〇学校・教室
翌日。
急いで帰りの支度をする花。
花(えーと、今日はスーパーで買い物してオフィス行ってご飯作って……)
予定を頭の中でシミュレーションする花に、友人の綾香が声をかける。
綾香:茶髪ショートのボーイッシュ。花とは中学から同じ腐れ縁。

綾香「花~! 今日帰りにモスド付き合わない?」
花「あーごめん、今日用事あって。っていうか、今日からずっと放課後は忙しいかも」
綾香「えっ? もしかしてバイト始めた? 優さんの許可下りたの?」
花「いやぁ、バイトというか、なんというか……。ちょっと耳かして」
綾香に結婚することを耳打ちする。
綾香「はあああ? けっ、けっ――」
花「しーっ!」綾香の口を両手で塞ぐ。
綾香「えっ、ちょっと、花」
花「ごめん綾香、今時間ないから、夜電話するね! あ、このことは秘密だよっ」
鞄を肩にかけて花は走って学校を後にする。
綾香(どういうこと~?)

〇オフィス・LDK
初仕事に燃える花。両手には買い物の袋。
花「お疲れさまです! 今日からお世話になります、よろしくお願いします!」ぺこりとお辞儀。
※兄の優は営業で外回り中のため不在。
花モノ『この二人は山戸さんと狹川さん。翔琉さんとお兄ちゃんの会社で働いている大学の後輩さん』
山戸「うーす」
狹川「お疲れさまー」「花ちゃん、わかんないことあったら気軽に聞いてくれていいからね」
花「ありがとうございます!」
花はキッチンに買い物袋を置き、自前のエプロンと三角巾を装着し、買ってきた野菜ジュースを手に翔琉のいる執務室へと向かった。

〇翔琉の執務室
ノックをして少し待ってからドアを開ける。
花「翔琉さん、おはようございます。今日からよろしくお願いします」
翔琉「んー、よろしく」
手も止めず、モニターからも目を離さずに言う翔琉の気のない返事。
肩をすくめつつ、ストローパックの野菜ジュースをデスクの端にひっそりと置いてキッチンへと戻る。

〇キッチン
まず炊飯器をセットしてから、テキパキと夕飯と翔琉の小腹に溜まるようなお菓子をせっせと作っていく。
花(えっ、タイマー付きコンロ⁉ こっちはスチーム機能付きトースター⁉ 何これハイテク!)
オーブンレンジにコンロにグリルと全てが最新家電で高機能に感激しながら作る花。
徐々に漂う美味しい匂いをスタッフがくんくん。
山戸(うまそう……)
狹川(俺らの分……ないよな)

花「これでよし!」
後は焼き上がりを待つだけとなった花は、翔琉のいる執務室へと向かう。
花「失礼しまーす」
床に散らばるごみを片っ端からごみ袋に放り込んでいき、床、窓、壁を拭いていく。
その間、翔琉は我関せず。花の存在にも気づいていない。
残すは翔琉のデスクの上の散らかった書類の山。
花(うーん、勝手に触ったら怒られそう……)
モニターを凝視する翔琉と書類を交互に見た後、諦めて部屋を出る。
他の部屋やトイレ、お風呂場などの掃除を簡単に済ませた頃にお菓子が焼き上がる。
花(やることなくなった。さて、どうするか)
少し試案したのち、花はダイニングで作業する二人のスタッフに恐る恐る話しかけた。
花「あのぉ……、ちょっとお聞きしたいんですけど……」
山戸・狹川(な、なんだ?)と顔を見合わせる。

〇オフィス・執務室
一息ついた翔琉が伸びをしてマグカップのコーヒーを飲もうとするも空。
翔琉「あー、くそ」顔をしかめる。
ふと室内がスッキリしていることに気づく。
翔琉(あぁ、優の妹か……ん?)
デスクの端にある野菜ジュースを手に取る。
翔琉(そう言えば口内炎が……)
口の中の痛みを思い出して、翔琉は仕方なくストローを差して口に運んだ。
シトラスミックスのそれはくどくなく、えぐみもなくスッキリと喉を通る。
翔琉(悪くないな)
気づけば飲み干していた。
翔琉(にしても、やけに静かだな……)
さっきまで花が世話しなく動く気配が一切消え、翔琉はダイニングへと向かう。

