ーーそれからは、何を話したのか、どこをどう歩いてきたのかさえもあまり記憶になくて。
気づいた時にはもうマンション前に到着していた。
つまり、それくらい名桐くんの〝あなたが欲しい〟には破壊力があったということで……。
「……遠野?ここ?」
無言で足を止めた私の顔を、二歩ほど先に行き過ぎてしまった名桐くんが戻って来て覗き込む。
「……あっ、そ、そう!ここ!わざわざ送ってもらっちゃってごめんね!ありがとうございました!」
それにハッとして、全てにびっくりマークがつくくらいの勢いで捲し立てたあと、私はペコリと頭を下げた。
「いや。酔いは覚めたか?」
「はっ、はい!おかげさまで!」
顔が上げられず、向かい合う自分の爪先と彼の爪先に向かって声を落としたけれど、そのままボールのように跳ね返って来てしまいそうなほどの声が出てしまったから慌てて口を押さえれば、名桐くんが吹き出した。
「……ふはっ。元気良過ぎ」
……さっきのアレで、酔いなんてとっくに覚めていた。
だから〝酔い覚ましに歩いて帰る〟という私の目的は図らずも達成された訳だけれど、覚めてしまったおかげで今度は名桐くんとまともに目が合わせられない。
なのに、今ふわっと笑ったであろう彼の顔が想像出来てしまったから、意図せず顔が赤らむ。
未だ頭も心も覚束ないこのふわふわした感覚は、酔いのせいではなくて名桐くんのせいだ……。
「遠野?」
夜の帳の中にエントランスからの柔らかな明かりが微かに差し込まれ、足元にぼんやりと陰影を作っている。
……ああ、でもいつまでもこのまま爪先と睨めっこしている訳にもいかない。
意を決してその呼び掛けに顔を上げれば、
「……顔、赤くなってない?逆に酔い回ったんじゃねーの?平気?」
あろうことか心配そうにまた覗き込まれてしまうから、咄嗟に両手で覆ってガードした。
……お願いだから、無闇やたらにその御尊顔を近づけないで頂きたい、私の心臓のために。



