〇マンションの寝室 朝、ダブルベッドの上

スプリングが効いたベッドの上。
温かさを感じて心地よさげに微睡む花。

浜家花(はまいえはな):黒髪ストレートの長い髪に黒目の純日本人。容姿は普通だが、小動物っぽい可愛さがある。

花(アラームが鳴るまで、もうちょっとこのまま……)
寝返りを打った花は、とん、と何かにぶつかり重たい瞼を持ち上げる。視界いっぱいに映ったのは眠る翔琉(かける)の端正な顔。
花「いやぁあああっ!」
驚いて両腕で翔琉の胸を押しやるが、花の体に腕を回してがっちりホールドを決め込んでいるせいでびくともしない。
翔琉「んー、朝からすげー声」
大声に顔をしかめる翔琉。
花「か、翔琉(かける)さんっ! どうしてここに!?」
結城翔琉(ゆうきかける)21歳。普段、人当たりは柔らかいが、仕事に関しては鬼。鉄壁のエンジニアの異名を持つ。

驚く花。翔琉はゆっくりとした動作で片肘をついて花を見下ろす。
その顔は、くっきり二重の切れ長の瞳に高い鼻梁、薄い唇は美を計算しつくされ然るべき場所に置かれていて美しい。
花モノローグ『21歳の翔琉さんは、大学生にしてベンチャー企業「Re:WORK+(リワークプラス)」のCEO。プラットフォーム開発のスペシャリスト兼新進気鋭の起業家として雑誌にも取り上げられたことがあるくらい有名な人』
至近距離の翔琉に、ドキリとする花。男慣れしていない花にはこの近さが耐えられない。
翔琉「どうしてって、ここ俺の家だし」
花「いや、まぁ、そうなんですけど……」
花(聞いていた話と違うじゃない)
花「だって、家には帰ってこないって」
翔琉「ほとんど(・・・・)な」
確かに翔琉は「ほとんど家には帰らない」と言ったのを花は思い出す。
花「で、でもっ、だからって同じベッドで寝るのはどうかと……」
翔琉「他にベッドないんだからしょうがないだろ」
花(あぁ、会話が通じない)
花「と、とりあえず、この腕離してください」
腰に回った腕をぐいぐい押すが、動かない。
翔琉「んーどーしよっかなー」
何がどうしてそこで悩むのか、花は呆れる。
花「ふざけないでください」
翔琉「ふざけてないけど?」
いたずらな笑みを浮かべて翔琉は言う。
翔琉は花の腰に回していた腕に力を込めて自分へと引き寄せると、花の体に覆いかぶさった。
花「わ、え、ちょっ」
ずっしりとした重みは、花の動きを完全に封じ込める。
翔琉の手が腰と背中に回されて抱きしめられてしまった。息苦しさを感じるくらい二人の体は隙間なくぎゅっと密着した。
そして、甘い声が花の耳元で囁かれる。
翔琉「――だって、花は俺の奥さん(・・・)だろ?」
かあっと顔が赤くなる花。
花(前途多難~~~!)

花モノ『そうなんです、私、訳あって翔琉さんのかりそめの奥さんやってます――』

〇花と優のぼろアパート・夜
さかのぼること数週間前のある日。
制服姿の花が台所で夕飯を作っている。
花モノ『私・浜家花(高校3年生)は、兄・優(大学3年)とこのおんぼろアパートで二人暮らし。早くに両親を事故で亡くし親戚の家に居候していたけど、今は両親の遺産と慰謝料で慎ましやかに暮らしている』

優「ただいまー」
兄の(すぐる)が帰宅。気まずそうな顔で花の前までくる。
浜家優(はまいえすぐる):黒髪短髪の純和風イケメン。21歳・大学3年。翔琉とは大学が同じ。翔琉の起業した会社で共同経営者として働いている。

