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直帰後の予定は特にないと伝えた時に言われた「ちょっと付き合え」の〝ちょっと〟は、てっきり夕飯に付き合うくらいのものだと思っていた。
だから涼ちゃんに「デート、楽しんできてね!」と嬉々として送り出された時、「デートじゃないからね⁉︎」とすかさず訂正してきたのに。
商業ビルを出てから三十分後、時刻は十八時になろうかというところ。
私と名桐くんは、ミルトニアホテルの敷地内に建つ水族館にきていた。
デジタルテクノロジーを駆使した水槽展示や、プロジェクションマッピングと融合させたイルカショーなど、独自の演出で人気のそこが館内の一部エリアをリニューアルしたのはつい先月のこと。
それに伴って電車内や駅の構内の壁一面に思わず目を惹かれる幻想的な広告が打ち出されていたのだけど、その案件を担当していたのが何と名桐くん率いるチームだったそうで。
「── なぁ遠野。これからオレと、デートしてくれない?」
車が近づくにつれ再び騒ぎ出した鼓動を抱えながらも、何とか平静を装って車内に戻った時。
「おかえり」と出迎えてくれた彼は私をじっと見つめて「……かわいい。やってもらったの?それも似合ってる」と目元を甘く解して私の頭をひと撫でしたあと、ぴら、と水族館の招待チケットを出してそう言った。
涼ちゃんの施してくれたキラキラ仕込みのナチュラルメイクは、決してビフォーアフターでがらりと雰囲気が変わってしまうほどではないのに、すぐに気づいてくれた上にそつのない褒め言葉までいただいてしまい、じわじわと熱を帯びてきた顔と忙しなく拍動する心音を自覚する。
きっと十年前は、こんな些細な変化に気づいてそんな表情でさらりと「かわいい」だなんて絶対言う人じゃなかったのにと思えば、昔の名桐くんはどこにいっちゃったの、とちょっと拗ねたくなってしまう。
「私の知ってる名桐くんは、そんなことさらっと言う人じゃなかった……」
だから無意識に尖ってしまった唇は、ついぽろっと恨みがましくそんなセリフを紡いでしまったけれど。
「じゃあこれからもっと知って?今のオレのこと」
「〜〜……っ、」
に、と艶めいた笑みを覗かせた彼に、膝の上で握っていた手をそっと取られてちゅ、と口づけを落とされてしまえば、もう何も言えなくなる。
「オレも知りたいし。今の遠野のこと、もっと。だから、しよ?デート」
私の手の甲をすり、と指で撫でながら小首を傾げて今度は可愛らしく誘ってくる彼に、私は早々に白旗を上げた。
「……はい……」
……知らなかった。遠慮しなくなった名桐くんがこんなに甘いなんて。
私の返答に、相好を崩した彼が意気揚々と車を発進させる横顔を見ながら、その緩急のつけ方は本当にズルい!と思ったのは言うまでもない。



