〇キッチン
花は夕飯の準備に取り掛かる。
サンマをグリルで焼き、ほぐした身をご飯に混ぜて一口サイズのおにぎりを作り、お皿に並べる。
おにぎりと温め直した煮物とほうじ茶、おしぼりを添えてお盆に乗せたものを翔琉のデスクの端に置いてきた。

花「あの、お二人もよかったら食べませんか? たくさん作ったので」
山戸・狹川「いいのっ⁉」
花「もちろんです! 翔琉さんからも許可貰ってますので」
キッチンのカウンターは、ダイニング側にスツールが3つ置かれていてバーっぽいお洒落な作り。
カウンターテーブルに二人分の夕飯を準備すると、山戸・狹川がウキウキと座った。
山戸・狹川「いただきます!」
花「ご飯と煮物はおかわりありますからね。お口に合えばいいんですけど」
口々に美味いと言ってがっつく二人を見てほっとする花。
そこに外回りから帰ってきた優が戻る。
優「戻りましたー。お、いい匂い」
花「あっ、お兄ちゃんお疲れさま~」
山戸・狹川「おふはへさまれす」
優「食べながら喋るなよ」苦笑して。
花「お兄ちゃんも食べるでしょ。サンマが安かったんだよ」
優「おう、その前にちょっと顔出してくるわ」執務室の方を指さして。

しばらくして執務室から出てきた優の手には、空になったお皿の乗ったお盆があった。
優「食べやすかったって」
花「よかった……」
優「あと、暗い中一人で買い出し行ったって? 翔琉が心配してたよ」
花(心配……? あれは、心配してくれてたの? 意外に優しいんだ……わかりづらいけど)
花「暗いって言っても……夕方だよ?」
優が花のおでこをコツンと小突く。
優「こら、いつも言ってるだろ、花は可愛い女の子なんだから、危ないんだよ。夕方でも今はすぐ暗くなるからだめだ」
花(過保護すぎるんだよなぁ、お兄ちゃん)
花モノ『今までも、帰りが危ないからって放課後にバイトをさせてもらえなかったし』
花「はーい」
花は口をとんがらせて不服そうな顔で返事をした。
花も優と一緒に夕食を食べてから一緒に帰路に着く。

〇帰り道・夜
並んで夜道を歩いて家に帰る花と優。
優「で、俺の完璧なプレゼンに相手もその気になっててさー……」
花「へー、さすがお兄ちゃんだねー」
優はご機嫌で今日の営業成果を花に延々と語っているが、花は適当におだてて流している。
花(うーん、食事はとりあえずクリアかな。後は、睡眠だよねぇ……)
翔琉の酷い目の下の隈を思い浮かべる。
花「ねぇ、お兄ちゃん、翔琉さんて寝れないくらい仕事忙しいの?」
優「んー……今はそこまでじゃないんだけどなぁ……。自分で自分を忙しくしてるというか……追い込んでる感じはするよな」「なんでだろうな」と首をかしげる翔琉。
花「夜はオフィスで寝てるんだよね?」
優「そうだけど、あいつ寝てんのか? 寝ろって言ってるんだけどいっつも眠たそうだからな」
花「ふーん」
花(寝れない理由でもあるのかな……)

〇学校・教室
花「おはよー」
綾香「待ってたよ花!」
教室に入るなり、綾香が花に迫る。
綾香の怒った顔に、花は約束を思い出した。
花「あっ、電話するの忘れたね、ごめん綾香」
お金のこと以外には無頓着な花。

〇ベランダ
綾香「でっ、結婚ってどういうこと⁉」
カバンもそのままに、ベランダに連れ出された花は周りに人がいないのを確認する。
花「お兄ちゃんの会社の社長さんが政略結婚するのが嫌だから私と結婚することになったの」
花の説明に頭を抱える綾香。
綾香「ごめん、一ミリもわからない。なんで花が結婚するのよ? え、付き合ってたのその人と」
花「ううん、顔見知りくらい。でね、その人の体調管理する代わりに私はお給料貰えるんだ~!」
嬉々とする花。その様子を見て天を仰ぐ綾香。
綾香「あーますますわからない! つまり、結婚する振りするついでにお世話してお金貰うってことであってる⁉」
花「うん、概ね」
綾香「え、籍は入れないよね?」
花「もちろん籍入れるよ? でも1年っていう約束」
陽介「――は? 結婚する振りってどういうことだよ?」
花と綾香が驚いて振り返ると、クラスメイトの西野陽介(にしのようすけ)が立っていた。

