キスが唇に進んだおかげで、瞼の熱は涙とは別のものになっていく。
落ち着いたのか、麻痺したのか――大人しくなった私の背中をお兄ちゃんが撫でた。


「確認っていうか、言質取らせて。……一旦別れたいとか、そういう話じゃないよな」

「違います……! そんなの、絶対嫌です……」


ああ、でも。
止まらないキスも、髪を梳かれるのも心地よすぎて、このまま誘導されてしまわないかと残された理性がアラームを発動する。


「そのわりに、抵抗してるみたいだけど」


非難めいた口調じゃなくて、少し――結構意地悪にクスッと笑われるのもまた、思考力を奪う。
いや、ダメだ。
ちゃんと伝えなくちゃ。


「……だ、だから! 自分の問題を解決してから……」

「……いつ、するの? したら、何してくれる……? 」


解決、したら。
したら、私は――……。


「……私と、結婚してください」


お兄ちゃんと結婚したら、それですべて解決するのかもしれない。
仕事も、お金も、家のことすらも。
全部――お兄ちゃんのおかげで。


「……ダメ、ですか」


余裕すら感じるいつものお兄ちゃんに戻ってたのに、急に反応がなくて不安になる。
そうだよね。
女だって、何の保障もない「もう少し待って」は不安でしかない。


「……な、なんで笑うんですか……! 」


ちょっと待って。
ぷーっと吹き出されるプロポーズなんて、ある?


「だって、まさかそうくるとは思わなかった。あー、よしよし。拗ねないの。だから、拗ねたいのは俺の方だって」


雑な「よしよし」に憮然としてると、急に手つきか変わった。


「いいよ、もちろん。でもさ、それまで今の状態続けてもいいのに、って意見は変わらないから。そんな束縛彼氏を納得させる保障、何かあるわけ? 」

「……や、約束、とは……」

「口約束だけなんてダメ。ちゃんと俺を安心させて。まゆりが俺だけでいてくれるって。初恋の人でも、幼馴染みでも、昔の許婚でもなくて。俺の彼女が婚約者になったんだって。……まゆりが教えてくれるんだろ」


言葉だけじゃダメなんて、どうすればいいの。
契約書でも書く?
そうだ、指輪?
でも、お兄ちゃんに似合うようなものはすぐには準備できないし。
そういうことじゃなくて、やっぱりあっち?
キスとか、いや、それはもうしてるし、もしかしてもしかして――……。


「……なんか、イロイロしてくれるんだ。それとも、させてくれること考えてるの? 」

「なっっ……たとえば、何ですか……!? 」

「俺……“哉人さん”が聞いてるんだけど」


艶っぽい声にで囁かれて、盛大に声が裏返った。
でも、そこは笑わずに真顔で聞き返される。
お兄ちゃんが「にーに」を持ち出さずに、敢えて「哉人さん」と自分を表現したということは、それはやっぱりそういうこと。
じっと見つめてくる目は真剣で、何だか怖い。
冗談じゃない。からかってるのでもない。
それなら、私は――……。


「……わ、たしは、哉人さんなら……」


私たちの間で、それが約束になるのかは分からない。
でも、哉人さんをちゃんと男の人だと――この先結ばれたい人だと思っている証明にはなるのかな。
この前だって、既に覚悟していた。
だから、それが気持ちを伝えられるひとつの手段になるのなら。


「……馬鹿」


本気で心からそう思ったのに、そんな声が聞こえて。


「……ありがとな」


その言葉にしては、ものすごく甘く優しい。
恐る恐る哉人さんを見上げたけれど、ぎゅっと抱きしめられて顔を見ることができなかった。


(……馬鹿は哉人さんの方だよ)


あんなこと言っておきながら、きっと。
震えたのは、哉人さんの方だったから。