〇ダイニング
カチャ
ドアが開き、現れた翔琉に手を止めて挨拶する山戸・狹川。
山戸・狹川「お疲れさまです」
翔琉「お疲れさまー、進捗問題ないよね」
山戸「はい。問題ありません」
室内を見回す翔琉。それを見て狹川が声をかける。
狹川「花ちゃんなら買い出しに出かけましたよ」
翔琉「……そう」(花「ちゃん」……? えらい打ち解けてるな)
翔琉は香ばしい匂いに釣られてキッチンへ向かい、クッキーを一つかじる。
翔琉「あ、うまい」
山戸「え?」
翔琉「山戸と狹川もクッキー食べる? 休憩したら」
山戸・狹川「いいんすか⁉」
嬉々として飛んできた山戸と狹川はクッキーを頬張った。
狹川「美味いっす」
山戸「うわ、ホントだ、売ってるやつみてー!」
翔琉「はい仕事戻るー」
ぼりぼりと二つ三つと手を伸ばす二人を、翔琉はなんとなくムッとした表情で見て追いやる。
山戸「翔琉さん、可愛い上に料理上手な奥さん貰えて幸せですねー」
狹川「いいなぁ、俺もそんな奥さん欲しいっす」
翔琉「狹川はまず彼女作らないとな」
狹川「うぅ……」
山戸「それな! はは」
狹川「笑うんじゃねぇ」
じゃれ合う二人を放って、翔琉はコンロの鍋の蓋を開ける。
翔琉(おっ、煮物。……煮物なんて食べるの久々だな、どれどれ……)
煮物のこんにゃくをつまんで食べる。
翔琉(ん、味が染みてて美味い。……料理の腕はまずまず合格)
花『ありがとうございますっ! 精一杯やらせてもらいます!』
嬉しそうな花の顔を思い出して翔琉はフッと笑った。
翔琉(変なヤツ)

〇買い出しからオフィスへの帰り道・日暮れ時

両腕に手提げ袋、両手にはプラスチックの大きな収納ラックを抱えて前が見えない状態で歩く花。
翔琉のクレジットカードで買い物をしてきた所。

花「う、買いすぎた……」
(でも全部必要な物だから、大丈夫だよね……?)
怒られやしないかと冷や冷やしていると、突然ひょいっと手が軽くなり視界がひらける。
ラックを抱えた翔琉があきれ顔で立っていた。
花「あっ、翔琉さん、どうしてここに?」
翔琉「何時だと思ってんの?」
花「えっと……、6時半ですね。スマホ忘れたんですか?」
スマホを出して時間を確認する頓珍漢な花にイラつきを隠せない翔琉。
翔琉「そうじゃなくて、全然帰ってこないし、連絡も取れないし……」
花「あ! もしかしてお腹空きました⁉ すみません、帰ったらすぐ準備しますね!」
翔琉「違うって! もういい、さっさと帰るぞ」
花「は、はい」(なんで怒ってるんだろ?)
不思議そうに翔琉の後を必死についていく花。

〇オフィス・ダイニング
花「ありがとうございました」
マンションに着き、荷物を運んでくれた礼を言う。
花「ご飯すぐ作ります!」
急いで夕飯の支度に取り掛かろうとする花の手を翔琉が掴んだ。
花「? あの、翔琉さん?」
無言の翔琉に、なんだなんだ、と山戸・狹川の視線が向けられる。
恋人の振りをしている手前、翔琉はちょっと思案したのち、花の両手をそっと握り優しい表情を向けた。
花「えっ」
少し前かがみになった翔琉の端正な顔が近づき、どきっとする。
翔琉「花、重たい荷物もって疲れただろ、ちょっとこっちで休憩しなよ」
花「あ、いや、私疲れてな、」
翔琉「いいから、こっちおいで」
手を引っ張りそのまま翔琉の部屋に連れていかれてしまう。
山戸(あんな優しい翔琉さん初めて見た)
狹川(翔琉さん彼女には甘い派かぁ)
見て見ぬ振りする山戸と狹川。