花「あ、お兄ちゃんお帰りなさい」
優「あー、花、えっと、お前、来週の誕生日何欲しい?」
花「うーん、フライパンかなぁ? 最近焦げ付くようになってきちゃって」
優「はいはい、それはプレゼント関係なく買えばいいやつな。他に何が欲しいんだ? なんでもいいからお兄ちゃんに言ってみろ?」
花「なんかあやしい……」と疑いの目をむける。
目を泳がせる優に、花は包丁を持ったまま詰め寄る。
花「なぁんか裏があるでしょう! お兄ちゃんの羽振りが良い時は決まって裏があるんだから! もしかして、また麻央ちゃん怒らせた?」

麻央ちゃん:優の彼女。同じ大学

優「い、いや、そうじゃない、花、包丁! 包丁危ないから!」
花「じゃぁなに!」
じりじりと睨まれて、観念した優は両手をパンと合わせて頭を下げた。
優「翔琉と結婚してくれ! 頼む、この通り!」
花「はぁ? 結婚⁉」
目を丸くする花。

〇居間・ちゃぶ台の上、出来上がった夕飯を囲んで

出来上がった料理を花がちゃぶ台に運ぶ。
優「お、美味そう」
座りながら花が口を開く。
花「――つまり、許嫁との結婚を回避するために、私とかりそめの結婚をしたい、と」
優「その許嫁がとんでもないわがままお嬢さまらしくてな、もし翔琉が許嫁と結婚でもして翔琉の私生活に支障が出れば、うちの会社の存続が危ぶまれるって話なんだよ」
花モノ『今どき許嫁……そういえば、実家が財閥って言ってたっけ』
花は翔琉の整った顔を思い浮かべる。翔琉とは顔見知り程度。
優「お前来週で18歳だし、推薦でもう大学は決まってるから時間あるだろ? 翔琉と結婚して、翔琉の私生活をサポートしてやって欲しい! 1年でいいんだ! 頼むよ、引き受けてくれ!」
花「なんで私が? 嫌よそんなの」
優を睨む花。しかし優はニタァと不気味な笑みを浮かべる。その顔に嫌な予感がする花。
優「いいのかなあ~? 話も聞かずに断ったりして~?」口笛吹きながら。
花「えっ、何⁉ なになに⁉ もしかして美味しい話⁉」
優「あぁ、聞いて喜べ! なんと月収20万円! しかも手取り!」
花「手取り20万⁉」
花の目がお金になる。趣味は節約と貯金という守銭奴の花にはよだれものの話。
花(はっ! 駄目よ花、美味しい話には必ず裏がある!)
花「結婚するだけでそんな好待遇あやしすぎる! なにやらせるつもり⁉ まさか体の関係とか⁉」
優「バカかお前。曲がりなりにも妹のお前に体を売る仕事なんてさせるかよ」
花「じゃぁなにすればいいの?」
優「翔琉の奥さん役。ついでに体調管理だけ」
花「それで20万……、美味しすぎる。でも、嘘で入籍するのはなぁ……翔琉さんの家族を騙すってことだよね?」(気乗りしないなぁ)
優「いや、翔琉の両親は体調管理さえ出来るなら、結婚相手は別に許嫁じゃなくていいらしいんだ」
花「とは言っても……」
難色を示す花の肩を優が身を乗り出して掴む。
優「いいか、花、よく考えろ! 翔琉が使い物にならなくなったら会社は終わりなんだぞ? そうなれば、俺たちのこの生活はまた前みたいな極貧生活に逆戻りだ!」
花(前みたいな極貧生活……)
苦しかった超節約生活を思い出す花。
質素な食事、お風呂に浸かれるのも週1回、お弁当はおにぎり一個でお腹を空かせるシーン。
花(あんな生活二度と嫌……!)
優「この仕事を引き受ければ月20万、お前の好きに使っていいんだぞ。しかも、生活費は別で翔琉もちだから、まるまるお小遣いだ! 20万円まるごと貯金もできるぞ」
花「毎月20万円を貯金……⁉」(五カ月で100万越え、1年で……、そしたら大学の学費も払える……!)
瞬時に計算する花の目が再びお金になり光り輝く。
花「そ、それ乗った! お兄ちゃん、私、翔琉さんと結婚する!」
ちゃぶ台に両手をついて身を乗り出して叫ぶ花。
優「よし来た! それでこそ俺の妹だ!」(我が妹ながらチョロいな)
ガッツポーズを決め、お金で溢れる未来に思いを馳せる花と、肩をすくめる優。

