デスクの上のキーボードがカタカタと鳴る。

ところどころで電話のコールが鳴っていた。

ざわざわとオフィスはやけに騒がしい。

美羽は、青白く光る画面を見つめ、
書類作りをしていた。

仕事中にしかつけない眼鏡をかけなおす。
横に置いていた資料を流し目しては、
またキーボードをカタカタと鳴らし、
横にあったマウスを操作した。

これを今日中に仕上げないと必死に
なって行っていた。

「朝井!今やっているのは、
 今日中に仕上がるか?」

 部長の木下は、デスクから声を荒げた。
 耳に受話器を挟んでいた。

「え? あ、はい。
 今日中には、できます。」

 慌てて、返事をする。

「……大変お待たせして
 申し訳ありません。
 今日には
 出来上がりそうです。
 大丈夫です。」

 美羽の言葉を聞いて返事をせずに
 電話の相手に話していた。
 受話器を乱暴に置いた。
 席を立ちあがり、
 美羽のデスクの横にまで
 近づいている。

「おい、本当に大丈夫だよな?
 先方に返事したから。
 確かに終わらせるんだぞ。」

「わ、わかってますよ。
 そうですね。
 今、15時だから、
 17時までには仕上げます。」
 
 壁掛け時計を確認して、
 パソコンを指さして、進捗状況を伝えた。

「あー、そうだな。大体それくらいだろう。
 任せたぞ!」

 木下は、美羽の肩をパシッとたたいては
 デスクに戻っていく。
 半ば、焦りを感じた美羽は、
 必死でパソコン画面にかじりついて
 書類作成に集中した。

 数時間後、
 背伸びをしては、ため息をついた。
 マウスを動かして、上書き保存ボタンを
 クリックした。
 やっと終わったと、確認用に印刷ボタンを
 クリックして、内容を確かめては、
 コピー機に走った。
 A4用紙に印字し、
 出来栄えはそれなりに納得ができた。

 美羽は小さな広告代理店に勤めていた。

 クライアントから依頼された
 商品のPRポスターや
 飲食店のメニュー表を
 作成したりしている。
 
 今回の依頼は、
 今流行りの
 メロンクリームソーダのイラストを
 可愛く作ってほしいというものだった。
 こだわりすぎて、
 納期よりも若干遅くなってしまったため、
 クライアントから急かされていた。
 
 (ペットボトルで買える
 メロンソーダが
 まさか870円で販売するなんて…。
 うまい商売するわ。
 まぁ、アイスが乗っていることで
 付加価値がついてるでしょうね。)

 データをクライアントの
 担当者直々にメールとともに送信した。

「部長、無事、
 クライアントの佐々木様に
 依頼されたデータ送っておきました。
 それで納得されるかは、
 見てもらってからですよね。
 …って、すいません。
 部長にチェックしてもらうのを
 すっかり忘れていました。」

 部長の木下のデスクの前に立ち、
 何度もお辞儀をした。
 部長は、コーヒーを片手に新聞を読んでいた。

「ん?送った?
 …ならいいや。間に合ったんだろ?
 あとは任せた。
 俺は、お前を信じる!
 次は、忘れずチェック出してね。」

「あ、はい。
 気をつけます。」

「朝井のデザインは
 俺はチェックしなくても
 大丈夫だって
 信じてるけどさ。
 納期は守ってくれよ。
 頼むから。
 電話出るの、神経使うよ?」

「ありがとうございます。
 そうですよね。
 ちょっとこだわりすぎて…。
 納期には間に合わせるよう、
 努力します。」
 
 デスクに戻っては、出来上がった
 今回のイラストを確認する。
 自画自賛で、気に入った作品に
 仕上がっていた。

 メールソフトを起動するとさっそく
 依頼主からの返答が来ていた。

『とても素敵な
 イラストありがとうございます。
 売上アップしそうです。
 感謝感謝です。』

 褒めてくれる言葉をいただけるだけで
 心は満足する。生きがいを感じる。
 ただの一瞬ではあるが、
 この仕事をやっていて
 よかったと思える瞬間だ。

 仕事上では、ホクホクしていても、
 拓海のことを
 思い出すともやもやすることばかり。

 会社の玄関を出たときから、
 プライベートな空間に変化する。
 
 仕事をしているときの方が
 落ち着いていたのかもしれない。
 仕事人間だったかな。

 でも、良いこともあれば、
 嫌なこともある。

 どんな依頼主でも、
 文句も言う人も世の中には存在する。

 作品の出来栄えは良くても、
 納期を守れないのなら、
 次はないとはっきり言う顧客も
 いることは確かだった。

 ため息の出ない日はない。

 美羽の仕事のやり方は、
 納期をいつも遅らせてしまうことが
 デメリットだった。

 その分、作品に注げる魂は大きいものだったが、
 それを快く受け入れてくれる依頼主は、
 10人に5人。
 50%の確率だ。

 その依頼主と会うのは、
 その運勢の問題かもしれない。
 
 作品を作るということは、
 どうしても時間を忘れて力を注ぎがちで、
 誰がどう考えてるなんて、忘れている。

 それが、プロなんだろうが、
 美羽にはどうしてもできなかった。



 街中で、歩行者信号の音が鳴り響く。

 美羽は首にぶらさげていた社員証をバックに入れて、
 スマホを取り出した。

 電話番号しか知らない颯太に電話をかけて、
 今日こそはライン交換をしようと
 考えていた。

「もしもし、颯太さん?
 私、美羽です。」

『……え。
 あー、あの時の。
 どうも。』

 酔っていないからか、そっけない。

「今、仕事終わったところ
 なんですけど、
 そちらはどうですか?
 もし都合がよければ…。」

『うーん、
 まだ仕事終わりそうにないな。
 いつも18時すぎるんだ。』

「遅くなってもいいですよ。
 明日、土曜日ですし。」

『……そっか。』
 
 本当は最上級に嬉しかった颯太は
 そんな素振りを感じさせないように
 答える。

「もし大丈夫なら、そうだな。
 駅前の居酒屋さんの…。」

『もしかして、ひょっとこ?』

「あー、そうです。
 最近、できたじゃないですか。
 知ってました?
 私、好きなんです。
 行きません?」

『…別にいいけど。
 終わったら、向かうわ。』

「店の中入って待ってますね。
 着いたら、教えてください。
 それじゃぁ。」

『ああ。』

 美羽は、心躍らせて、
 電話の通話終了ボタンを
 タップした。

 久しぶりにこれから始まる
 2人の関係性に
 ドキドキしていた。
 拓海のことなんて忘れてしまえと
 さえ思っていた。

 ウキウキさせながら
 スマホをバックにしまおうとすると、
 突然、電話が鳴った。
 
 スマホ画面には『拓海』と書かれていた。
 
 これを出るべきか放置すべきか考えた。
 耳にコールの音が響いた。