西野陽介(にしのようすけ):クラスの人気者で、綾香と同じく中学から仲の良い友人。黒髪をワックスでセットしたイケメン。花のことが好きだが、花が恋愛に疎すぎるため足踏みしていた。曲がったことが大嫌いな熱血漢で単細胞。

〇学校・ベランダ
綾香(あちゃー面倒なのに聞かれちゃった)
花「ちょっと陽介盗み聞きは駄目でしょー」
論点がズレている花に綾香は苦笑い。
陽介「金のために結婚って、どういうことか説明しろよ、花!」
花の両肩を掴む。
綾香「陽介近い近い! 離れなさい! んで落ち着け!」
陽介を押しやる綾香。
花「ちょっと色々あって、相手の事情が落ち着くまで籍入れて結婚してる振りすることになったの。でも他の人には秘密にしててね? 学校からもあまり言いふらすなーって釘刺されてるし」
先日、担任に校則的に結婚しても問題ないかどうかの確認を取っていた花。
陽介「籍入れるって……それ別れたら戸籍にバツがつくのわかってんのか?」
花「知ってるよそれくらい。でも別に気にならないよ、戸籍なんか自分以外だれも見ないでしょ」
花(なんてったって手取り20万円だもの!)
目がお金のデフォルメ花
陽介「そんなの、俺は反対だ!」
花「反対って言われても……、もう契約書交わしたから何言われても無理」
陽介「契約書……? くそ、お前じゃ埒が明かない、その相手に会わせろ! いいな! 俺が直談判して契約なんか破棄してやる!」
花「えぇ⁉ なんでそうなるの? 綾香~なんとか言ってぇ!」
綾香に抱きつく花。
綾香「無理。諦めな、花」(こいつ一度言い出したら聞かないんだよね……)
メラメラと怒りに燃える陽介と綾香に泣きつく花、諦めモードの綾香。

〇オフィス・翔琉の執務室
執務室でモニターとにらめっこする翔琉の周りをこそこそと動き回る花。
昨日買ってきたファイルケースをデスクの上、キャスター付き収納ラックを足元のスペースに設置。それぞれ「未確認」「保留」「確認済」「破棄」など仕分け用のラベルが貼られている。
翔琉は集中していて花には気づかない。
花(これでよし! 山戸さんと狹川さんに、書類について聞いたから多分大丈夫!)

〇回想(2話終わり)
花「あのぉ……、ちょっとお聞きしたいんですけど……」
山戸・狹川(な、なんだ?)と顔を見合わせる。
花は、散らばった書類の整理のために翔琉の仕事のフローなどを、さながら取材記者のようにメモとペンを持ち、二人に根掘り葉掘り聞いていた。
ついでに翔琉のオフィスでのルーティンや仕事中のタブーなども。

〇回想終わり
花(ふふふ、事前調査が役に立ったわね……それにしても……)
設置が終わり汗を拭う花は、真剣な翔琉をじっと見る。
花(前より目の隈が濃くなってる……ちゃんと寝てるのかな?)
心配しつつ執務室を後にした。
花が出ていってから、新しく置かれたあるものに目が行く翔琉。
翔琉(ん? なんだこれ)
翔琉「確認済み……破棄……」
仕分けのラベルを指でなぞる。
翔琉(あいつが? ったく、余計なことして……)と言いつつ緩む口元。
しかし、その後少ししんどそうに目をこする。
翔琉「うっ……」
翔琉(そろそろ限界か……)

〇数日後・オフィス
花の美味しい手作りおやつに栄養満点の夕食で毎日ホクホクの山戸と狹川。
山戸「なぁ、花ちゃん来てから仕事が捗る気がするの、気のせい?」
狹川「いや気のせいじゃない! 集中力が続くっつーか、なんかこう……、QOLが上がった感じ」
山戸「そう、それな! あー今日の夕飯なんだろなー」
花を待ちわびる二人。

〇学校・校庭

校庭を早歩きで歩く花と綾香、それを追いかける陽介。
陽介「おい、待てよ花! いつ会わせてくれるんだよ! もうすぐ入籍しちまうだろ⁉」
花「今は翔琉さん忙しいから無理」
陽介「さてはお前、会わせないつもりだな!」
花(翔琉さんに言ったって一蹴されて終わりだろうし、会わせないと陽介はずっとうるさいし……あーもう、どうしろっていうのよ)
立ち止まって陽介と向き合う。じっと陽介の顔を上目遣いに睨む。脳内変換された可愛い顔にゴクリと唾をのむ陽介。
綾香「陽介、あんまりしつこくすると花に嫌われるよ?」呆れた顔で。
陽介「き、嫌われる……?」
呆然とした顔を再度花に向ける。花は、ショックを受けた陽介を見て心が痛んだが、こくりと頷いてみせる。
花「陽介のこと嫌いにはなりたくないから……とにかく、今日は無理! ごめん! バイバイ」
花は走り去る。
陽介(きらい……? きらい……。き、きらいいいいいいいっ⁉)脳内に「嫌い」のエコーが響き、絶望する。
綾香「諦めたら? お金が絡むと手が付けられないの知ってるでしょ」
陽介「……諦められるかよ、もうかれこれ3年近いんだぞ⁉」
俯き、拳を握りしめ悔しがる。
綾香「知ってるわよ。恋愛に疎い花に変な虫が寄ってこないように根回しまでしてね」「よくやるわ」
花に色目を使う男子を睨みつけて退治したり、花にくっつきまわって彼氏アピールしたりしていた陽介。おかげで花はこれまで彼氏ナシ。
陽介「とにかく、俺はなんとしても結婚を阻止するからな!」
綾香「嫌われても知らないからねー」
燃える陽介を置き去りにして先に歩き出す綾香。

〇オフィス・翔琉の執務室
花「お疲れさ……?」
作った夕飯をお盆に乗せて室内に入った花は、異変に気づく。
花(タイピング音がしない……。ね、寝てる⁉)
見れば、椅子に腰掛けたまま、うつらうつらと船をこぐ翔琉の姿があった。
花はこの前買ったキャスター付きラックを引っ張り出してその上にお盆を置いた。
思いつめた表情で眠る翔琉を見つめる。
花(うん、今日こそ翔琉さんを寝かせる……!)
決意して、花は翔琉の肩をそっとゆすった。
花「翔琉さん、こんなところで寝たら風邪引きますよ」
翔琉「……ん……、あぁ、悪い……寝てた俺」
花「休憩室で仮眠取りましょ」
翔琉「いや、もう大丈夫……」
眠たそうな顔に呆れる花。
花「……どうしてそんなに寝たくないんですか? 今、急ぎの仕事あるわけじゃないんですよね、お兄ちゃんから聞いたので知ってますよ」
翔琉「……もう目が覚めた」
花「駄目です! 体調管理者として黙っていられません。こっち来てください」
翔琉の腕を引っ張ると、翔琉は椅子からよろけるように立ち上がる。
花(ほら、抵抗する力もないじゃない)
翔琉(ダメだ……頭が重くて……、でも寝たくない……)
翔琉「いや、だ……」
花「じゃぁ、ソファで横になるだけでいいですから」
座らせて肩を押せば、翔琉はなすがままにソファに倒れ込む。
目はぎゅっと固く閉じられ、眉間には皺が寄っている。
寝たくないのに、もう目も開かないようだった。
花はエプロンのポケットに忍ばせていた、蒸気のでるホットアイマスクを開封して翔琉の目にあてがう。数秒でラベンダーの香りが漂い始めた。
翔琉がアイマスクを外そうと手を挙げる。
花「少し我慢してください」と、その手を握って阻止。
手は抵抗する力もなく大人しくなる。
花「熱くないですか?」
声を潜めてそう聞くも、返事はない。寝たようだった。
花(やっと寝た……)
安心して安堵の息を吐く。
花(何か上にかける物を、わぁっ)
手を握ったままだったのを忘れて立ち上がった花は、翔琉の手に引っ張られて翔琉の上に倒れ込んでしまう。
花「ご、ごめんなさい」
謝るが返事はない。更に起き上がろうとする前にもう片方の手が花を抱きしめる。
花「か、翔琉さん……?」
やはり返事がなく、寝ぼけているようだ。
花(嘘、寝ぼけてるの? 抜け出せないよぉ~)
焦る花。