~Last Love~ あなたの心に触れるまで

 店を出て歩き始めた街は、あちこちから
黄色い灯りが漏れている。冬の乾いた夜風
に亜麻色の長い髪を預けながら、凪紗は肩
を竦めた。

 「お礼するつもりで誘ったのに、ご馳走
になっちゃってごめんね」

 「いいって。始めから僕が出すつもりだ
ったし、いい店で楽しい時間が過ごせたし」

 「ほんと、楽しかった。あの頃は未成年
だったからお酒飲めなかったのよね。学生
でお金もなかったから、いつもファミレス
かファーストフードだった」

 「山盛りポテト頼んで、少ないケチャッ
プを二人で取り合ったな」

 「そうそう。ドリンクバーでお腹がたぷ
たぷになるまで飲んで、何時間も居座って」

 三十年も前の記憶が鮮明に甦る。

 別れた時はあんなに泣いたというのに、
不思議と思い出すのは楽しかったことばか
りで、二人の話は尽きない。嘉一と付き合
ったのは二年余りだが、喧嘩をした記憶が
ないのだ。こういうのを、馬が合うという
のだろうか。嘉一は口下手だが凪紗はお喋
り好きなので沈黙に困ることはなかったし、
場当たり的な行動をしてしまいがちな凪紗
を、思慮深く落ち着いている嘉一が守って
くれている面もあった。

 そんな彼が一度だけ凪紗に文句を言った
ことを思い出す。凪紗は茶目っ気を含んだ
眼差しを嘉一に向けた。

 「ねぇ、いまもカステラ好きなの?」

 「好きだよ。確か高三のバレンタインに、
カステラもどきを作ってくれたよね」

 「やっぱり憶えてた!?」

 「あれは忘れられないよ。さすがの僕も、
『美味しい』って嘘つけなかった」

 「ものすごく微妙な顔してカステラを飲
み込んだと思ったら、『お願いだから二度
と作らないで』って言ったのよね」

 その言葉に、慌ててカステラを食べてみ
た凪紗も顔をしわくちゃにして、次の瞬間、
二人で大笑いしたのだ。

 混ぜ過ぎたのがいけなかったのか、はた
また、焼くまでに時間を置き過ぎたのがい
けなかったのか。レシピ通りに作ったはず
のカステラは膨らんでくれず、中はとろり
と生なのに外側はカリカリで、最悪だった。

 あの味を思い出したように顔を顰めた彼
に、凪紗は堪らずくすくすと笑う。笑った
その時、街路樹の葉を揺らしながら追って
きた風が凪紗の長い髪を散らした。

 冷えた風に立ち止まった唇に一筋の髪が
絡みつく。剥げかけた口紅にぴたりと張り
付いたそれを凪紗が解こうとするより先に、
嘉一の指がやさしく梳いた。

 頬を撫でるように触れた温かな指に凪紗
は彼を見上げる。片手をコートのポケット
に突っ込み自分を見つめる嘉一の眼差しは、
いつかの記憶と重なるほど熱を帯びている
ように見えた。