一、永遠に探求せよ
二、博愛をもって仲間と共に精進せよ
三、失敗を恐れず創造せよ

 これが、私の勤めるオリア魔法学園の三か条である。
 今世の私、レティシア・ベルクールの職場であり、母校でもある。

   ◇

 夕暮れ時の校舎は絵画の世界に迷い込んだかのように美しくて、特に回廊から眺めるのが好きだ。
 それは()も同じようで、終業後に回廊の柱にもたれかかってぼんやりと眺めているところを幾度となく見かけていた。

 彼は魔法応用学の臨時講師、ノエル・ファビウス。

 高齢のせいでギックリ腰がなかなか治らないオーリク先生の代理で教えに来ている男だ。
 普段は魔術省で働いているんだけど、生徒たちの将来に良い影響を与えてくれるに違いないという学園長の強い希望で招かれた。
 良い影響っていうのは具体的には卒業生から官僚をより多く出したいということで、斡旋してもらえたらいいなっていう魂胆がミエミエで呆れてしまう。

 そんなエリートのノエルは文官だけど引き締まっていて均整がとれた体をしているから見惚れてしまいそうになる。
 柱にその体を預けて見つめている後ろ姿はどこか色香が漂っていて、見ているとなんだか悪いことをしてしまったような気分になる。さすがはプレーヤーたちから魔性の黒幕と呼ばれた男だ。

 しかし私は、彼に話しかけなければならない。
 ゴクリと唾を飲み込んで、声をかけた。

「ファビウス先生、お疲れ様です」

 声をかけるとにわかに肩がぴくりと動いた。
 驚かせてしまったようだけど、振り向く顔は平然と、いや、それどころか優美な微笑みをたたえている。
 さすがは黒幕。少しの隙も見せようとしない。

「お疲れ様です。ベルクール先生が話しかけてくれるなんて珍しいですね」
「え、ええ。そうかもしれませんね」

 声が裏返りそうでヒヤヒヤする。

 正直に言おう、真正面からこの男を見て話すのは今が初めてで、すごく緊張している。緊張するなと言うのが無理な話だ。
 なんせこの男は女子生徒たちが実施した先生の人気投票で断トツ一位に君臨するイケメンで、とにかく顔が良い。そう、とにかく美しいのだ。そしてその美しい微笑みと紳士的な所作が女子生徒たちを虜にする。
 スラっと背が高いし、白皙のような肌に映える濡れ羽色の黒髪は少し長めでそれをこなれたように後ろに流しているのがまた大人の色気を醸し出している。
 おまけに顔のパーツはどこをとっても文句のつけようがない。特に紫水晶のような目は本当に見入ってしまいそうで、思わず顔をそむけてしまう。
 それに、計算されたかのように配置された左目の下の泣きぼくろが余計に艶っぽさを醸し出している。

 彼が代理として現れたときにはもう、なんて教育によろしくない男を送り込んでくれたんだあのジジイはと心の中で思ってしまった。

「あなたは遠くから僕を観察していますよね。けれど、話しかけてはこない」
「お邪魔したら悪いかと思いまして」

 遠くから見ていたというのに気づいていたとは思わなかった。さすが普段は魔術省に所属しているだけのことはある。魔力を感じとる力をつけているんだろう。

「じゃあ、どうして今日は話しかけてくれたんですか?」
「大切なお話をしたいんです」

 そう、とっても大切な話をするためにわざわざここに来た。今日を逃せば、彼に会えるのは翌週になってしまう。
 この臨時講師は毎日いてくれるわけではないから。

 緊張のあまり喉に言葉がつっかえてしまいそうで、ひとまず深呼吸して自分を落ち着かせた。

「私と、結婚してくれませんか?」
「……」

 彼は穏やかな表情のまま、見つめてくる。
 驚かれるかと思ったけど、さすがのノエルだ。ちょっとやそっとのことでは動揺しない。
 おまけに、私のような地味でパッとしない女からの求婚を笑わないで聞いてくれる。そんな紳士的な振る舞いが、彼の評判を上げているのだろう。
 なんせ今世の私は茶色の髪に茶色の瞳の、いつも似たような服装と髪型をしているモブなのだ。風景の中に溶け込んでしまいそうなほど存在感の薄い人間なのよね。美形のノエルとは釣り合わない容姿なのは重々承知だ。

「なぜ僕と結婚を? 失礼を承知で言いますが、あなたは僕に興味がないでしょう?」

 やはりそうなりますよね。
 私はもとより薬草にしか興味がない地味教師と生徒たちから揶揄されているのも知っていますし、前までは学生時代の同級生に惚れていたし、なにより接点が全くなかった。

「早く結婚するように言われているんです。でも、縁談が持ち上がる方たちはみんな結婚したら教師を止めてくれと言うので、それが納得できなくて」

 こういうときに、貴族令嬢で良かったと思う。社交とか本当にめんどくさいけど。結婚とかしきたりを良い理由にできるもの。

「僕なら理解があると?」
「違いますか?」
「まあ、確かにせっかくなれた職業を辞めろと言うのは心苦しいですね。努力を踏みにじるようなことはあってはならないと思いますので」

 しかし、と彼は付け加える。

「どうしてそれで僕に声をかけたのかわかりませんけど。この学園には他に適任になりそうな先生がたくさんいると思いますが」
「ロアエク先生の治療のことで、力になれるかもしれないと思ったんです」

 ノエルの眉がぴくりと動いた。
 ロアエク先生とは彼の恩師であり、その人こそが、彼が黒幕になっていくきっかけだ。
 私も学生時代はロアエク先生にはお世話になった。今は引退して隠遁生活を送っていると言われているけど、その実、呪いに苦しめられているところなのよね。

 ノエルは、恩人のロアエク先生をその呪いから助け出そうとした矢先に国王の手先にロアエク先生を殺されてしまい、闇落ちしたのだ。

「……なぜそのことを知ってるんですか?」

 その声色には微かな凄みが滲み出ていて、逆鱗に触れてしまったのが分かる。
 黒幕の気迫に気押されそうになるのをこらえて彼の紫水晶のような目を見つめ返した。

「あなたがロアエク先生のために特別な薬草を探していると、準備室にいる妖精たちから聞いたんです」
「なるほど、そういえばあの準備室は森に近い状態だからか妖精がたくさんいますね」
「それに、ロアエク先生には私もとてもお世話になったので、力になりたいんです」

 正しく言えば、妖精を捕まえて問い質したんだけど。
 罪のない彼らには本当に申し訳なかったけど、なにがなんでもこの人を味方につけないといけない理由が、私にはあるわけで。