その後、喫茶店に出勤してすぐのことだった。

 平日の昼前はまだ客が少なく、店主とのんびり話をしながらテーブルを拭いていたら、からんころん、とドアが開かれる。

「いらっしゃいま、せ」

 文乃は笑顔のままピシッと固まった。

 何故なら入口に立っていたのは他でもない、昨日会ったばかりの昴だったからだ。

 彼は今日もスリーピーススーツ──昨日とは些か趣が異なるカジュアルなもの──を着ていて、シックで落ち着いた店内に恐ろしく馴染んでいる。

 かつてこれほどまで喫茶店に似合う男がいただろうかと、文乃はついつい目を擦ってしまった。

「う、う、羽衣石さんっ?」
「どうも」

 そっと扉を閉めてお辞儀をした昴に、文乃も慌てて頭を下げる。そのついでにさりげなく彼の手元を見てみたが、今日は大金を持ち歩いている様子はない。良かった。

「おや、文乃ちゃんのお知り合いかい? ごゆっくり」
「ありがとうございます」
「ハッ、あ、ええと、こちらのお席どうぞ! メニューをお持ちしますね」

 店主の言葉で我に返った文乃は、すぐさま職務を全うすべく動き出した。昴に窓際の席を勧めて、おしぼりとメニュー、それから水を用意して盆に乗せる。

 再び昴のいるテーブルに向かえば、彼はやはり姿勢良く椅子に腰掛けて、長閑な街並みを眺めていた。

 ──座ってるだけなのに、絵になる人だな。

 文乃がその涼しげな横顔に魅入られていると、パッと彼がこちらを見る。危うく盆をひっくり返すところだったが、生じた焦りは笑顔で誤魔化した。

「こちらメニューとお冷です」

 ひとつひとつの動作に、昴の視線が付いて回る。目の前に何かが置かれるたび、反射のように小さく頭を下げるのが何だか可愛らしい。

 熱いおしぼりを軽く広げて手渡せば、両手で受け取った彼がホッと息をつくのが分かった。

「……外、寒かったですか?」

 文乃が控えめに尋ねると、弾かれたように持ち上がったアンバーの瞳が一つ瞬く。

「少し。ですが気温よりも、高良さんに会いに行くのだと思うと緊張してしまって」
「え」
「昨日の今日で申し訳ない。……あ。会いに来たと言ってもお仕事の邪魔をするつもりはありませんので、いつも通りに」

 できるか。
 真面目な表情でメニューを開き、「紅茶を一つお願いします」と普通に注文してきた昴に、文乃は何とか羞恥と混乱を押し殺しながら「かしこまりました」と応じた。