○4月上旬、前話回想


一之瀬さんに後ろから抱きしめられて守られた時、感じたことの無い胸のドキドキと、安心感があったんだ。

私に会いに来たということ、そんな言葉を聞いた時、胸がキュンっと鳴った。

そして私が木から落ちた時に感じた、程よく筋肉のついた腕の温もりを忘れられない。

もしかして私ー……。


○放課後、俊斗の家の前、4時32分

教室に一之瀬さんが来たらお祭り騒ぎになってしまうので、早めに教室を出て階段付近で待っていた。

一之瀬さんが来るのを確認したら、十分な距離をとって歩く。

そうしないと私……女の子の恨みを買ってしまう。

そうして居るうちに一之瀬さんの家に着いた。

予想していた通りの大豪邸に驚愕する私。

そんな私の様子をみた一之瀬さんは、ふっと笑った。

その笑顔があまりに綺麗で思わず見惚れてしまう。

俊斗「見すぎ。人を見つめるのが趣味なのか?」

そんな事ない事を知って意地悪なことを言ってきた一之瀬さん。

思わず顔が赤くなってしまい俯く遥。

家のインターホンを押した一之瀬さんに遥は緊張感が高まってき、カチコチに体が固まっていく。

インターホンを押して数秒後。

高級そうな大きな門がゆっくりと開いた。

一之瀬さんは私の手を取って……。

俊斗「そんなに緊張しなくても俺の家だから大丈夫だ。行こう」

遥の手を取った俊斗のせいで体がもっと固まっていく遥。

遥「手……離してくださいっ」

俊斗「なんで」

遥「だって……っ!は、恥ずかしいですよ!」(真っ赤)

真っ赤な顔をして潤んだ瞳を俊斗に向けた遥は必死に訴えた。

そんな遥を見て俊斗はさっきと変わらない笑みを向けた。

俊斗「可愛いな」

遥「からかわないで下さい……。あと手離してください」

俊斗「本当に可愛すぎるぞ。その顔」

遥「……っ」(赤くなりすぎて言葉にならない)

遥(俊斗さんって……人をからかいたくなるタイプの人……?私が可愛いわけないのに)

遥は少しネガティブな考えを飛ばすように、頭を振る。

その様子を見て笑う俊斗。

俊斗「ふ……っ遥、何やってんだ?」

遥(み、見られてた……!?恥ずかしすぎて死んじゃいそうだよ……)

遥「な、なんでもないです……っ」

俊斗「じゃあ行くか」

繋がれた手を振り払うことも、甘い言葉に反対することも出来ずに、そのまま広い庭を歩いた。

そして、庭を歩いている時、遥は幼い頃の記憶を思い出していた。

それはとても懐かしい……幼い頃に出会った、毎日一緒に遊んでいた年上の女の子の事を。

○遥の幼い頃の回想。


結衣『遥〜!見てみてっ!ここまで登れたんだ〜!やっぱり結衣天才かも!』

結衣は木の上に座ってパチパチと手を鳴らす。

遥『結衣ちゃんすごい!私もそこまで登る!』

木に手をかけて結衣の所まで登ろうとする遥を、大声を上げて必死に止める結衣。

でもその言葉を聞かずに遥は登り続けた。

結衣『遥危ないって……っ!』

遥『大丈夫、大丈夫〜!これくらい行け……』

その時、手を滑らせてガクッと下に落ちていった。

結衣『遥〜っ!』

もちろん誰も助けられるはずがなく、無様に地面に転がる遥。

結衣は下りようと必死になって、周りが見えていなかった。

結衣は運悪く、手をかけた枝がポキリと折れたてしまい、結衣もバランスを崩し地面に転がった。

結衣『わぁぁっ〜!!!』

遥『結衣ちゃ……っ!』

結衣が目を開けるとそこには満面の笑みの遥が居る。

ヘラヘラと笑う遥に結衣は大声を上げて言葉を投げた。

結衣『遥大丈夫!?ごめんね……結衣が登っちゃったから……』

遥『私が登ったから悪いの!でも全然痛くないんだぁ〜!』

痛くないというアピールをしているのか手をブンブンと回している遥を見て、結衣は安心した顔に切り替わった。

結衣『よかったぁ〜……!』

遥『結衣ちゃんこそ大丈夫なの?』

心配そうに呟いた遥に、元気付けるように言葉をあげる。

結衣『結衣は無敵だから絶対に死なない!!遥を置いて死ぬわけなーい!』

遥(多分、結衣ちゃんは痛いよね……私が痛いって言ったらダメだから我慢……っ!)

あの時、私は本当に痛かったんだ。

痛すぎて涙が落ちそうだった。

でも結衣ちゃんに心配をかけたくなくて強がってしまったんだ。

結衣ちゃんと転がりながら笑いあっていると、結衣ちゃんのお母さんと私のお母さんが駆け寄ってきてすごい心配された。

でも2人で木から落ちて笑いあったのはすごくいい思い出になった。

当たり前だけど、お母さん2人にこっぴどく叱られちゃったんだけどね。

○俊斗の家、5時、リビング

一般的なリビングとは異なる異様な雰囲気に身を縮めている遥。

遥(これがお金持ちの家?リビングなのに……なんでだろう。普通のリビングとは違う雰囲気がする)

当たり前のように、天井には綺麗で大きなシャンデリア。

大勢の人がみんなで座れる大きなソファに、大きなテレビ、当たり前だけどキッチンなんて普通の家にある大きさじゃない。

とてつもなく大きくて、ここでお料理が出来たら幸せなんだろうな……と考えてしまうほど。

遥(人生で1度でもいいからこんな大豪邸に1泊してみたいな……なんて夢のまた夢だ。)

緊張で部屋をぐるぐると見回していると、榊さんでは無い、男前ですごく顔の整った男の人がやってきた。

俊斗「親父、この人が雪乃遥だよ」

遥(親父……ということは一之瀬さんのお父さんだ。どうりで顔が似ていてかっこいいと思った)

雷牙「初めましてお嬢様。わたくしは俊斗の父である一之瀬雷牙イチノセライガと申します。今日は遥お嬢様にお礼をするために来て頂きました」

お金持ちという雰囲気が漂うオーラに目を背けたくなる遥。

遥(お金持ちの人ってこんなにしっかりした挨拶をするんだな。榊さんの時もそうだったけど…私の事お嬢様って呼んでるよね?とりあえず挨拶…っ!)

