「心ちゃんおはよう。あら、今日はなんか元気ないのね」

長い長い。下手すれば季節の半分を占めるのではないかと思えるくらい、唸るような灼熱の夏がようやく過ぎ去り、数ヶ月ぶりに清々しいと思える秋晴れの今日。

雲一つない真っ青な空の下。それとは対照的にどんよりとした表情で登校する私に、爽やかな笑顔で声を掛けてくれた綺麗なマダムの美代さん。

その隣には尻尾をこれでもかと振り回しながら、キラキラと輝くまん丸な黒目を私に向けてくるモフモフの茶色い豆柴。

「おはようございます。そうなんですよー。今回の調理実習がお菓子作りだから、もう憂鬱で」

朝からモチベーションだだ下がりの私は、少しでも気分を上げようと。駆け寄ってくる豆太に猫吸いならぬ犬吸いをしながらモフモフ感を思う存分堪能する。

そんな私を拒絶する事なく、嬉しそうに手を舐めて受け入れてくれる豆太はもう癒しの何者でもない。

「心ちゃん、もしかして甘いの苦手なの?」

すると、何気なく尋ねてきた美代さんの核心的な質問に、私は勢い良く頷いた。

「はい。砂糖が嫌いなんです。あと甘ったるいバターの味と生クリームも。私って根っからの辛党で塩っ辛いものが大好きなんで、甘いの食べると気持ち悪くなるんです!」

「……心ちゃんて本当に華の女子高生?見た目とは裏腹になんか酒好きのサラリーマンみたいな嗜好なのね」

そして、胸を張って自分の好みを主張したら、何故か若干引き攣り笑いをされた美代さんの反応が私にはよく理解出来ず、はて?と今度は首を傾げながらきょとんとした目で見返す。


こうして、いつも決まった場所で決まった時間に鉢合う私達。

始めは散歩をしている可愛い豆太に目が行き、そこで軽く会釈する程度だった。

けど、何度か会う内に人当たりの良い美代さんの性格もあって、今では気軽に話せる仲になっていた。

それから、美代さんの愛犬である豆柴の豆太という、至ってシンプルな名前を持つこの可愛い生き物に、私は毎朝癒され、活力を貰っている。

「うちの子なんて今日は朝から張り切っているわよ。自分の得意分野だからよっぽど嬉しいのね」

そう口元に手を当てながら、面白可笑しく話す美代さんの言葉に、私はどう返答すれば良いのか分からず、ただ苦笑いを浮かべるしかなかった。


……そう、話していて分かったこと。

それは、美代さんは私と同じクラスで、しかも学年一の爽やかイケメン王子と騒がれている佐伯(さえき)駿斗(しゅんと)君のお母さん。

始めに聞いた時はかなり驚いたけど、佐伯君とはまともに話した事は殆どなく、美代さんと同じ優しく穏やかな性格な故に、人気者でいつも人に囲まれていた。

一方、よく人から愛想がないと言われている私は、物静かな友達と大体教室の隅の方でひっそり過ごしている。

なので、対照的な私達はあまり接点がなく、会話をしても挨拶程度。

だから、私がこうして毎朝美代さんと会っていることも彼にはまだ話せていないし、敢えて話す気も起きない。

機会があれば話のネタとして残しておけばいいかと思っていたけど、結局そんなタイミングは訪れることなく、気付けば半年をゆうに超えようとしていた。

別にそれならそれで全然構わないと。
そう思っていたのに……。