4月1日
朝から痰を吸い取る。
そして眠たくなる薬を少しずつ
入れて行く。
まだ意識はあった。
少しは会話が出来た。
桜は咲いたかな?
見たいなあが
最後の最後の言葉だった。
その日から何にも喋る事もない
だんだん眠くなって来た。
4月2日
酸素マスクをつける
痰が詰まり取る
もう呼びかけても反応なし
薬が効いて来た。
4月3日
痰が詰まり
何回も吸い取る。
完全に反応がない。
目は開いてるけど
反応はない。
4月4日
目は開いているけど
反応はない。
完全に眠っって居た。
いつ心臓が止まっても
おかしくないと言われた。
4月5日
完全に眠りについた。
もう覚悟をして下さいって
はっきり言われた。
私は覚悟なんか出来ない。
4月6日に代わったぐらいに病院から連絡があって
血圧が下がって来ています。
もう今日がヤマですって言われ
今、行った方がいいですかと聞いたら
家が近いので大丈夫ですよ言われた。
そして午前5時過ぎに病院から連絡があり
もうすぐ来て下さいと言われ
私とお父さんは病院に向かった。
そして
お母さんは安らかな顔をしていた。
5時21分
ご臨終ですと言われ
お母さんは旅立った。
お父さんは葬儀屋さんとかに連絡して
私は弟と娘や親戚や従兄弟に連絡した。
そして私は彼氏に電話をかけた。
仕事中だったけど
どうしても声が聞きたくて
そしたら電話には出なくて
その後に電話がかかって来た。
どうしたって聞かれたから
お母さんが天国に旅たったよとって伝えたら
もう少しだから頑張れよって言ってくれた。
私は
ありがとう
頑張るよと言って電話を切った。
病室に戻り
看護師さんが死後処置をしていたので
私はそれをずっと見ていた。
死後処置が終わったので
荷物の整理をして
車に運んだ。
ちょっとしてから
葬儀屋さんが来て
お母さんを葬儀屋さんまで運んだ。
私と
お父さんは
看護師さんと主治医と一緒に
お母さんを見送った。
そして
私と、お父さんは
ありがとうございました
お世話になりましたと言って
葬儀屋に向かった。
お母さんは葬儀屋さんに着いていました。
そしてお布団に寝ていました。
顔には白い布がかかっていました。
そしたら親戚や従兄弟が来てくれました。
弟と娘も来ました。
そして
お父さんと弟は打ち合わせとか色々としていました。
私は
お母さんから離れる事が出来ませんでした。
とりあえず家に帰って
礼服に着替えました。
お母さんが来ていた礼服を来ました。
そしてまた葬儀屋さんに戻りました。
通夜が4月6日で
告別式が4月7日になりました。
お母さんの旅支度を家族でしました。
説明を聞きながら
そして棺おけに
お母さんを移動させました。
安らかな顔をしている
大好きなお母さん
まだ生きているみたいでした。
どんどん人が集まって来て
たくさんの人達が通夜に来てくれました。
さすがの大阪の従兄弟は間に合わなかった。
通夜が無事に終わって
親戚と従兄弟たちと食事をしました。
大阪からやっと従兄弟が来ました。
わざわざ来てくれて本当に感謝しかない。
大阪組は葬儀屋さんに泊まるので
ゆっくり休んでもらいました。
お寿司とか
おにぎりとか
オードブルとかを用意したので
みんなで楽しく食べました。
0時になったので
お父さんと私と娘はは家に帰りました。
弟は線香の番をしていました。
後は親戚は帰りました。
私はもうバタンキューでした。
そのまま寝てしまいました。
いよいよお別れの日になりました。
本当に亡くなったんだあって思ったけど
信じたくなかった。
告別式が始まり
私はもうずっと号泣していました。
最後のお別れの時には
写真やおtrがみを入れました。
後は千羽鶴も入れました。
そして綺麗なお花を入れてあげました。。
