食堂で朝ごはんを食べ終わると、私とノアくんは徒歩で校舎に向かっていた。
 うちの学校は、魔法養成学校としては魔界最大級の学校だから、ものすごく敷地が広い。
 それなのに校内での無闇な魔法は禁止ときたものだから、ほうきで校舎まで飛んでいくこともできないんだ。
 ほうきを使えばたぶん二、三分でつくんだけど、歩くと私の足だと三十分はかかるんだよ。
 しかも、ひとりで歩いていこうとすると、方向音痴の私は大体いつも迷子になって遅刻する。だからノアくんが毎日隣の男子寮から迎えに来てくれるんだけど……。
 ぐるっと敷地を見渡す。
 寮は敷地内に四つ。校舎は七つ。プールが三つに、図書塔、植物園、魔獣園まである。
 ……うん、それにしてもこの学校、広すぎると思うのよ。
 だってさ。
 歩き始めて十分は経ったと思うのに、未だ校舎は見えてこない。
「うわぁ~ん! 教室が遠いよ~!」
 思わず嘆く。
「こんなに広いのに、どうしてほうきで空飛んじゃダメなの!?」
「校舎が遠いのはいつものことだろ。というか食べ過ぎなんだよ。朝からサラダとスープだけじゃなく、サンドイッチまでおかわりまでして……」
「だってお腹減ってたし……。木苺のジャムたっぷりのサンドイッチ! あれ、めちゃくちゃおいしくなかった!?」
「……まぁ、おいしかったけど」
「でしょ? あー、もしかしてノアくん、女の子の目を気にしておかわり我慢したとか?」
「……ちげーよ、バカ」
 笑みを向けると、ノアくんはぷいっとそっぽを向いた。
「む……」
 最近よくノアくんに目を逸らされるんだよね……。なんでだろ?
 前はもう少し、近い距離で話せてたのになぁ。
 前を向こうとすると、ノアくんがちらっと私を見て言った。
「ま、火花は食べ過ぎたぶん、ちゃんと歩いてカロリー消費したほうがいいな。でないとそのうちそのほうき、折れるぞ?」
「なぬっ!?」
 ひどい! またそうやって意地悪言うんだから!
「ほうきが折れるほど太ってないもん!」
 ……たぶん。
 ぷんっとそっぽを向くと、向かいの道から同じ制服を着た女の子が歩いてきた。
「あっ! ドロシー! おはよー!!」
 大きな声で名前を呼んで手を振ると、女の子も私たちに気付いて駆け寄ってきた。
「火花ちゃん! おはよう!」
 彼女はドロシー。ドロシー・スコット。
 ドロシーは、この学校に来て仲良くなった友達のひとりなんだ。
 編み込みの赤毛と、とろっとした垂れた瞳がチャームポイント。
 穏やかで優しい性格の女の子なんだけど、ごくごくたまに毒を吐いたりするの。
 そして残念ながら、私とドロシーは寮が別々。
 私は落ちこぼれペリドット寮なんだけど、ドロシーは成績優秀な女子だけが入れる寮・アヤナスピネル寮。ちなみにノアくんはプラチナ寮。ノアくんもエリート寮だよ。
「ねっ! ドロシーも教室まで一緒に行こう!」
「え、でも……」
 ドロシーは困ったように眉を下げて、ちらりとノアくんを見る。どうやら、ノアくんのことが気になるらしい。
 そういえばドロシーは男の子が苦手なんだった。だけど、ノアくんならギリギリセーフって前に言っていたような?
「ノアくん、ドロシーも一緒に行ってもいいよね?」
 ノアくんに確認する。
 ドロシーはほうきを抱き締め、おずおずとノアくんを見上げた。
「おはよう、ドロシー。もちろん、一緒に行こう」  
 ノアくんは完璧王子様スマイルで頷いた。
 ノアくんは、私以外の女の子を前にすると態度がコロッと変わる。
 私には意地悪なことをたくさん言うくせに、ドロシーの前では王子様ぶるんだから、まったくなんてこったって感じだよ。
「ありがとう」
 ドロシーが男の子を苦手な理由は、過去に男の子にいじめられちゃったことがトラウマになっているんだって。
 まったく、私の親友をいじめるなんて最低な子がいたもんだよねっ! もしその場に私がいたら、きっと華麗に男の子をやっつけてやるのに!
「おーい、火花~。なに百面相してるの。行くよ」
「あ、はいは~い」
 ノアくんに促され、私たちは三人並んで歩き出した。
 歩きながら、ノアくんがちらりとドロシーを見た。
「カバン重そうだね。持とうか?」
「えっ!? う、ううん! 全然大丈夫だよっ」
 ドロシーは驚きつつ、ぶんぶんと勢いよく顔を横に振る。
「そう? ドロシーは華奢だから、なんだかカバンが重そうに見えてね。辛かったら言ってね」
「……う、うん、そうする……」
 真正面から王子様スマイルをくらったドロシーは、熱でもあるみたいにぽ~っとしている。
 なーんだか二人とも、いい感じ。ノアくんもにドロシーを見てこにこしちゃって……。
 なんか、気に食わない。なんでだろう。
 ぐるぐる考えて、あっと思う。
「……って、ノアくんっ! それなら私のカバンを持ってよ!」
 くるっとノアくんが私を見た。
「は? なんで俺が火花のカバン持たなきゃなんないんだよ」
 ノアくんはこれ以上ないほどの真顔。
 なんという変わり身!?
「いやいや、私も女の子なんだけど……!?」
「だとしても、お前は別に華奢じゃないからな」
「華奢です! この今にも折れそうな細腕が目に入らぬかっ!」
 私は制服の袖をまくってノアくんの前に出した。
 ……が。
「デザートのヨーグルトまでしっかり食べ切った奴がそれを言うか」
 しらーっとした顔で言われ、さらに額を小突かれた。
「うっ……」
 こればかりは言い返せない。
「朝から必要以上にエネルギー摂取したんだから、そのぶん歩け」
「むぅ……」
 ……本当、いつも思うけど、ノアくんはなんで私にだけ意地悪なの!?
 たしかにドロシーは私とは違って可愛いかもしれないけどさ……。
「もういいもん! 行こっ、ドロシー」
 私はドロシーの手を取って、ノアくんを置いてさっさと歩く。
「おっ、おい……なんだよ、怒るなよ」
 ノアくんが慌てて追いかけてくる。
「怒ってないもん!」
 私はぷんとそっぽを向いて歩みを進めた。
 森を抜けると、小さく校舎が見えてきた。けれど、まだまだ昇降口までは遠い。
 あーもう、なんだか暑くなってきた。
 パタパタと手をうちわ代わりにして顔を扇ぐ。
「うふふっ」
 ドロシーが突然肩を震わせて笑った。
「え、なに?」
「火花ちゃんってば、もしかしてヤキモチ?」
 なんて、ドロシーが訊ねてくる。
「はぁ!? そそ、そんなわけないよっ!」
 すぐさま否定すると、ドロシーはまたくすくすと笑った。
「意地悪されて、いやになっただけだもんっ!」
「そうなの?」
「そうだよっ!」
 それ以外のなにものでもないよ!
 すると、ドロシーは私にそっと顔を近づけて……。
「……ねぇ、ふたりって付き合ってないの?」
 ツキアウ?
 付き合う……。
 耳を押さえてぎょっとする。
「はっ!? つつつ、付き合う!? 誰と誰がっ!?」
「そりゃ、ノアくんと火花ちゃんに決まってるでしょ?」
「ないよ! なななないない! 絶対、有り得ないでしょ!」
 そもそもノアくんは女の子には困っていないだろうし。
「だって、ノアくんってわざわざ先生に許可取って、毎朝男子禁制の女子寮まで迎えに来てくれるんでしょ? 確実に火花ちゃんだけ特別扱いだよ! 普通、好きじゃなかったらそんなことしないよ」
「そそそ、そんなことっ……」
 ちら、と背後のノアくんを見る。
 えっと……そ、そうなのかな?
 少し不機嫌そうな顔をしたノアくんと、かちりと目が合う。
「なに?」
「な、なんでもないです!」
 ないっ! ないない、絶対、断じてないもんっ!
