「やれやれ、邪魔者は退散するよ」
「グランヴィル卿……」

 踵を返した彼の背中に、どのような言葉をかけるべきなのか迷ってしまう。
 急に告白してきた時はなんて軟派な人だろうと思っていたけれど、彼は常に気にかけてくれていたし、助けを求めるとすぐに戦場から駆けつけてくれた。

「約束を、守ってくれてありがとうございました」
「いいのいいの、俺が一方的に約束したことだから気にしないでね?」

 後ろを向いたまま、ひらひらと手を揺らす彼の背を見送る。
 
「彼のことが気になりますか?」

 腰に回った《ダレン》の腕の力が、じわじわと強められていく。
 まるでグランヴィル卿に盗られないよう隠そうとしているようで、エドの顔でそのような子どもっぽいことをしているのが可笑しくて笑ってしまう。

「ええ、まあ……助けてもらってばかりだったからね」
「これだから、騎士は嫌いなんです。今も昔もお師匠様を誑かすから……!」
「昔は誑かされた記憶なんて無かったわよ」

 ダレンが来た頃に私の周りに居た騎士たちは、私のことは生きた史実書くらいにしか思っていなかったような連中だ。
 誑かされるのはもちろん、言い寄られることさえなかった。

「お師匠様が鈍感なだけなんです!」
「そうかい、そうかい。ダレンには私のことがそういう風に見えていたんだねぇ」

 わざとらしくわしゃわしゃと頭を撫でると、途端にダレンは大人しくなった。

(こういったところも変わらないわね)

 ダレンは昔から、撫でると大人しくなるのだ。
 いつもは大人ぶっているダレンが私の手にすり寄り、甘える猫のようにうっとりとした表情を見せるのが可愛らしくてついつい撫でてしまう。

「ダレン……ごめんね」
「どうして謝るのですか?」
「ずっと、アンタの気持ちを踏みにじっていてすまなかった」

 大魔導士なんて大層な地位を貰っていても、中身はとんでもなくちっぽけな人間だ。
 たった一人の大切なひとを傷つけ続けてきたのだから……。

 ダレンのためを思って求婚を断り、破門し、戦争に行くのを引き留めなかったが、本当のところ、それは何一つとしてダレンのためではなかった。ただの言い訳だったのだ。

 自分自身が、いつか訪れるダレンとの別れが怖くて一緒になる勇気を持てなかったから断り続けてきた。

「ダレンが死んだと聞かされて、自分の気持ちに気付いたのさ。いっぱい反省して、いつかダレンに再会した時に謝れるよう、記憶を日記に託したのさ」
「ああ、それで契約魔法の一部が変容して、お師匠様と再会してもお師匠様の記憶が戻らなかったのですね」

 《ダレン》の青い瞳が私の顔を覗き込む。
 いつの間にか彼の瞳の中にも金色の環ができており、存在を主張するようにきらりと光った。

 私たちの運命が引き裂かれないよう環になり繋がった証。

「お師匠様の気付いた気持ち、聞かせてください」
「……私は、ダレンと一緒に居たかった。だけどいつかダレンとの別れが来るのが怖かったんだよ」
「お師匠様……」

 熱っぽい眼差しを向けられ、心臓がどくどくとうるさくなる。
 逃げるようにして顔を背けたが手遅れで、ダレンの手にやんわりと前に向けられると、唇が塞がれた。

「謝る必要なんてありません。かなり遠回りしましたが、ようやくお師匠と結婚できて幸せなのですから」
「けっ……結婚……」
「ええ、結婚式までにお師匠様の記憶が戻ってとても嬉しいです。こんな奇跡が起こるなんて、女神様は本当にいるのですね」

 戦争のことですっかり頭から抜け落ちていた。それに、前世の記憶を思い出したこともあり、すっかり忘れていた、とも言い訳させてもらいたい。

 ダレンと一緒に居たいという気持ちに偽りはないが、前世では「こんなことになるなら結婚すればよかった!」と後悔した私だが、前世と今世の記憶を合わせても一度も経験のなかった「結婚」は未知の領域で、するとなれば少々勇気がいるのだ。

「ダレン、少し時間をくれないか? 逃げたりはしないが、心の準備をさせてほしい」
「なぜです?」

 青い瞳が翳り、そこはかとなく危うい雰囲気が《ダレン》から漂ってくる。
 これはまずい、と本能が危険信号を発し始めた。

「私とお師匠様では年が離れているから、ですか?」
「そ、そうだ。百歳以上年が離れているんだぞ?」
「ああ、その事ですが――」

 《ダレン》は唇で弧を描き、心臓に悪いほど甘美で魔性の美しさを宿した微笑みを浮かべた。
 それはまるで、美貌で人を惑わし喰らってしまう悪魔のようで。
 射竦められて震える私を、舌なめずりしているように見えてしまった。

「今の私たちは年近い若者です。お互い結婚適齢期でちょうどいいと思いませんか?」
「うっ……」
「たった三つしか離れていません。前世のお師匠様が言っていた理想的な年齢差ですよ?」

 今の彼なら何を言っても諦めてくれなさそうだ。
 それどころか、先手必勝と言わんばかりに「慣れるために恋人らしいことをしていきましょうね」なんて提案してくる。

「お師匠様は私のことが嫌いですか?」
「き、嫌いではない」
「愛していない、と?」
「い、いや……愛しているけど……」
「嬉しいです。私も、お師匠様のことを深く愛しております」

 誘導尋問のような愛の告白であるのにも拘わらず、《ダレン》は本当に幸せそうに目を細める。
 やり方が強引ではあるが、純粋にまっすぐに愛情を向けてくれているのだ。

(……それなのに私は、まだ意地を張っているのね)

 何百年も生きているのに未熟な自分に苦笑した。
 ここはひとつ腹を括ろうと、深呼吸を一つして《ダレン》を抱きしめる。

「ダレンを愛しているよ。だけど臆病だから、気弱な事を言ってしまう。それでも許してくれるかい?」
「そんなところも全て含めてお師匠様の事を愛していますよ」

 もう一度ダレンが唇を触れ合わせる。
 軽く触れるだけだった彼を捕まえて、私も口づけを返した。