ハッと顔を上げる。今の、火花の声だったような……。
「今、なにか聴こえなかった?」
 振り向いて、ふたりに訊ねる。
「聴こえた! 叫び声みたいなの……」
 ドロシーも不安げな顔をして頷いた。
「火花ちゃん……大丈夫だよね?」
「とにかく、急ごう。シグナルが近付いてる」
 急いで声のした方角へ向かっていると、次第に辺りがおどろおどろしい黒い海流に包まれていった。
「うぅ……なにこの気配……怖い」
 ドロシーはびくびくしながら俺の後ろに隠れている。
「どれくらい深くまで来たのかしら。なんか、寒いわ……」
 ダリアンが両肩をさすりながら言った。
 たしかにダリアンの言う通り、周囲の水温はぐっと下がっている。
 ゴゴゴゴゴッ!
「っ……なんだ?」
 驚き、動きを止める。
 海流は水煙を上げ、どんどん大きくなっていく。
 これはまずいかもしれない……!
「ダリアン、ドロシー! ふたりとも、とりあえずここに掴まって!」 
「えっ!?」
 渦巻く海流に巻き込まれそうになり、俺は近くにあった岩場にふたりを案内する。
「ドロシー、急いで!」
 ドロシーは突然のことにモタモタしている。
「ドロシー!」
 ダリアンがドロシーの手を握り、岩の影に強く引き込んだ。
 よかった……。
「あ、ありがとう、ダリアン」
 ドロシーは軽く呼吸を乱しながら、ダリアンに礼を言った。
「まったく、とろいんだから」
「う……」
「ま、私が守ってあげるから安心しなさいよ。あなたみたいな魔女でも、いないよりはマシだし」
 相変わらずツンデレなダリアンに、俺とドロシーはちらっと顔を見合わせて苦笑した。
「それにしてもなんなのよ、この黒い霧」
「火花ちゃん、近くにいるのかな……大丈夫かな?」
「ふたりはここにいて。ちょっと様子を見てくる」
「う、うん」
「気を付けて」
 渦に巻き込まれないように岩に掴まりながら、そっと顔だけ出して様子を伺う。
 と――。
「火花っ――!?」
 目の前の光景に、俺は息を飲んだ。
「なんだよ、あれ……!?」
 目の前で、黒い土煙のようなものに取り込まれていく火花の姿がある。
 火花は意識がなく、ぐたっとして眠るように浮いていた。
 血の気が引いた。
「火花っ!!」
 思い切り叫び、勢いよく岩場から飛び出す。その途端、大きな潮の流れが俺の体を拘束した。
「ぐっ……!」
 慣れないひれでいくらもがいても、海流に巻き込まれた体はうまく前に進まないどころか、海面まで巻き上げられていく。
「クソッ!」
 一度海面に飛び上がり、勢いをつけてもう一度黒い海流の中へ潜っていく。
 潜りながらほうきを取り出した。
「ほうき、力を貸してくれ! 火花を助けたいんだっ」
 ほうきはエネルギーを爆発させ、火花のもとへ突き進んだ。
 よし、これなら……!
「ノアくんっ!」
 ダリアンとドロシーの声がする。岩陰に隠れたまま、ふたりは心配そうに俺を見ていた。
「ふたりとも、魔法で海流を消してくれ! 中に火花がいる!」
「えっ!?」
 驚くドロシーの横で「分かったわ! まかせて!」と、ダリアンがステッキを振る。
「ロジカル・マジカル! 荒ぶる流れよ、鎮まって!」
 バチンッ!
 ダリアンの星のシャワーは、海流のあまりの勢いに弾かれてしまった。
「ダメ! 弾かれちゃうわ!」
 ダリアンが叫ぶ。
「クソッ……ダリアンでも無理なのかよ!」
 その間にも、火花は黒い煙の中に消えていく。
 海流の勢いは止まないどころか、どんどん増している。
「ロジカル・マジカル。時よ、止まれっ!」
 強く唱えるが、まったく効かない。
「ロジカル・マジカル! ノアくんよ、ピエロになれっ!」
 マーメイドの姿のまま、格好だけピエロの姿になった。驚いて振り返ると、ドロシーがいた。
「ノアくん! たぶんこの海流に魔法は効かないよ! でも自分へかける魔法なら、ある程度使えるみたい!」
「なるほど、さすがドロシー!」
 でも、なんでピエロなんだ?
 突然のピエロ姿に戸惑っていると、ドロシーが続けて言った。
「海流はぐるぐる回ってる! その中にロープを投げ込むの!」
 ……なるほど、そういうことか!
「ロジカル・マジカル! ロープよ、出てこいっ!」
 ロープ芸といえば、サーカス!
 そのためのピエロだ。
 自分が近付けないなら、火花をこちらへ持ってくればいい。
 さすが、ドロシーの思考はひととはちょっと違って新鮮だ。
「いけっ!」
 ロープで輪っかを作り、火花めがけて投げる。
 ――が。
 バチンッ!!
「っ!?」
「そんな……っ!?」
 なにかに弾かれてしまった。
『ふふ……魔女に魔法使いが三人もいてこの程度か。さっきの小娘ひとり相手したときより張り合いがないぞ?』
 ひんやりとした抑揚のない声がどこからか響いた。
「……なんだ……何者だ、お前は……」
 目を凝らす。
『グァァァアッ!!』
 黒い海流が、吼えた。
 ……吼えた?
 目の前の光景に、呆然となる。
「なに、あれ……龍?」
「あんなの、反則じゃない……!」
 海流の正体。それは、漆黒の炎を身にまとった大きな龍だった。
「嘘だろ……!? こんなの、勝てるわけ……」
 視界に火花の姿が映る。
「火花っ!!」
 ダメだ! 怖気付いている暇なんてない!
 もう一度ステッキをかまえる。
「ロジカル・マジカル……」
 しかし、龍の咆哮で生まれた波のゆらぎに、ステッキをかまえた腕を弾かれてしまった。
「っ!」
 ステッキが暗い深海に落ちていく。
「くそっ!」
『お前らの魔力は大したことないな。あくびが出てしまうぞ?』
「お前は何者だっ!? 姿を現せっ!」
『ふふふ。ステッキがなければ吠えるしか脳がないのか』
 なんだと、この……。
「大丈夫よ! ノアくん、まかせて!」
「ダリアン!」
 ダリアンが深海へもぐっていく。もぐりながら、ダリアンは深海にステッキを向けて叫んだ。
「ロジカル・マジカル! ステッキよ、あるべきところに戻って!」
 星のシャワーが降り注ぎ、光に照らされた俺のステッキがくるくる回りながら手の中へ戻ってくる。
「ありがとう、ダリアン!」
 もう一度、と気合いを入れ直してステッキを握る。
「今度こそ……」
 そのときだった。
 パチン、とどこかで誰かの指が鳴ると同時に、ドロシーの悲鳴のような声が聞こえた。
「火花ちゃんっ!」
 ハッとして、とらわれている火花を見る。
『さらばだ、愚かな魔女の子たち。この娘はもらっていく』
「おい、待てっ……!!」
 龍が大きくとぐろを巻き、海流を起こした。勢いに圧倒され、たまらず目を瞑る。
「ぐっ……くそ……」
 海流が止むと、火花の姿は跡形もなくなっていた。
「そんな……火花ちゃん……」
 先程まで荒々しく渦巻いていた黒い海流は嘘のように消え、辺りは静寂を取り戻した。
 後には、かすかな泡が残っているだけだった。