恋愛経験ゼロの御曹司様が札束で口説こうとしてきた

 ◇


「俺は今とても感動している」
「……」
「あのガリ勉メガネだった昴が三十手前になってようやく初恋に落ちて健気にアプローチを重ねて交際に至ったなんて、高校時代の俺が聞いたら多分ゲラゲラ笑って信じないと思う」
「そうか」
「反応うっす何も変わってないなお前、恋人ができたならもっと愛想良くしろ」

 昴は隣を歩く騒がしい旧友──半年ほど前、愛する恋人の五股が発覚して号泣した挙げ句、泥酔したまま昴を居酒屋に呼び出し浴びるほど酒を飲ませてきた迷惑極まりない男──郁人(いくと)の手をしっしと払う。

「文乃さんに愛想良くするならまだしも、何でお前に?」
「まぁ俺だってお前に突然笑いかけられても普通に困るけどさ。半年ぶりに会ったんだから俺の近況とか気にならん?」
「いや」
「新しい彼女ができました〜!」 

 街中であろうと構わずはしゃぐ大の男を後目に、昴はしれっと文乃とペアデザインの腕時計を確認した。

 午前十一時三十分──今日はせっかくの休日なので喫茶店にお邪魔しようと思って早めに出てきたのに、この男と偶然出会してしまったせいでいつもより三十分ほど時間が遅れてしまった。

「早く消えてくれないだろうか……」
「声に出てるぞ。はっきり言ってたぞ今、おい」

 郁人の声には答えずに、道路脇に停めておいた車に乗り込む。そのまま発進させても良かったが、昴はふと思い出し、助手席側の窓を開け、不満げな顔で立っている郁人に告げた。

「郁人」
「何だよ」
「半年前はありがとう」
「え? 何が?」
「お前に呼び出されていなかったら、文乃さんとは会えていなかったと思う」

 郁人はまんまるに見開いた目をぐるりと回し、再び昴へと戻す。

「……俺がキューピッドってこと!?」
「じゃあな」
「あー! 待て爽やかに立ち去るな! もうちょっと惚気けて行ってもいいんだぞ昴──」