〇執務室
翔琉「ん」
ドアを閉めて振り向いた翔琉は、スマホを花に差し出す。その顔は、さっきまでとは違いいつもの無愛想な顔に逆戻り。
花(え、なに、どういうこと……?)
翔琉「連絡先教えて。結婚するのに知らないとかおかしいだろ」
花「はっ、そうですね! 気が利かずすみません」
連絡先を交換する二人。
翔琉「あと、人前ではさっきみたいに恋人の振りするからな。花もそれっぽく振舞うように」
花(あ、さっきのは、そういう……びっくりしたー、急に手握るから、心臓に悪いよ)
胸をなでおろしつつ、勘違いした自分が少し恥ずかしい。
花「……思ったんですけど、山戸さんと狹川さんの前では別にそこまでしなくても……」
翔琉「敵を欺くならまず味方からって言うだろ。人の口には戸が立てられないからな」
言いながら、翔琉はデスクに寄りかかって腕を組む。
花「でも、私上手くできるかどうか……」
これまで誰とも付き合ったことのない花は不安で両手を握った。
翔琉「上手くも何も、普通の恋人っぽくすればいいんだよ」
花(その普通がわからないんです)
俯く花に察した翔琉は目を見開く。
翔琉「もしかして、男と付き合ったことない?」
こくんと頷く花を見て、翔琉は額を押さえて俯き、大きなため息。
翔琉「マジかよ……はぁ~」
それを見た花は、使えないと解雇されてしまうのではと焦る。
花「か、翔琉さん! どうか首にはしないでください!」
花はそう言って、体を90度に折り曲げて頼み込む。
花「なんなら研修期間として給料減らしてくれていいので! ご指導お願いします!」
翔琉「ご指導? なんのだよ」顔を上げて花を見る。苛立ちながら。
花「だ、だって、翔琉さんは、その、男女のあれこれについて経験豊富ですよねきっと……」(秘書さんに言い寄られちゃうくらいだし)
翔琉「……あのさぁ、自分が言ってる意味、わかってる?」
デスクから離れて、花に近づく。前髪を手でかきあげて。色っぽい仕草にどきり。
花「い、意味と言いますと……ひゃぁっ」
いまいちピンときてない花の腰に腕を回して抱き寄せる。右手は花の顎を捉え、上を向かせる。
翔琉に伏し目がちに見つめられ、頬を赤らめながらも冷や汗が流れる花。
花(ち、近い……)
翔琉「男女のアレコレがどういうことか、わかってんのかって聞いてんの」
花「えっと……それは……」目を泳がせて。
翔琉は花を見つめたままゆっくりと顔を近づけ、鼻先が触れ合った。
花(えっ! えぇっ! まさか、き、キス⁉)
目をぎゅっと瞑る花。
唇が触れそうになる直前で、翔琉は花のおでこに頭突きをかます。
花「いったぁ~い!」
翔琉「ばあか。近づいただけでそんな真っ赤になってたらすぐバレるだろ。これから距離詰めてくから、慣れてけよ」
花「は、はい、頑張ります!」
翔琉「……、仕事に戻るから出てけ」
花「あっ、夕飯は?」(お腹空いてたんじゃないの?)
翔琉はデスクに戻り仕事モードに入ってしまい、返事はなく、花は諦めて部屋から出ていく。
――パタン
ドアがしまってから、翔琉は手を止めて口元を手で覆う。その顔は真っ赤。
翔琉「……あっぶねー」(危うくキスするとこだった……)