寮監に面会の許可を取ってから、ダリアンの部屋の前に立つ。
 コンコン、と二回、控えめにノックをしてから声をかける。
「ダリアン。いるか? ノアだけど」
「…………」
 返事はない。
「……はぁ」
 まぁ、怒ってるよな。
 よりにもよって、火花は生徒が多くいる食堂で、ダリアンの高い鼻をポキッとへし折ったのだ。
 ダリアンが怒るのも無理はない。
 仕方なく、そのまま扉越しに声をかける。
「ダリアン。さっきは火花が酷いことを言ってごめん」
 火花の代わりに頭を下げる。
「ダリアンが怒るのも無理はないよ。今回は火花が全面的に悪かったと思う」
 コン。
 かすかに物音がした。
 扉の前まで来てくれたか……?
「…………」
 しかし、いくら待っても扉が開く気配はない。
「ダリアン。よかったら、この扉を開けてくれないかな」
 扉は開かない。けれど、小さな声が返ってきた。
「どうして? どうせ、ノアくんも私のこと、迷惑だって思ってたんでしょ。いい気味だって、思ってたんでしょ」
「そんなことないよ」
 ダリアンらしくない、珍しく弱った声だった。
「……火花の言う通りよ。私は嫌われ者。そんなの言われなくたって私だって分かってるわ。いつだって私に寄ってくるのは打算的なひとばかり。私自身を見てくれるひとなんて、ひとりもいなかった」
 その言葉は、思いのほかずしんと俺の心を抉った。ダリアンが吐き出した思いは、俺もよく知っている。
 親の顔に泥を塗らないように、俺も必死に勉強してきた。ひとから反感を買ったら親まで悪く言われるから、必死で笑顔を作ってきた。
 ダリアンも、同じなんだ。
「うん……だから余計、隙を見せるわけにはいかなかったんだよね」
 自分でも無意識のうちに、口が動いていた。
「え……?」
 かすかに動揺したような声が、扉越しに聴こえる。
「強がらないといられなかったんだよね。幼い頃から、君の周りは総理に気に入られようとするひとばかりだったから」
 そのとき、がちゃ、と扉が開いた。気まずそうな顔をしたダリアンと目が合う。
「どうして……?」
 ダリアンにできるだけ優しく微笑みかける。
「分かるよ。俺も同じだったから」
「ノアくんも?」
 ダリアンが驚いた顔でパッと顔を上げる。
「うん。いつもの様子見てたら分かるだろ? うちもそれなりの家だしね」
「まぁ……そうね」
 ダリアンは頷きながら、俺からサッと目を逸らした。
「……私ね、この学校に来て、本当の友達を探そうとしたのよ。でも、無理だった。……よく分かったわ。性格が悪い私なんて、誰もかまってくれない。私ってカラッポなの。私には、家柄しか価値がないのよ」
「ダリアン……」
 今のダリアンは、まるで自分を映した鏡を見ているようで、胸が苦しくなる。
「……ダリアン、それは違うよ」
「違くなんてないわ」
「ドロシーが言ってたよ。ダリアンは、物言いは少しきついけど、裏表がなくてまっすぐだって。周りに同調しない芯の強さを持ってる」
 半ば自分に言い聞かせるように、言った。
「ドロシーったら……私、ドロシーにひどいこと言っちゃったのに」
 ダリアンの目が再び涙色に染まる。ハッとして、俺はわざといつもより明るい声を出した。
「あぁ、それから。火花の悪口言ってる子に、向かっていったんだって? ありがとう。火花を庇ってくれて」
 にこっとして言うと、ダリアンはボボッと顔を真っ赤にした。
「なっ……そんなことしてないわよ! ドロシーの見間違いよっ」
「そっか?」
「そ、そうよ」
 ダリアンはつん、とそっぽを向く。
 よかった。いつものダリアンだ。
「ねぇダリアン。明日、朝一緒に登校しない?」
「え?」
 ダリアンは困惑気味に俺を見上げた。
「火花とドロシーと、四人で」
「でも……」
「火花は私の顔なんて見たくないと思うわ。それに、ドロシーだって……」
 ダリアンはきゅっと唇を噛み締めて、それ以降黙り込んだ。
「……火花はダリアンを嫌っていないよ」
「うそよ」
「本当だよ。火花はただ、友達を悪く言われたから怒っただけだ。火花はドロシーのことが大好きだからさ」
「……だから、それはつまり、ドロシーを悪く言った私を嫌いってことでしょ」
「違う」
 はっきり否定してから、俺は、静かな口調で続けた。
