お兄ちゃんの首に腕を回すのが、怖いと思った。
自分からしたことなのに、今は他に誰もいなくて演技する必要もないのに。
そう思って初めて、私は自分を試したかったんだって気づく。


(ドキドキしてる……)


不慣れだからじゃない。
経験がないからじゃない。
お兄ちゃんにくっついたから、胸が鳴ってるんだ。


「なんだ。予行練習か? ……そんなの必要ないくらい、まゆりは日に日に演技が上手くなってるけど。ちょっと、つまらないかも」


(……ムカつく)


驚いたのは一瞬だけで、それもほんの少し目が丸くなっただけなことにイラッとして。
その後すぐ、悲しくなって。
ああ、私、どうして――なんて、まだしらばっくれるの。


「お兄ちゃんと違って、演技なんて下手ですよ。そんな私に頼んだんだから」


『そうなっても、まゆりなら問題ない』
あの時、お兄ちゃんはそう言ったけど。
本当は、やっぱり困るんじゃないかな。
緊急事態だから、他にいなかったから私のところに来ただけで。


「もっといっぱい、困ってください。私だって……」


――まさか本当に好きにならなれたら、迷惑なんじゃないかな。


「私だって、どうしていいか分からなくて困ってるんです」


臆病のくせに、どこまで「演技」で許されるのか試したがる。


「お兄ちゃんは“相変わらず”って言うけど、私だって、もう、めちゃくちゃだけどいい子だったまゆりじゃないんです」


「いいこいいこ」を不満に思いながらもくすぐったかったのは、私が小さないい子じゃなくなったから。
今だって困らせるだけ困らせて、その一言を言おうとはせずに反応を窺うだけ。


「私、悪い子なんです」


ううん、それすら違う。


「まゆ……」

「……って言ったら、どうします? やっぱり、お金お返しして、契約解除ですよね」


お兄ちゃんの返事を待ってる。
こんな曖昧な言い方でも、お兄ちゃんなら気づくはずだと思って、言ってもいないことの返事を促してる。


「……俺の想像が当たってるなら、確かに悪い子だな。でも、俺がそれすら自分のいいように持っていく悪い大人だとは思わなないの。そんなこと思いもよらないのなら、まゆりはまだまだ可愛いいいこだよ」


(……分かってるんだ)


どうあっても、私はお兄ちゃんや依子さんのところには行けない。
そんなこと、知らなければよかった。
察する能力なんて、中途半端に大人なスキルなんて欲しくない。
昔みたいに、自分に都合の悪いことは何にも知らずにいられたら。

――大好きだって、今、言えたかもしれない。

そんな勇気も厚かましさも今はなくなってしまった代わりに、狡いことは覚えていくの。


「にーに、一応、お前よりは大人だからさ。……言っていいよ」


「何を」を尋ねる間は、十分あったのに。
お兄ちゃんは、それを私に言わせないでくれた。


「……っ、ん……」


腕に掴まることも、背伸びすることもできた。
ふと優しく笑うのが聞こえたから、きっと合ってる。
何もかも分かったうえで、自分から行動しながらも私の好きにさせてくれてるんだ。


「言ってごらん。“責任とって”……だろ」


ゆっくりと離れた唇がそのまま耳元で囁いて、くらりとしたのは。
爪先立ちしてたからじゃなく、もしかしたら、予想もしてなかったキスのせいでもなく。


「言わないの? せっかく、今なら俺も責任とるって言えるのに。……やっと、なのにな」


あまりにも、その声が色っぽかったからかもしれない。


(……そんなこと、もう言えないよ)


私も大人だから。
誰に追いつけなくても、私は私なりに成長してきたし、してしまっている。

――だから。


「……好きです……」


――自分自身に、責任とらなくちゃ。