涼しい風が吹いて、桜の花びらが舞う。
4月。あたしが大好きな季節。
優しいピンク色。
晴れやかな心にぴったり。
これから、楽しい高校生活がはじまるんだって…。
そう、信じてやまなかった。
「──お前、鈴森羽依?」
普段、聞きなれない声。
パッと顔をあげて見上げる。
マンションのエレベーターの中。
密室、ゆえに、逃げられない。
なんでフルネームを知ってるの、とか。
あなた誰ですか、って聞きたいことはたくさんあった。
だって、こんなかっこいい人、あたし知らないもん…!
「あーあ、ショック。俺は一瞬で分かったのになぁ」
落胆したように言われた。
そんなことを言われましても。
…でも、この顔、どこかで…?
「もしかして……」
小さく息をついて、もう一度その顔を見上げた。
でも、でも。
もしそうだとしても。
あたしの知ってる”彼”は、あたしのこと”お前”とか言ったりしないし。
かっこいいよりも可愛いが似合う男の子で。
穏やかで、優しくて…。
”友達”よりは”弟”みたいで…。
そう、言うなれば、”子犬”みたいな──
「これ見れば思い出す?」
差し出された保険証。
書かれた名前を見て、絶句した。
「ほっ……ほんとうに、ヒヨ…なの…?」
恐る恐る見上げたあたしに、ふっと笑いかけたその人。
懐かしい名前を呼んだ。
どうか否定してほしくて。
実は人違いでしたってネタバラシがほしくて。
…でも、現実は残酷。
「言ったろ、迎えに来るって」
──子犬って、放っておいたら成長するらしい。