初恋のつづき

「だから、俺はもう遠慮しないって言った」

「ちょ、っと待っ、」


この前も言われたその言葉の意味を何とか理解しようと噛み砕く前に、その手が今度はゆっくりと頬に添えられてしまうから、思考が上手くまとまらない。


「そうやって、もっと俺のこと意識して?」

「う……、そ、それは仕事に差し支えるので困ります……」

「大丈夫。この短期間でも、遠野は公私混同しない奴だって分かったから」


添えられた手の親指の腹で、頬を撫でられる。

それがくすぐったくて、ん、と小さく息が漏れた。


「でもっ、それにはそれなりの精神力が必要で……!」

「俺も今、かなりの精神力を試されてる気がするけど」

「なにいって、」

「── いいから、もう黙って?」


切れ長の瞳が、妖しく細まる。



……これはもう、黙ったら何かダメな気がする。

そんな空気な気がする!


「ま、まだ仕事中ですが……⁉︎」

「俺はもう終わった。終わったら、(わきま)える気ないって言った」

「そんなの聞いてないです!」

「それはご愁傷様」 


力ずくで仕事モードに戻すようにタメ口だった言葉を敬語に変えてみたけれど、全然ダメだった。

彼の完璧な微笑みを前に、あえなく撃沈してしまう。

その時、私の膝の上に乗せていた紙袋からリーフレットが名桐くんの手によって一枚抜き取られた。空いている方の手で、しかもノールックでなんて、随分と器用なことをする。


「── 遠野。嫌だったら、殴って。突き飛ばして、俺のこと」


切なさを滲ませた声でそう言った彼は、そのリーフレットを、フロントガラスから私たちを隠すようにスッと持ち上げ距離を詰めてくる。

普段は涼しげな彼の瞳が、熱を帯びた。


……これから起こるであろうことが予測できないほど、子供じゃない。

言葉の通り、抵抗出来る余白は残してくれたと思う。

なのに、抗えなかった。

だって、こんなに切羽詰まったような彼を、私は見たことがない。

昔から、いつも飄々としていて余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)で、どこか掴みどころのない人だったから。

だから、彼のその声に、視線に、簡単に囚われてしまった。


そんな私を見て、ほんの(わず)かゆるりと口角を持ち上げた名桐くんは、長い睫毛を伏せ、そのままリーフレットの陰で、私の唇に柔らかくて温かい熱を灯していった。


それはとても、優しい温度をしていた。