。

 出来心で、彼の頭を撫でておまじないをした。

月の槍と(サリーサ)闇夜の棍棒と(ペルティカ)星の剣(グラディウス)月の槍と(サリーサ)闇夜の棍棒と(ペルティカ)星の剣(グラディウス)。ノエルが良い夢を見られますように」

 するとソフィーがそっと溜息をつくのが聞こえてきた。

「お嬢様、それは子どもにするような挨拶ですよ。婚約者にしてどうするんです?」

 なによう、挨拶は人それぞれでしょう?
 じとっと睨んでいると、ノエルが笑う。
 
「いいや、これがレティシアらしいからいいんだ。本当はもう少し先に進みたいけど」

 ノエルはクスクスと笑いながら、私の頭に触れる。髪留めを外して、落ちてきた髪を撫でた。

月の槍と(サリーサ)闇夜の棍棒と(ペルティカ)星の剣(グラディウス)月の槍と(サリーサ)闇夜の棍棒と(ペルティカ)星の剣(グラディウス)。レティシアが良い夢を見られますように」

 おまじないを唱えるのを聞いていると、ノエルの顔が近づいてきて、頬に唇が触れる。
 一瞬のことだった。
 感覚と思考が追いつかず、視線だけでノエルを追いかけると、ノエルは唇の両端を持ち上げて悪役然とした笑みを浮かべている。

「おやすみ、レティシア」

 そう言い残して応接室に戻ってしまった。
 すると、ソフィーが肩を竦める。

「そのおまじないは私がお嬢様にかけようと思っていましたのに。ファビウス卿に私の仕事を盗られてしまいましたわ」

 扉を開けてくれたソフィーは、私の顔を覗き込んで顔を顰めた。

「お嬢様、なんて顔をしているんですか?」
「どんな顔をしているのよ?」
「林檎くらい真っ赤になってますよ」

 ええ、そりゃあ、なっているでしょうよ。
 自分でもわかるくらい頬が熱くなっているんだから。

 頬を手でおさえていると、後ろでソフィーはまた溜息をつき、「やれやれ、ファビウス卿は婚約者ですのに」だなんて言いながら、また溜息をついた。