「それで? バーンズ侯爵家は大人しくなっただろう?」

 オーガストと笑い合っていたフィンレーは、イザークに向き直ると得意げな顔で言った。

「はい。殿下が手を回してくださったおかげです」

 イザークとエレノアの結婚が紙一枚であっという間に済んだのは、フィンレーが裏で手を回してくれていたおかげだった。

 そして正式に受理された婚姻に、バーンズ侯爵家も文句は言えない。イザークに娘との婚約を申し入れ、迫っていたバーンズ侯爵家は急に大人しくなった。

「でも、あのエミリア嬢は聖女のトップに立ち、教会とも繋がりがある。気を付けろよ」
「はい」

 真面目な顔で忠告をするフィンレーに、イザークも真剣な表情で頷いた。

(エレノアは絶対に俺が守る。もうあんな泣かせ方はさせない。彼女には笑っていて欲しい)

「イザーク、よっぽどその子のことが大切なんだねえ。君にそんな人が出来るのは良いことだ」
「はあ……」
「オーガストなんて、君が笑ったーとか、落ち込んでるー、とか最近君の話ばかりで」

 王太子になんてことを報告しているんだ、とイザークがオーガストを睨みつければ、弟は悪びれることは無く、笑っている。 

「まあまあ。オーガストは兄弟の触れ合いが嬉しいのさ。君、早々に家を出ちゃっただろ? 弟が寂しい想いをしていたことに気付いてやってよ」
「殿下……!」

 フィンレーの言葉に、オーガストが珍しく声を荒げた。

(寂しかった? オーガストが?)

 初めて聞く情報に、イザークの目が丸くなる。

 オーガストの方を見れば、弟は顔を赤くして言った。

「私だけじゃないですよっ! ジョージやエマ、屋敷の人間は皆、兄上が帰って来てくれて、人間らしい表情を見せてくれるようになって喜んでいます」

 顔を真っ赤にしながらも、ぶっきらぼうにオーガストがそう言えば、イザークも恥ずかしくなってくる。

(俺は……)

 最近、皆が嬉しそうに自分に接してくれていたことを思い返す。

 そもそも、昔、カーメレン公爵の屋敷にいたときは皆の顔なんて見ていたか。自分の責務に必死で、他人を思いやる余裕なんて無かった。

 騎士団に入ってからは、増々周りに興味を持つこともなく、ただ淡々と任務をこなした。家に帰ることもなく、弟とは、この任務を通して久しぶりに再会した。

「オーガスト、すまなかった」

 何とも自分勝手で思いやりのない行動だとイザークは自分を恥じた。

 オーガストはそんなイザークを見て、今にも泣き出しそうな表情で笑った。

「エレノアには感謝だね」

 フィンレーがぽつりと溢したので、イザークは静かに微笑んで頷いた。

 エレノアに出会い、知らなかった感情をたくさん知った。

『彼女には感謝しなくてはなりませんね。あなたが人生をやり直せているかのようです』

 イザークは、いつかのジョージが言った言葉が急にストン、と胸の中に落ちるのを感じた。

「フィンレー殿下もありがとうございます」

 周りの想いに未だ気付いていなかった自分に、フィンレーは直球をぶつけて来てくれた。イザークは穏やかな顔で感謝を述べた。

(エレノア、無性に今会いたい)

 自分の手から香るミモザに、エレノアを思い浮かべれば、イザークは手の甲に唇を落とした。