 ぼわっと辛いものでも食べたみたいに顔を真っ赤にした私を見て、ドロシーはさらに微笑む。
 くぅ……。
 ドロシーってば、普段は大人しくて気が弱いくせに、私には強気だなんて。というか、最近どことなくノアくんに似てきてるような……。
「なーんて、冗談冗談! 火花ちゃんって素直だから、たまにいじめたくなっちゃうんだよねぇ」
 ドロシーは私からぱっと離れると、涼しい顔をして歩き出した。こころなしか、悪魔の角と羽、しっぽが見える気が……。
 すると、それまで私たちの後ろにいたノアくんが間に入ってきた。
「……なぁ、ふたりともなんの話してたの?」
「恋バナだよっ」
 ドロシーがぺろっと言う。
「はぁ?」
 ノアくんは驚いた顔をして私を見た。
「恋バナ……?」
「いやっ……」
 だからなんで私を見るのっ!?
「お前……もしかして」
「ち、違うからっ!」
 眉を寄せるノアくんと、全力で否定する私。
「本当になんでもないから! もうドロシー、余計なこと言わないでよ! ほら早く行くよっ!」
「あっ、待ってよ火花ちゃ~ん」
 ドロシーは楽しそうに追いかけてくる。
 んもう。
 ドロシーめ……あとでなにか仕返ししないと。
「あ、そういえば火花ちゃん」
「まだなにか!?」
 くわっと身構えた私を見て、ドロシーが苦笑する。
「心配しなくても、もうからかわないよ。そうじゃなくて、昨日のハウル先生の課題のこと」
「……へっ? 課題?」
 ハウル先生ってことは飛行魔法の課題だけど……課題? ……あれ、ハウル先生から課題って、そんなの出てたっけ?
 思い当たるものがなく首を傾げていると、ドロシーとノアくんはふたり顔を見合わせて、盛大なため息を漏らした。
「……もしかして、やってないのか?」
 ノアくんが呆れた顔を向けてくる。その視線から逃げるように、私はサッとドロシーへ視線を移した。
「う……ドロシー。課題って、なに出されたっけ?」
「えっ……えっと、飛行魔法実技用のルートプリントに、これまで星の原石が見つかったことのある地点にマークをつけて、学校からの距離を確認したりして地図を完成させる作業だよ」
 なにそれ。そんな課題やった記憶、全然ないんだけど。
「火花ちゃん、もしかして……」
「…………えへ。忘れたかも」
「やっぱりかよ」
 サーッと顔面から血の気が引いた。
 だって、ハウル先生にはこの前も怒られたばっかりなんだ。
 飛行魔法学のハウル先生は、実は怒るとすっごく怖いの。それなのに課題忘れちゃうなんて、私のバカたれ~!!
 ノアくんは隣を歩きながら、ため息をつく。
「あーぁ。バカってどうやったら治るんだろうな~」
「なぬっ!?」
「なぬ、じゃねぇよ」
 私の額をピンッと指で弾いた。
「いたぁっ! なにすんの!」
 ノアくんを睨むと、ノアくんは少し頬を染めて、そっぽを向きながらぶつぶつとなにやら呟いている。
「ったく、仕方ないから俺の課題見せ……」
 私はノアくんから離れて、ドロシーに駆け寄る。
 そしてばっと顔の前に両手を合わせて、ドロシーに頼み込んだ。
「ドロシー、一生のお願い!」
「……仕方ないなぁ。今回だけだよ」
「ありがと~」
 そう言いながらも、ドロシーは毎回見せてくれるんだよね。
 ここに女神降臨!!
 私は瞳をうるませながら、ドロシーに抱きついた。
「ありがとうドロシ~!! ……あ、ノアくん、さっきなにか言おうとしてた?」
「……っ……別に、なんでもない。ほら、いくぞ」
 ノアくんは私の手を掴むと、ずんずんと歩き出す。
「おわっ!? ちょ、そんな引っ張らなくても」
 歩きながら、繋がれた左手を見る。
 ノアくんの手は、低体温の彼にしては少しだけ熱い気がした。
 歩きながら何度か声をかけたけれど、ノアくんは総じてスルー。
 教室についてからも、ノアくんは終始ムスッとしていた。
 ……本当、男の子って謎だよね。