春日の宮の珍道中 ドタバタ恋愛絵巻

 さてさてそれから日が経ちまして5月も12日になりました。 富士山へ出発しましょうか。
雪之丞はソワソワしてますよ。 余程に山が恋しいのでしょうねえ。
 成田君も一緒ですよ。 付き人の川村君と吉原君が運転します。
東京は練馬区の事務所兼住宅から出発でーす。 後部座席では雪之丞と成田君が楽しそうに話し込んでいます。
 今は夕方の4時半を過ぎたところ。 静岡側の登山口に着いたらみんなで一眠り。
午前3時くらいに出発して昼に中腹まで登れたらいいかって感じでしょう。 まだまだ登山シーズンではないのでね。
 現場に着くと登山口の脇に車を止めます。 誰も居ません。
「久しぶりに見るなあ。 富士山なんてなあ。」 「そうですねえ。 3年前に登ったきりですからね。」
荷物も確か寝て4人は寝入ってしまいました。

 さあさあ気付いたら朝ですよ。 山宮では巫女たちが忙しそうに走り回っておりまする。
葵殿も部屋を出て冷たい空気が流れる山肌を見ながら思いにふけっておいでです。 空はまだまだ漆黒の闇に染められております。
 その僅かな隙間から白い光が矢のように漏れ、少しずつ広がって黄色い絨毯のように輝き始めると山の朝です。 「春は曙」とよく歌われたものですねえ。
漆黒の闇が紫がかり、だんだんと蒼くなってそれが白くなり、日の出と共に赤く黄色く輝くのです。 紫がかってくると小鳥たちも目を覚まします。
そして思い思いに歌いながら散歩を始めるわけですね。 その姿を見るのが葵殿の楽しみでもあります。
 富士山には風穴が有ります。 その一つ、富岳風穴を覗くのが葵殿の日課。
ちらりほらりと散歩しながらその辺りを行ったり来たりするのです。 そうやって朝の時間を潰しては拝殿へ向かうのですが、、、。

 今日は少し様子が違うようにございます。 巫女たちが風穴の周りを慌ただしく行き来しておりまする。
葵殿はそれには気を止めずに小鳥たちの歌を聞きながら散策を続けております。 太古からの雲が流れておりますねえ。
 それからどれくらい時間が経ったのでしょう? 巫女の一人が真っ蒼になって葵殿を探し回っております。
「葵殿は何処じゃ?」 「まだまだ散歩からは帰っておりませぬが。」
「そうかそうか。」 巫女は頷くと外へ飛び出していきました。
 葵殿はというといつものように小鳥の歌を聞きながら雲の流れを見詰めておいでです。 そこへ、、、。
「葵殿 大変じゃ。 大変じゃ。」 一人の巫女が駆け寄ってきました。
「どうされたんじゃ? そんなに慌てて。」 「実はですなあ、巫女の一人が行方不明になり申したんじゃ。」
「何やと? 行方不明?」 「そうなんじゃ。 取り急ぎ葵殿にも来ていただきとうござるでな。」
「それは大変じゃ。 爺たちは知っておるのか?」 「知らせるととんでもない騒ぎになります故まだまだ知らせてはおりませぬ。」
「では童が探すことにしようかのう。 爺には其方から伝えてくだされ。」 「お分かり申した。」
 巫女はニヤニヤしながら葵殿を富岳風穴まで連れてきました。 「この辺りですじゃよ。 どうもこの風穴に入ったのではないかと思われとるようですなあ。」
そこに数人の巫女が集まっておりまして探している振りをしております。。 葵殿は風穴の中に首を突っ込んで眺めておりますが、、、。
「これは深いのう。 置くまで見んとようは分からんで。」 「そのようでございますなあ。 行ってらっしゃいませ。」
 葵殿は恐る恐る風穴に入っていかれました。 巫女たちはニヤニヤしながらそれを見送っておりましたが、、、。

 午前4時。 雪之丞はみんなを起こすと車を出て思い切り背伸びをしました。 「気持ちいいもんだなあ。」
そこでまあ軽めの食事をして山道を歩き始めるわけです。 5月の富士山はまだまだ寒い。
頂の向こう側から少しずつ太陽が昇ってきます。 顔を出す頃には5時を過ぎているでしょうねえ。
 今日は仕事の話はノーサンキュー。 楽しんでいる時に迂闊に持ち出すと機嫌を悪くして帰っちゃいますから。
 そこで今日のお供はメモすら持ってこないでここまで来ました。 メモが見えても怒り出すのでね。
実はね、3年前にやらかしたんです。 その時の雪之丞は閻魔様より怖かった。
 でもでもカメラだけは忘れず欠かさず持ってきました。 雪之丞も持ってきたから3台は有りますねえ。
雪之丞が逃してもグッドタイミングでいい写真が撮れるように配慮だけは欠かせません。
 歩き始めて2時間。 最初の休憩ポイントに来ました。 「ここで休みましょう。」
太陽もいい感じで昇ってきてます。 いい写真が撮れそう。
 頂にはいい感じで雪が残っておりまして青空が広がっております。 雲海も気持ち良さそうに広がってますねえ。
適当な木陰を見付けてレジャーシートを広げます。 雪之丞もそこにドッカと腰を下ろして辺りの風景を眺めています。
 「これはいいなあ。 暑くなく寒くなく暗くなく眩しくない。 ここから頂きの写真を何枚か撮って行こう。」
お茶を飲みながらアングルを探し、シャッターを切る。 眼下には町の様子が霞のように見えて満足そうです。 「さて行こうか。」
 登れる所まで登って撮れる写真を撮ろう。 彼はそんなことを考えながら歩き始めました。

 その頃、葵殿はと申しますと、、、。 巫女の訴えを信用して富岳風穴に首を突っ込んだまではいいのですが中は真っ暗で何も見えませぬ。
「これはこれは大変であるぞ。」 恐る恐る歩を進めながら迷子になったという巫女を探しておいでの様子。 時々は窪みに落ち、出っ張りに頭をぶつけなどしながら奥へ奥へと進んでおりまする。
 風穴の外ではさっきの巫女がニヤニヤしながら葵殿を見詰めております。 「あやつは正直じゃのう。 疑いもせんところを見ると、、、。」
「何であるか? 其方は葵殿に嘘を申されたというのか?」 「嘘ではござらんよ。 確かに巫女は行く末が分からんのですからな。」
「しかし風穴に入られたというのは、、、?」 「それだってほんとかどうかは分からんのじゃよ。 見た者が居らんでなあ。」
「何ということを、、、。」 心配にはなりますが真っ暗な風穴に入ろうとは考えませぬ。
 「巫女は何処に居るのじゃ? 返事をしてくれやす。」 葵殿はそこいらに声を掛けますが、巫女らしい声は何処からも返ってきませぬ。
「おかしいことであるぞ。 確かにこの風穴に居られるのであれば応えられるはずじゃが。」 一歩ずつ奥へ奥へ進んでいきますると大きな大きな空間が現れました。
 広さはどれくらい有るのでしょうか? とにかく信じられぬほどに広い空間であります。 しかし相変わらず辺りが暗過ぎて何も見えないのでありまするよ。
葵殿はだんだんと心細くなってきたようです。 戻ろうとするのですが道が分かりませぬ。
進むことも戻ることも出来なくなった葵殿は岩の上に腰を下ろしました。
 すると、、、、、。 「キャーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
岩がバランスを崩したのか、大きな穴の中へ吸い込まれるように落ちてしまったのでありました。