潮風(しおかぜ)が頬を撫でていく。夜の海は、昼間とはまた違った空気をまとうものだ。
 寮を抜け出した俺たちは、火花を追いかけて海へと向かっていた。
 辺りは深い藍色。空気はしんとしていて、遠浅(とおあさ)の波は穏やかで音も小さい。
「まったくあのバカは……」
「ふたりともごめんね、巻き込んじゃって。私がもっと強く止めてれば……」
「ドロシーのせいじゃないよ。な、ダリアン?」
「えぇ、そうね……」
 ダリアンはそっと俺から目を逸らし、ちらっとドロシーを見た。
「……あの、ドロシー」
 ダリアンが控えめにドロシーを呼ぶ。
「少し話してもいいかしら」
 珍しくしんみりとした口調のダリアンに、ドロシーは首を傾げた。
「どうしたの? ダリアン」
 ダリアンはほうきのスピードを少し緩めて、話し出した。
「……あの、私……これまであなたにひどいこと言ってきたわ。本当にごめんなさい」
「ダリアン……」
 ドロシーは、一瞬戸惑うように俯き……そして、優しく笑った。
「ううん。いいよ。謝ってくれてありがとう」
 ダリアンは首をぶんぶんと横に振る。
「今さら謝ったところで、言ったことが取り消せないってことは分かってるわ。でも……」
 ダリアンは一度きゅっと唇を引き結んだ。
「その……」
 頑張れ、頑張れ、と俺は心の中でダリアンの背中を押す。
「もし許してくれるなら、私……あなたたちと仲良くなりたいの」
「ダリアン……」
 あのダリアンが、素直な気持ちをまっすぐに伝え切った。が、切ったあと、ダリアンはやっぱり気まずそうに俯く。
「うん」
 俺は返事をして、ダリアンの隣に並ぶ。
「俺は賛成」
 優しく微笑みかけながら覗き込むと、夜の暗闇の中でも分かるくらい、ダリアンの頬は赤く染まっていた。
 ざざん。
 波の音が大きくなったような気がした。
 ドロシーはなにも言わず、俺とは反対側のダリアンの隣に並ぶ。
 ちら、とドロシーを見ると、目が合った。優しく微笑んでいた。その顔に、俺は少しホッとする。
「もちろんだよ、ダリアン」
 ドロシーの声に、ダリアンがパッと顔を上げる。
「え……本当に?」
「私もね、本当はダリアンともっとちゃんと話してみたかったんだ。いつもダリアンは火花ちゃんばっかりだったから、なかなか話しかけられなかったけど……」
「私、あなたにひどいこと言ったのに……」
「火花ちゃんと仲良い私に嫉妬してるんだってことくらい、分かってたもん」
「それは……ごめんなさい」
「私もね、ちょっぴりノアくんに嫉妬したことあるから、分かるんだよ。ダリアンの気持ち」
「えっ」
「えっ!?」
 それは、初耳……。
 思わずドロシーを見る。
「今日のペア組もね……ノアくんが火花ちゃんと組もうとしてるの分かってたけど、先に声かけちゃった。私には、火花ちゃんしかいないから……ごめんね、ノアくん」
 ドロシーはペロッと舌を出している。
 俺は苦笑して、首を横に振った。
「……いや、いいよ。気持ちは分かる」
「私たち、もしかして似た者同士なのかもね?」
「そうかもな」
 三人で穏やかに笑い合う。
 無事、ダリアンとドロシーが仲直りできてよかった。
 あとは火花を見つけ出すだけだ。
 そう思っていると、不意にダリアンが言った。
「まったく、どうしてここにあの子がいないのよ」
 本当に、そのとおりだ。
「火花ちゃん……無事だよね」
「当たり前だ。あいつもなんだかんだ言ったって、魔女の端くれだしな」
「けどあの子、そそっかしいしドジだから、自爆しかねないのよね」
「…………」
 ドロシーと顔を見合わせる。
 ……なくもない話だ。
「……とにかく急ごう」
 速度を上げ、雲の中を突き抜けるようにほうきで走る。
 しばらく進むと、ドロシーがキュッとブレーキをかけた。
「そろそろ、今日潜った辺りだよ」
「よし」
「潜ろう!」
「魔法なら私がやるわ」
 ダリアンがステッキを振る。
「ロジカル・マジカル! マーメイドになれっ!」
 ダリアンの掛け声のあと、あっという間に星屑のシャワーに包まれる。
 あまりの眩しさに目を瞑り、まぶたの裏の光が落ち着いた頃、目を開けると――俺たちは、それぞれ青、緑、紫色のマーメイドになっていた。
 ふたりは可愛らしいキャミソールを上半身にまとっていて、俺だけなぜか和風の着物のような服を着ている。
「ノアくん和装だ~」
 ドロシーが新鮮そうに俺を見る。
 ……和装か。これは想像してなかったな。
「……実は、ノアくんは和装も似合うんじゃないかって思ってたのよね」
 ダリアンがペロッと舌を出して白状する。
 まぁ、和装自体は悪くないけど。ちょっと袖が動きづらそうだな……。
「思った通り、ノアくんかっこいいわっ!」
 すかさずダリアンが腕に抱きついてくる。
「おっと……」
 慣れないマーメイド姿のせいで、バランスを崩す。
「ちょっとダリアンってば、ふざけてないで早く行くよ」
 ぴしゃりと言ったドロシーに、ダリアンが目を丸くする。
「ふざけてないんだけど……というかドロシー、なんか急に私への扱いひどくなってない?」
「そう?」
「ドロシーはいつもこんなもんだよ。火花にはもっとひどい」
「そ、そんなことないよっ!」
 恥ずかしそうにドロシーはぶんぶんと手を振った。
 ドロシー、火花にだけSっ気が出るっていう自覚はないのか……。
 火花って本当、周りに執着される体質だよな……俺もだけど。
 とりあえず、ドロシーが女の子でよかったかも。
「さて。行こうか」
 俺は腰元に巻きついているロイヤルクロックをパカッと開く。
 とある一点に、ぽうぽうと赤い光が点滅している。
「それは?」
 ダリアンが不思議そうに覗き込む。
「火花の居場所だ。あいつ方向音痴だしそそっかしいしでよく迷子になるから、基本いつも居場所が特定できるように魔法をかけてるんだ」
「へぇ……」
 ……まぁ、本人には言ったことないけどな。
「さすが、ノアくん」
「相変わらず過保護ね、ノアくんって」
「…………」
 そんなことはない、はず。
 ふたりの小言を無視して、俺は先へ進む。点滅が早くなる。
「……近くにいるようだよ。ふたりとも、俺についてきて」
「うんっ」