遥「初めまして……っ!一之瀬学園高等部2年、雪乃遥です。よろしくお願いしますっ」

遥(うぅ〜……、やっぱり緊張で声が震えちゃう。お礼ってなんなんだろう……?)

疑問を抱きながら、雷牙さんの次の言葉を待った。

次の言葉を聞いてものすごく驚く。

雷牙「今日、この家に泊まって行きませんか?朝までしっかりと一同でお礼をしたいのです」

遥(お、お泊まり……っ!?一之瀬さんの家で!?そ、そんなの無理に決まって……る)

遥「私の家には母親も父親も誰も居ないので、いつでもお泊まりは出来ますが……こんな所に泊まれませんよ……っ」

こんな大豪邸に1泊なんて……高級旅館に泊まるのと一緒だと思い否定をした。

次の雷牙の言葉は誤解を与えてしまったんだと思った。

雷牙「ここの家は気に食わないのでしょうかお嬢様」

遥(そうじゃなくて……こんな大豪邸には泊まれないって事ですよ……っ!泊まるにしてもお金払わなきゃ……)

遥「お泊まりのならばお金払います……っ!」

雷牙「金など必要ないですよ。しかも俊斗の彼女なんでしょう?金など気にしないでくださいませ」

遥「な……っ!?」

俊斗「は……っ」

同時に2人は顔を赤らめながら声を上げた。

俊斗「俺達は付き合ってはいない」

遥「ほ、本当に付き合ってませんっ」

遥(こんなに完璧な人の彼女だなんて……何があっても絶対になれないのに)

そう考えた時、何故か胸がちくりと傷んだ。

遥(あ、れ……?どうして胸が痛いんだろう)

なぜだか胸がちくちくと痛む遥は話を聞いた。

雷牙「遥お嬢様、1度泊まってみてお気に召されましたらここに住みませんか?」

遥「す、住むのは流石に……」

雷牙「わたくし達で歓迎致します。そして、遥お嬢様に全て尽くすと約束致します。なので住みませんか?」

そう言った雷牙に驚きを隠せず、口を開いたまま固まった遥。

遥(なんでここに住むことになってるの……!?)

遥「どうして住み込むことになってるんですか……?」

雷牙「1日泊まって、お気に召されたのならば遥お嬢様と過ごしたいと思いましたので、提案させて頂きました」

そんな話をじっと聞いていた俊斗は何かを堪えられなくなったのか立ち上がった。

俊斗「親父。流石に住むのはダメだ。遥の迷惑になる」

雷牙「でもお前は遥お嬢様がこの家に住み込むことになったら嬉しいだろう?」

何を言っているのか分からず混乱する遥は頭の中を急いで整理しようとした。

遥(何を言っているの……?俊斗さんからしたらただの迷惑になるに決まっているのに!)

迷惑になることは絶対したくない遥はその事について、赤くなりながら拒否をした。

遥「ここに住み込むのは迷惑になってしまうので住めませんっ」

雷牙「大丈夫だ。この家の管理者はわたくしだから。管理者が許しているんだ、快く住み込んで良い」

いやいや……とでも言いたそうな遥の表情に雷牙は追い打ちをかけてきた。

雷牙「それにこの家のキッチンとかも自由に使っても良い。全て自由だ」

その言葉に遥はピクリと反応した。

遥(お料理……していいんだ)

小さい頃から、夢が料理人だった遥からしたら夢のような経験が出来る。

貴重でとてつもなく上手くなれるチャンスなのかも……と言葉に誘惑されて、遥は思わず頷いてしまった。

遥「お料理ってしてもいいんでしょうか……?」

雷牙「あぁ、構わない。家に担当の料理人が来るが、その料理人の料理は無視して作っていい」

遥(む、無視は流石に出来ないよ。多分私の料理より料理人さんが作った料理の方が美味しいんだから……)

そんな時、隣からびっくりしてしまう言葉が。

俊斗「遥の作った飯食ってみたいから使っていいよ」

遥(私の作った料理が食べたい……?料理人さんの方が絶対美味しい。なのになんで?)

雷牙「ははっ、俊斗は遥お嬢様が大好きなんだな。これなら丁度いい、遥お嬢様、こちらの家で住みませんか」

1度頷いてしまったので断れるはずもなく……。

遥「は、はい」

そう頷いてしまった。

そうして同居生活が始まってしまったのだった。

○遥の家、キッチン、午後8時

あの後少し話をして、同居は次の土曜日ということになった。

今日は月曜日。

だから、火曜日、水曜日……同居まで5日ほど。

でも、急すぎて全く落ち着かない遥は適当に料理をしていた。

悩み事や、考え事をしている時、遥は気晴らしに料理をしたり寝たり、メイクをして遊んだり。

困った時は自由に自分のしたいことをするのが遥の日常。

たまたま冷蔵庫や冷凍庫に食材が入っていた為、色んなものを作って作り置きしておこうと思った遥。

鼻歌を歌いながら1人で楽しそうに料理をする背中は小柄で小さめ。

遥(今日の夕飯は〜生姜焼きとキャベツの千切りとスープにしちