父は影の薄い人だった。ごく普通の会社員である父が、存在感のかたまりのような母のオーラに霞んでしまうのは仕方がない。

 父と結婚した頃の母は端役の仕事しか来ないような目立たない役者で、だからそんな父とも釣り合っていたのだ。それなのに、三十路目前で大ブレイクを果たした。さぞかし父も驚き戸惑ったことだろう。

"あの人は、わたしに普通の主婦でいて欲しかったのよ。できれば俳優もやめて欲しかったのよ"

 母は父について、そんな風に語った。

 わたしの事情も母に似ている。普通の会社員の夫は、わたしに普通の主婦でいて欲しかった。はっきりとではないけれど、いつかそんなニュアンスのことを言われたことがある。小説家などに、なって欲しくなったと。