〇オフィス・翔琉の執務室
室内には、タイピング音だけが響く。
虚ろな目でパソコンデスクに向かう翔琉の姿。
頭はぼさぼさで目には隈、生気に欠ける翔琉を見て口をあんぐりさせる花。
デスクの上は書類で溢れかえり、床にはエナジードリンクの空き缶やチリ紙などがあちこちに散らばっている。

花「ねぇ、お兄ちゃん、この人今にも死にそうじゃない?」優の袖を引っ張って。
優「だからお前にサポート頼んだんだよ」
花(いや、これは想像以上だわ……)
優「秘書を雇っても、すぐ辞めてったり辞めさせられたり……とにかく長続きしないし、放っておけばこの前みたいに病院騒ぎだからな」
お手上げだと優は首を横に振る。
優「おい、翔琉。花連れてきた」
翔琉「あー、その辺置いといて」
PCモニターから目を逸らさずに言う翔琉。その生返事っぷりに優は頭を抱え、花は苦笑い。
花「翔琉さん、こ、こんにちは!」
男しかいないはずのオフィスに女の声がして翔琉はやっと手を止めて顔をあげた。
翔琉「あ……確か。花だっけ? 引き受けてくれて助かったよ、ありがとう。上の部屋は好きに使ってくれていいから」
ゆっくりとした口調だが、突き放した物言いに花は少し驚く。
再び鳴りだすタイピング音。視線はモニターに戻される。
優「翔琉、花にはお前の晩飯の世話と体調管理を任せたからな」
翔琉「世話? 体調管理? そんなの頼んだ覚えないけど」
面倒くさそうに優を睨む翔琉。
軽く怒気を含んだその言葉に、花は話が違うじゃないかと優を見上げる。
優「お前、また秘書クビにしただろ」
翔琉「この前の女は言い寄ってきたから首にした。弊害でしかない。人選ちゃんとしろ」
花(言い寄る⁉ ひえー大人の世界! まぁ、翔琉さんのルックスじゃぁ仕方ないか、今は残念な感じだけど)
数回会った時の表向きの翔琉は、いつだって上品なテイストの洋服に身を包み、髪もしっかり整えたモデルのような身なりだった。
優「こっちだって最善は尽くしてるんだよ、お前のそのルックスこそ弊害でしかないな、まったく……」
翔琉「とにかく、結婚の振りだけしてくれてれば給料はちゃんと払うから、俺には一切干渉しないでくれ」
花「――それはできません!」
翔琉「は?」
花はずかずかと翔琉のデスクの近くまで歩く。
花「私、給料泥棒になるつもりありませんから! 引き受けた仕事はちゃんとやります! ちゃんと働いて20万円をゲットします!」
翔琉「だから、結婚の振りが君の立派な仕事。契約書も優から説明されただろ」
花「はい、ちゃんとされましたし判も押してます、翔琉さんの体調管理責任者(・・・・・・・)として!」
カバンから出した契約書をこれみよがしに翔琉に突きつける。
それを奪い取り目を通す翔琉、顔が険しくなる。その書類には、確かに花が翔琉の体調管理を業務とする旨が明記されていた。
翔琉「おい、優。話が違う」
優は睨みつけられてそっぽを向いた。
優「俺にまかせる(・・・・)って言ったのはどこの誰だったかなー」
花「もう判子押しましたから。契・約・成・立です!」
兄妹二人に詰め寄られ、翔琉は観念する。
翔琉「……あーっもう、分かったよ。俺の邪魔さえしなければ好きにしていい」
ぱあっと花の顔が明るくなり、翔琉は目を丸くする。
花「ありがとうございますっ! 精一杯やらせてもらいますので明日からよろしくお願いします!」(よしっ20万円分しっかり働くぞー!)
翔琉(なんだコイツ……)珍獣でも見る目。
優(こいつが根っからの奉公人気質で助かったわ)