「あっ!」

 その瞬間を目撃してしまった凪紗は思い
きり顔を顰める。嘉一の黒いコートにぺっ
ちょりとインコの糞が張り付いてしまった。

 「ごめんなさい、この子ったら!」

 「あはは、気持ちよくやられちゃったな」

 「うちのマンションそこなの。すぐに服
を洗うから寄ってって」

 「いいよ、家に帰るだけだし。それより、
ほら、逃げないうちに」

 そう言って、再び唇に人差し指をあてた
嘉一に頷き、凪紗はそうっと手を伸ばす。

 そしてガッチリと両手でぴぃ助を捕まえ
ると、深々と頭を下げた。

 「この子を見つけてくれて、ありがとう。
それとコート、汚しちゃってごめんなさい」

 「気にしないで。ぴぃ助くん、だっけ?
もう逃げないように気を付けてね。じゃあ」

 ひらりと手を振ったかと思うと、嘉一は
自転車に跨り漕ぎ始める。遠ざかってゆく
背中を眺めていると、定食屋から続く神宮
川の橋の上で不意にこちらを振り返った彼
が、破願した。向けられた眼差しがあの頃
の嘉一と重なって見えてしまった凪紗の胸
は、言いようのない切なさに疼いていた。




 「なんかさぁ、生きる意味がわからなく
なっちゃったんだよね。もう自分は必要な
いんだって思うと何をするにも気力が湧か
なくて」

 呟くように言って、凪紗は盛大な溜息を
吐く。休日のランチタイムは程よく空いて
いて、壁一面に広がる窓際の席は柔らかな
陽射しに包まれている。が、その陽光の中
で美味しそうなイタリア料理を前にしても
なぜか食欲は湧かなかった。フォークに巻
き付けたイカと明太子のパスタは口に運ば
れないまま、すっかり冷めてしまっている。

 「典型的な『空の巣症候群』ね。しかも
重症とみた。このまま放っておいたら鬱病
を発症するかも」

 中学からの親友であり、企業の健康相談
室で心理カウンセラーをしている和泉果歩
が凪紗の顔を覗く。脅すような上目遣いに
身を引き、凪紗は、むぅ、と口を尖らせた。