「ふ、はは……!そう来たか」


ところがそれを聞いた当の本人は一瞬切れ長の瞳を丸くした後、片方の手で前髪を掻き上げながら特に気を悪くした様子もなく楽しそうに笑うから。

その仕草に、その表情に、またしても心臓が従順に反応してしまった。

すると再び両手でチェーンを掴み私を囲った名桐くんが、浮かべていた笑みをスッと消して私との距離を詰めてくる。


「── じゃあ遠野。《《今度は》》もう遠慮しないから」

「え、」


私がその意味を噛み砕こうとしたのも束の間。

彼はそのまま私の耳元に唇を寄せて、


「〝あなたが欲しい〟。── ……ちゃんと覚えとけよ?」


直接鼓膜を震わせるようなぞくりとする声色で、そう囁いた。


「── ……っ!?」


咄嗟に耳を押さえる。身体中の血がグワっと沸騰するような感覚の中、見えたのは離れていく彼のニヤリ顔。

それは悪戯っ子のような表情の中に、どこか妖艶さも含んでいるチグハグさがあって。

あくまでも、〝もうジュ・トゥ・ヴの意味を忘れるなよ?〟という何の含みもない言葉のはずなのに、このタイミングでこの距離感でのそれに、一瞬、まるで〝私が欲しい〟と言われているみたいに錯覚しそうになった。


……危ない。十年後の名桐くんは、いちいち心臓に悪い……!


「── ……っそっ、そんな二度も言わなくても、もう忘れないよ……っ!」


何とか我に返ってその錯覚を吹き飛ばすようにそう言えば、彼から返ってきたのは何か含みのありそうな綺麗な笑みだけ。


……もともと忘れていた訳じゃなかったけれど。

二度もこんな風に教え込まれたら、もう忘れたくても忘れられない。



── それから改めてエントランスまで送ってもらい名桐くんと別れたあと。


十年ぶりにダウンロードしてベッドの中で聴いたジュ・トゥ・ヴに重なって、



『〝あなたが欲しい〟』



そう言った名桐くんの、静かで、それでいて深く響いたあの声と表情がずっと頭の中をくるくると跳ね回るから。


その晩、私はなかなか寝付くことが出来なかったのだった── 。