夜9時。
郁を心配してなるべく早く帰るつもりの碧だったが、受け持ちの患者が急変し、こんな時間になってしまった。

足早に帰宅し、玄関のドアを開ける碧。

「ただいまー」

いつもは夕飯の香りがただよってくる玄関だが、今日は何の匂いもしない。

そして、いつも子犬のように小走りで玄関まで出迎えてくれる郁が、今日は来ない。

「あれ、郁、もう眠っちゃったかな?」

ガランとしたリビングを通り過ぎ、寝室のドアを開ける。

すると、ベッド横のサイドテーブルに置いてある携帯電話に手を伸ばしながら、荒い呼吸をして倒れ込んでいる郁がいた。

見た瞬間、心臓が凍りつきそうになる碧。

「…!郁!大丈夫か!」

「…ごめんね…だいじょうぶ……じゃないかも…」

必死に声を出す郁。
顔が赤い。
碧がおでこに手をやると、信じられないほど熱かった。

碧が郁をベッドに寝かせ直し、家に置いている聴診器で郁の胸の音を聴く。

心臓の音は、脈が早いがおかしな音はしない。
しかし、郁が呼吸する度に、肺から雑音が聴こえる。

肺に炎症が起こり酸素を上手く取り込めていないのか、唇の血色が悪くなってきている。

「…おねがい…わたし…より…あかちゃんを……」

途切れ途切れの言葉を絞り出す郁。

「喋るな、郁!救急車呼ぶから、頑張れ!」

「…わたしが…あぶなくなったら…あかちゃんを…たすけて…」

「わかったから…!郁、喋るな!」

碧にそう託した郁は、安心したのか、笑みを浮かべながら瞼を閉じた。