「……え……いや、なんで……逃亡してきたんじゃないんですか? あ、全っっ然、聞かなくていいんですけど!! 」


「匿ってくれ」なんて言っといて、ここは狭いから自分の家に行こうなんて意味が分からない。分かりたくもないけど。


「なんだ、意外と話が早いな。うん、そう。逃げてきたのは逃げてきたんだけど……別に追われてるわけじゃないんだ。というか、見つかること自体は構わないというか」

「……はぁ……」


(だから、どういうこと!? )


イライラするのをぐっと堪えて、できるだけ興味なさそうな返事をする。
そんな思惑をお見通しなのか、それともまったく気にも留めないのか、哉人さんは続けた。


「まゆりが俺のところに来てくれたら、万事解決する。と言うか、お前にしか頼めないんだ」

「……何でまた、私に……。ずっと会ってなかったのに、他に頼める人いなかったんですか? 」


子どもの頃、本人の意思に反した許婚なんて、他人でしかないだろうに。


「だから、俺を救えるのは、まゆりだけなんだよ。……許婚だったの、忘れた……? 」

「お、覚えてますけど。でも、あんなの子どもの言ってたことで……第一、お兄ちゃんには迷惑だったんじゃ」


急にしゅんとされて、焦って出てきた呼びかけ。
まさか、「にーに」なんて呼べるはずもないけど、それも十分恥ずかしい。


「そんなことないよ。まあ、本気にはしてなかったけどな。だって、まゆり、親に俺のどこが好きなのかって聞かれて、何て答えたのか覚えてるか? 」


覚えてない。
忘れた。
いや、何だか分からないけど、絶対恥ずかしいから思い出させないで……!!


『ん……っと〜。…………お顔? 』


「……って、俺の膝で言うんだからな。本気にできないだろ」


(…………幼女の私よ)


「…………そ、それはー!! こ、言葉を知らなかっただけで、顔そのものってわけじゃ……」

「なんだ、顔は好みじゃなかった……? 」


必死で否定したけど、そう言われると弱い。
タイプなんてそうそう変わるもんじゃないと、実感してたところだ。


「冗談。でも、顔だけが好きなんて正直に言われたのはまゆりだけだし。今後もまあ、ないだろうな」

「…………その際は、失礼しました」


そんなこと言ってない。
でも、からからと楽しそうに笑う哉人さん――お兄ちゃんは、あの頃の記憶を精一杯辿っても新鮮で。
今度は訂正することができなかった。


「いーえ。そんなわけで。ずっと、逃亡し続けてたんだけどさ。三十超えるとね、逃げ続けることが難しくなってきて。世間一般的には、今時珍しいことでもないけど、知ってのとおりうちはさ。俺、この前誕生日だったんだけど、ついに逃亡不可能になったわけ」

「話がよく見えないんですけど……つまり、結婚を催促されてるってこと? 」


私たちの家は、ちょっと普通の感覚とはズレている。
だから、何となく想像はできるけど、何も音信不通の元許婚なんかを頼らなくちゃいけないほどなんだろうか。


「平たく言えば、そういうこと。ただ、本当にそんなもんじゃなくて……このままいくと、強制的に見合いさせられそうで。見合いって言ったって、一回ちゃんと会えばそれが最後だからさ」

「それにしたって、他にいなかったんですか? お兄ちゃんなら、話合わせてくれる相手なんていくらでも……」


(……その顔)


困ったようにどこか遠くを眺めた後、ふっと笑って私に焦点を合わせた時の、その優しい表情。


「……で、今度はその人から逃げなくちゃ、だろ」

「……そっか」


最後に見てどれだけ経っても、まだドキドキする。
その事実にびっくりして、お兄ちゃんがどうしてそんな顔をしたのか気がつかなかった。


「だからさ、俺のところに来て。で、さ」


――約束どおり、にーにのお嫁さんになって。お願い。