イソギンチャクにライトアップされた螺旋階段(らせんかいだん)をぐるぐると昇って、真珠や貝殻、クラゲの漂う廊下を進んでいく。
 イワシの群れがダンスを踊るシアターを横目に、亀が眠るキッチンの中やサメが支配する甲板をぐるりと巡って。
 そうして、ユーレイの影を追いかけて辿り着いたのは、大きなエントランスホールだった。
 天井にはタコのようなシャンデリア。
 太い柱には、客室のシーツやシアターの緞帳、ドレスの端切れを利用したレースがおしゃれに巻き付けられていて、床にはキラキラ輝く真珠がたくさん転がっている。
「うわぁ……!」
 思わず声が漏れる。
 目の前に広がるのは、異世界。
 まるで、お姫様のお城に迷い込んだみたい!
「きれい……」
 エントランスホールを見たドロシーも、隣で小さく呟いた。
『本当?』
 そのとき、かすかな声が聴こえた。今度は歌声ではなかった。私たちの声に反応したのだ。
 柱の後ろでなにか黒い影がうごめいた。
「ひっ!」
 それを見たドロシーが怯えたように私に抱きつく。
 ハッとする。
「もしかして、ユーレイさん!?」
 思い切って声をかけるが、影はもっと柱の奥へ引っ込んでしまった。
「あっ、待って! 逃げないで!」
 慌てて引き止めると、ユーレイの動きがぴたりと止まった。
『…………』
 ホールの中に、かすかな息遣いだけが聴こえる。
 まるで、怯えているみたいなその影に、私はそっと声をかけた。
「お願い、怖がらないで。あのね……私、あなたの声を聴いてここにきたんだ」
『え……』
 小さく反応があった。
「さっきの歌声、あなたでしょ? とっても神秘的な声だった。でもなんだか……悲しそうな声だったから、気になっちゃって」
『…………』
「あのね、私、火花っていうの。この子はドロシー。私の友だちだよ。ねぇ、よかったらこっちに来てお話しようよ」
『私と……?』
 やった! 返してくれた!
「うん! ドロシーはどうしてかあなたの声が聴こえないみたいで怖がっているのだけど……私はあなたの歌、もっと聴きたいよ! ねぇ、出ておいでよ!」
 ホール中に私の声がわんわんと響いたあと、ほんの少しだけ沈黙が落ちて。
『……あなた、私の声が聴こえるの?』
 小さな鈴が転がるような声が返ってきた。
「うん! 聴こえるよ! ねぇ、あなたのお名前、教えてよ」
『私は……シュナ』
 柱の裏から、小さな影がひょっこりと顔を出した。
「あなたが……シュナ?」
 シュナは、可愛らしいマーメイドの少女だった。
 くりくりの大きな瞳と、潮の流れになびく髪はさらさらした黄金色。上半身は私と同じ人の体で、下半身はガラス細工みたいに輝く鱗の尾ひれ。
「シュナ~!!」
 私は勢いよく彼女に近付いて、両手をとってくるくると泳ぐ。
「ようやく会えた! ねぇ、シュナってもしかしてホンモノのマーメイドなの!?」
 私の問いに、シュナはこっくりと頷いた。
『……私は、シュナ・ロータス。アトランティカのマーメイド』
「アトランティカ……って、なに?」
『海の中の王国のことよ。お父様が治めているの』
「むむ……。国王様の娘……ってことは、マーメイドプリンセス!?」
『ねぇ、火花はどうして私の声が聴こえるの?』
「え? どうしてって……どうして?」
『だって、私の声は透明……だから』
 透明?
 私はシュナを見つめたまま首をひねる。
『普通のひとに、私の声は聴こえないの。そこの子みたいに』
 シュナはちらりとドロシーを見た。ドロシーは本当にシュナの声が聴こえていないらしい。ドロシーは首を傾げながら、会話する私とシュナを交互に見ていた。
 ドロシーからシュナに視線を戻すと、シュナは悲しそうな顔をして俯く。
 どうして、そんな顔をするの? これまで誰も、あなたの声を聴いてくれなかったの……?
 たまらなくなって、私はシュナの手を強く握り直した。
「……大丈夫。シュナは透明なんかじゃないよ。私には、ちゃんと届いてるよ」
 すると、シュナはぽろぽろと大粒の涙を流し始めた。
『届いてる……?』
 黄金色の瞳からあふれ出した涙は、小さな真珠の粒となってころころとシュナの足元に散らばる。
「涙が、真珠に……?」
 ドロシーは驚きの表情でシュナを見つめている。
 そっか……。このきらきらしてた真珠って、シュナの涙だったんだ。シュナはいつもひとりぼっちで、悲しかったんだね。
「シュナ。もう泣かないで」
『火花……』
 シュナの瞳から、ぽろろと白く美しい真珠が落ちた。