「涼ちゃん……。そんな、散歩中のワンコを撫で回すみたいに……」
「だって可愛いんだもん、しょうがない」
涼ちゃんは私のことをよく可愛いと言ってくれるけれど、このように完全にペット的な扱いである。
「……はぁ〜、千笑の爪の垢を煎じて飲みたいわ……」
「え?今までの流れのどの辺に煎じて飲みたい要素あった……?」
やけに実感のこもったそれにきょと、と目を瞬げば、「そういうところだよ」と涼ちゃんが吹き出した。
どうしよう、全然わからない。
「で、うちの可愛い千笑にそんな顔させるなんてその元同級生、一体何者だー?」
そして、今度は自分が乱した私の髪を丁寧に整えながら一瞬脱線しかけた話を本筋に戻してくる涼ちゃんは、全く見逃してくれる気配はない。
「……一応、その、初恋の人で。あっ、全然付き合ってたとかではなくてね?なんか、あの、淡ーい感じのやつで。それで今日、ちょうど一緒に打ち合わせに行ってきてその帰りにここまで送ってもらったんだけど、実はこのあとちょっと付き合えって言われてて」
車内での出来事は私の中でもまだ全然整理できていないし、内容が内容だけにとてもじゃないけど話せそうにはない。
だからそれ以外の嘘偽りのない事実を若干しどろもどろになりながらも伝えれば、今度は涼ちゃんが目を瞬ぐ番だった。
「……え、ってことは、その彼はまだ車で待ってるってこと?」
「うん」
「わー、まじか!それはお待たせしちゃって申し訳ない!」
「あ、たぶん大丈夫……!急がなくていいって言ってくれたから」
頭を抱える涼ちゃんに、私は慌てて言った。
名桐くんは、「急がなくていいから、慌ててコケるなよ?」と悪戯めいた笑みと共に送り出してくれたのだ。だからこの後の予定も、恐らくそんなに時間に追われるようなものではないのだろうと思われる。
とは言ってもあまりお待たせするのも忍びないし、そろそろフロアもまた混み出す頃だろうからと腰を浮かせた時。
「そう……?……よし!じゃあ千笑。ちょっとここで待ってて!」
何かを思いついたらしい彼女が、満面の笑みを浮かべた。
「え?」
「差し入れとリーフレット届けてくれたお礼!させて?」
「えぇ⁉︎全然大したことしてないよ?お店のお役に立てるならこれくらい……」
「ううん!とっても助かったから!それに、そんなに時間掛からないから!ね?」
遠慮するも、そう言ってズイ!と身を乗り出した涼ちゃんの勢いに気圧される形で、私は戸惑いながらも頷いた。
「う、うん……」
それに嬉しそうに破顔した涼ちゃんは私をバックヤードに残したまま、軽やかな足取りでフロアへ戻っていく。
そしていくつかのメイク道具を携えて帰ってきた彼女は、「その初恋の彼に、より可愛くなった千笑をお届けしまーす!」と私にケープを掛け、フロアにあるのと同じ卓上ミラーの前で、あれよあれよと言う間にとても生き生きと私の顔にメイクを施し始めた。
それから短時間で手際良く、かつ丁寧にメイクを終えた彼女はその仕上がりにうんうんと満足げに微笑み、「デート、楽しんできてね!」と、可愛らしいウィンクと力強いサムズアップと共に私を送り出してくれたのだった。