涙が止まる事はありませんでした。
出棺の時に使われた曲が
糸でした。
それで余計に号泣しました。
火葬場について
最後の最後のお別れが来ました。
顔を見た途端に
私はお棺にしがみつきました。
そしたら無理やり離されて
最後のお別れですと言われ
お母さんは火葬される場所に入りました。
そのスイッチを押したのは
お父さんでした。
お父さんは涙をこらえていました。
私は号泣して泣き崩れました。
お母さんは火葬されていきました。
お空にいきました。
お骨になるまで約30分ぐらいでした。
そしてお骨を順番にお骨入れに
入れていきました。
ずっと泣きながら入れていきました。
それを葬儀屋さんに持って帰り
初七日をしました。
そして
みんなで食事をしました。
お父さんが‘皆様に挨拶をしている時に初めて泣きました。
それまで我慢してたんだなと思いました。改めてお父さんはすごい人だと思いました。
食事会が終わってから
みんなをお見送りをして
私達も荷物をまとめて車に乗せて
お母さんと一緒に家に帰りました。
帰ってきたよ
家だよと私はお母さんに言いました。
涙が止まりませんでした。
私とお母さんは本当に仲が良い親子でした。
いつも一緒だったし
何処行くのも一緒だったし
氷川きよしが好きで一緒に
コンサートに行ったり
本当に色々な所に行きました。
私とって
お母さんは
かけがえのない存在でした。
お母さんの分まで幸せになるからね。
本当に心配ばかりかけて
ゴメンね。
これからは頑張って行くからね。
本当にこの世に産まれてよかった。
本当に
あなたの娘に生まれて来て良かった。
千晶を産んでくれて
本当にありがとう
天国で見守っててね。
大好きな
お母さん
大好きだよ
今までよく頑張ったね
ゆっくり休んで下さい。
本当にあなたの娘で良かったし
たくさんの幸せをありがとう。
大好きだよ
お母さん
終わり
朝から痰を吸い取る。
そして眠たくなる薬を少しずつ
入れて行く。
まだ意識はあった。
少しは会話が出来た。
桜は咲いたかな?
見たいなあが
最後の最後の言葉だった。
その日から何にも喋る事もない
だんだん眠くなって来た。
4月2日
酸素マスクをつける
痰が詰まり取る
もう呼びかけても反応なし
薬が効いて来た。
4月3日
痰が詰まり
何回も吸い取る。
完全に反応がない。
目は開いてるけど
反応はない。
4月4日
目は開いているけど
反応はない。
完全に眠っって居た。
いつ心臓が止まっても
おかしくないと言われた。
4月5日
完全に眠りについた。
もう覚悟をして下さいって
はっきり言われた。
私は覚悟なんか出来ない。
4月6日に代わったぐらいに病院から連絡があって
血圧が下がって来ています。
もう今日がヤマですって言われ
今、行った方がいいですかと聞いたら
家が近いので大丈夫ですよ言われた。
そして午前5時過ぎに病院から連絡があり
もうすぐ来て下さいと言われ
私とお父さんは病院に向かった。
そして
お母さんは安らかな顔をしていた。
5時21分
ご臨終ですと言われ
お母さんは旅立った。
お父さんは葬儀屋さんとかに連絡して
私は弟と娘や親戚や従兄弟に連絡した。
そして私は彼氏に電話をかけた。
仕事中だったけど
どうしても声が聞きたくて
そしたら電話には出なくて
その後に電話がかかって来た。
どうしたって聞かれたから
お母さんが天国に旅たったよとって伝えたら
もう少しだから頑張れよって言ってくれた。
私は
ありがとう
頑張るよと言って電話を切った。
病室に戻り
看護師さんが死後処置をしていたので
私はそれをずっと見ていた。
死後処置が終わったので
荷物の整理をして
車に運んだ。
ちょっとしてから
葬儀屋さんが来て
お母さんを葬儀屋さんまで運んだ。
私と
お父さんは
