エスタシオンは魔法大国ということもあり、王都の至る所で魔法を使う人々を見かける。
 当たり前のように使われている魔法はわたしにとってはどれも珍しく、見かける度に足を止めそうになってしまう。

「フィー、離れてはいけませんよ」
「!」

 耳元にエドの口が寄せられて囁かれる。

 人ごみの中でもよく聞こえるようにそうしたのだと頭ではわかっていても、ドキドキとして落ち着かなくなる。

「う、美しい街ですね。白い大理石に空色の魔法石がよく映えます」

 近くにある大理石の彫刻を指せば、エドの表情が柔らかくなる。
 花が咲いたような美しい微笑み。
 それが向けられるのはわたしではない。

「あれらは全てこの街を守る魔法が掛けられた盾でもあります。大魔導士シンシアの遺した発明品ですが、彼女の死後百年経った今でも力が損なわれることなく稼働しています」
「……」

(ああ、まただ)

 大魔導士シンシアの話をするエドは、まるで恋人を想っているかのような表情になる。
 怜悧な美しさを湛える瞳に熱が宿り、いつもは固く結ばれている唇が綻ぶのだ。

 チクリと針で胸を刺すような痛みに襲われる。

(きっとわたしは……大魔導士シンシアに嫉妬しているんだわ)

 この醜い気持ちをエドに知られたくなくて、近くにある屋台を指す。

「あ! 人気のお店がありますね! 見に行ってみましょう!」
「まったく、遊びではなく社会勉強に来ていると言いましたのに――」
 
 呆れたように話すエドの瞳が、大きく見開かれた。彼はわたしと屋台を交互に見守る。

「……っ。まさか、いや……まだ繋がっていないのにそんなはずはない」

 小さく呟いたかと思うと、口元に微笑みを浮かべる。

「フィー、実はお腹が空いているので、一緒にあれを食べませんか?」
「いいのですか?!」
「ええ。これも社会勉強です」

 エドは店主に声を掛けて肉串を二つ買った。そのうちの一つを手渡してくれる。
 焼けた肉の芳ばしい香りと、肉につけられたソースの香りが合わさって食欲をそそる。

(ダレンが食べていたものと一緒だわ)

 ふと、視線を感じた。
 顔を上げればエドの青い瞳がじっとこちらを見つめている。
 その眼差しに得体のしれない強い感情が見え隠れして、身震いした。

「だ、旦那様……?」
「食べ方がわかりませんよね? 手本を見せますので真似してみてください」

 エドは上品に噛りつく。ダレンのように口元を汚すようなことはなく、丁寧に食べた。
 ナイフやフォークを使っていないのに、洗練された所作に見えてしまう。

「このようにして食べるのです」
「そうなのですね。わたしもやってみます」

 ぱくりと噛りつくと、口の中いっぱいに肉汁があふれ出てくる。

「美味しいですか?」
「ええ! とても!」

 わたしが食べ終えるのを見計らったかのように、エドの手が顎に添えられる。
 整った形の指先が頬を撫でるのがくすぐったく、むずむずとした感覚を覚える。

 そのまま親指が唇の輪郭をなぞり、与えられる刺激に胸が軋む。
 顔を上に向けられたのに驚いて身を引こうとすると、反対側の腕で抑えられた。

(唇が触れ合いそうなほど近い……)

 身動きが取れず、見つめることしかできない。
 戸惑い、緊張し、そして微かな期待を抱いていると、エドは唇の端を持ち上げて意地悪に微笑んだ。

「口元にソースがついていましたよ」
「~~~~っ!」

 エドはただ、子どもの頃のようにわたしの世話をしてくれているだけだった。それなのに少し期待してしまったのが恥ずかしくなり、頬が熱くなる。

「おやおや、大魔導士様が女性を誑かしているとは、珍しいものを見てしまったね」

 不意に声を掛けられて振り向くと、上品なフロックコートを着たおじいさんが一人、ベンチに腰掛けてこちらを見ていた。
 一連の出来事を見られていたようで、穴があったら入りたい。

「お嬢さん、そこの大魔導士様のように一見すると冷静そうな人ほど恋心を拗らせると厄介なものですよ。かつて大魔導士シンシアに仕えていた弟子もそうでした」
「大魔導士シンシアの弟子……?」
「ええ、彼は自分のお師匠様に恋をしていたのです。――禁忌の魔法を生み出すほど燃えるような恋を、ね」