婚約者である(りつ)さんから、「料理を教えて欲しい」と頼まれた。
 結婚後、なるべく家事を分担できるようにとのことらしい。こちらとしても彼の生活能力のなさは心配になるほどだったから、張り切ってその頼みを引き受けたのだけれど。

「待ってください律さん……! 包丁は!! 逆手に持たないで!!」

 もうすぐ一緒に暮らし始める予定の、今はまだ律さんがひとりで住んでいるマンションの一室にて。卯月(うづき)撫子(なでしこ)による料理教室第一回目のおにぎり(お椀をふたつ使ってごはんをふりふりするだけ)、そして第二回目のレタスサラダ(レタスをちぎってドレッシングの調味料を混ぜただけ)をなんやかんやありつつなんとか乗り越え、本日迎えた第三回目……いよいよ彼に包丁を持たせてみたらさっそくあんまりにもあんまりな持ち方を披露してくれたため、全力でストップをかけた。
 こわい、こわすぎる。律さんは必死の形相の私にきょとんとしつつ、包丁をまな板の上に戻した。
 彼が身につけている黒いシックなエプロンは律さん自ら用意したものでいかにもデキる雰囲気が出ているのに、実態はひどい有様である。やはり包丁はまだ早すぎただろうか。
 しかし、料理をするうえで包丁の扱いは避けては通れない道だ。やる気満々な彼に、こちらも責任を持って応えないと!

「いいですか律さん、包丁の持ち方はいろいろあって切る具材によって適したものがあるのですが、とりあえず今はこう持って……」
「ほう」
「そして食材を押さえる方の手は猫の手、です!」

 大事なことなので大真面目な顔をしながら、私は猫の手のポーズをとってみせた。
 すると律さんはそんな私を見るなり、スンッと真顔になって微動だにしなくなる。

「律さん? どうしましたか?」

 あまりにもガン見されているのでおそるおそる訊ねると、ぽつりと彼が答えた。

「スマホ」
「えっ?」
「今の、ものすごくかわいかったから写真を撮りたい。スマホを持ってくるからそのまま動かないで待っててくれ」
「い、嫌ですよ……!」

 突然のべた褒めに思わず顔を赤くしてしまう。本当に、律さんは不意打ちが多いんだから!
 その後四苦八苦しつつ、なんとか無事きゅうり一本を輪切りにすることができた。厚さが揃っていなくて少し不格好だけど、怪我もなく上々の出来だと思う。あとはミニトマトも切って、ドレッシングを作ればいい。

「撫子、できたぞ!」

 自分が切ったきゅうりを前に、律さんはわかりやすくはしゃいでいた。その無邪気な笑顔に、きゅーんと胸がときめく。

「わ、私も、スマホ……」
「ん?」

 結局私も、かっこよくてときどきかわいい彼の(とりこ)なのである。