看護師さんと主治医と一緒に
お母さんを見送った。
そして
私と、お父さんは
ありがとうございました
お世話になりましたと言って
葬儀屋に向かった。
お母さんは葬儀屋さんに着いていました。
そしてお布団に寝ていました。
顔には白い布がかかっていました。
そしたら親戚や従兄弟が来てくれました。
弟と娘も来ました。
そして
お父さんと弟は打ち合わせとか色々としていました。
私は
お母さんから離れる事が出来ませんでした。
とりあえず家に帰って
礼服に着替えました。
お母さんが来ていた礼服を来ました。
そしてまた葬儀屋さんに戻りました。
通夜が4月6日で
告別式が4月7日になりました。
お母さんの旅支度を家族でしました。
説明を聞きながら
そして棺おけに
お母さんを移動させました。
安らかな顔をしている
大好きなお母さん
まだ生きているみたいでした。
どんどん人が集まって来て
たくさんの人達が通夜に来てくれました。
さすがの大阪の従兄弟は間に合わなかった。
通夜が無事に終わって
親戚と従兄弟たちと食事をしました。
大阪からやっと従兄弟が来ました。
わざわざ来てくれて本当に感謝しかない。
大阪組は葬儀屋さんに泊まるので
ゆっくり休んでもらいました。
お寿司とか
おにぎりとか
オードブルとかを用意したので
みんなで楽しく食べました。
0時になったので
お父さんと私と娘はは家に帰りました。
弟は線香の番をしていました。
後は親戚は帰りました。
私はもうバタンキューでした。
そのまま寝てしまいました。
いよいよお別れの日になりました。
本当に亡くなったんだあって思ったけど
信じたくなかった。
告別式が始まり
私はもうずっと号泣していました。
最後のお別れの時には
写真やおtrがみを入れました。
後は千羽鶴も入れました。
そして綺麗なお花を入れてあげました。。
涙が止まる事はありませんでした。
出棺の時に使われた曲が
糸でした。
それで余計に号泣しました。
火葬場について
最後の最後のお別れが来ました。
顔を見た途端に
私はお棺にしがみつきました。
そしたら無理やり離されて
最後のお別れですと言われ
お母さんは火葬される場所に入りました。
そのスイッチを押したのは
お父さんでした。
お父さんは涙をこらえていました。
私は号泣して泣き崩れました。
お母さんは火葬されていきました。
お空にいきました。
お骨になるまで約30分ぐらいでした。
そしてお骨を順番にお骨入れに
入れていきました。
ずっと泣きながら入れていきました。
それを葬儀屋さんに持って帰り
初七日をしました。
そして
みんなで食事をしました。
お父さんが‘皆様に挨拶をしている時に初めて泣きました。
それまで我慢してたんだなと思いました。改めてお父さんはすごい人だと思いました。
食事会が終わってから
みんなをお見送りをして
私達も荷物をまとめて車に乗せて
お母さんと一緒に家に帰りました。
帰ってきたよ
家だよと私はお母さんに言いました。
涙が止まりませんでした。
私とお母さんは本当に仲が良い親子でした。
いつも一緒だったし
何処行くのも一緒だったし
氷川きよしが好きで一緒に
コンサートに行ったり
本当に色々な所に行きました。
私とって
お母さんは
かけがえのない存在でした。
お母さんの分まで幸せになるからね。
本当に心配ばかりかけて
ゴメンね。
これからは頑張って行くからね。
本当にこの世に産まれてよかった。
本当に
あなたの娘に生まれて来て良かった。
千晶を産んでくれて
本当にありがとう
天国で見守っててね。
大好きな
お母さん
大好きだよ
今までよく頑張ったね
ゆっくり休んで下さい。
本当にあなたの娘で良かったし
たくさんの幸せをありがとう。
大好きだよ
お母さん
終わり