「実はね、食堂でのことは、俺もちょっと腹が立った。ドロシーは俺にとっても大切な友達だから。誰だって、大切なひとを貶されたら怒るだろ? 火花が怒ったのは、それに対してだけだ。それに、火花もダリアンにひどいことを言った。ダリアンも傷付いただろ? 言ったほうも、言われたほうも苦しいんだ。火花、ものすごく落ち込んでた。きっと火花も謝りたいって思ってると思うよ」
 ダリアンはおずおずと顔を上げる。
「……でも、私なんて、ああ言われて当然の人間だわ」
 俺はそっとダリアンの手を取った。反射的に引っ込められそうになったその手を、強く握る。
「私なんて、はよくないな」
「え……」
「まだ分からない? 火花は、ダリアンのことが大切だから、ダリアンを傷付けちゃったことに落ち込んだんだよ」
「え……」
 ダリアンはきょとんとした顔を上げる。
「火花が、私を好き……?」
「そうだよ。火花はもうとっくに、ダリアンのことをただのクラスメイトなんかじゃなく、友達だと思ってる」
 ダリアンの瞳が、きゅるりと涙の膜を張った。
「ドロシーがね、言ってたんだ。ダリアンはもしかして、火花と仲良くなりたいんじゃないかって」
 ダリアンの顔を覗き込むと、ダリアンは言葉に詰まったように俯いた。
「ダリアン? 君の本心を聞かせてくれないかな?」
 そっと、訊ねる。
 すると。
「……私、火花と友達になりたかった……火花は初めて、私のことを呼び捨てで呼んでくれた子だったから……。でも、火花のそばにはいつもドロシーやノアくんがいて、私の入る隙なんてなくて……だから……」
「ダリアン、話してくれてありがとう。その思いを明日、火花に直接伝えようよ」
「うん……」
「よかった。……あ、でも待てよ。つまり俺は、火花に近づくためにダシにされてたってわけか?」
「あっ、いや、それは……」
 ダリアンがサッと目を逸らした。
「ははっ! 冗談だよ。ダリアンって面白いな」
「ちょっと、笑わないでよっ!」
 顔を真っ赤にして怒るダリアンは、すっかりいつも通りだ。
 ふたりして笑い合っていると、門限のベルが鳴った。
 許可をもらっているとはいえ、女子寮に留まるのはよろしくない。
 そろそろ帰らないと。
「それじゃあ、明日。森の十字路で待ち合わせな?」
「う、うん……」
 そう言うと、ダリアンは少し緊張した顔をして頷いた。
「ノアくん、今までいろいろごめんなさい。それから……わざわざありがとう。おやすみなさい」
「うん、おやす……」
 そのときだった。
 ふたつ隣の扉が、突然バンッと大きな音を立てて開いた。
「きゃっ!?」
 ダリアンが飛び上がる。
「な、なにごと!?」
 怯えるダリアンを宥めながら、目を懲らして部屋番号を見る。二〇四号室とあった。ドロシーの部屋だ。ほんの一瞬ダリアンと顔を見合わせてから、ドロシーの部屋へ走る。
「ドロシー、どうした?」
 ドロシーは俺たちを見るなり、飛びついてきた。
「ノアくん、ダリアン! 大変だよ! 火花ちゃんが今からグラアナを倒しにいくって、海に行っちゃった!」
「はぁ!?」
 なにがどうしてそうなった!?
「もう門限なのに、もしバレたら停学じゃ済まないよ……!」
 頭を抱えたくなる。
「あいつはなんでまたこう次から次へと問題を起こすんだ……!!」
 頭を搔きながらため息をつく俺に、ダリアンは眉をひそめて訊ねた。
「ちょっとちょっと。グラアナってなに? 火花はなにしに海へ行ったっていうの?」
 ダリアンはわけが分からないといった様子で、俺とドロシーを交互に見つめている。
「あ、ダリアン」
 パニックになっていたドロシーは、ようやくダリアンの存在に気付いたらしい。
「あー……えっと」
 なにも知らないダリアンに、俺とドロシーは掻い摘んで状況を説明した。
 説明を終えると、ダリアンは心底驚いた顔をして、両手で口を覆った。
「うそ……海の魔女って実在したの?」
 俺は肩を竦めて頷く。
「ふたりの話によると、実在しているみたいなんだ。俺もダリアンの話を聞いたときは、架空の話だと思ってたんだけど」
「……にしても、よ?」
 ダリアンは、深いため息をひとつ。
「……薄々気づいてはいたけど、あの子ってちょっとバカ過ぎない?」
 ドロシーと顔を見合わせる。
「…………ハハ」
 俺もドロシーも、さすがにこの状況ではダリアンの言葉を否定することはできなかった。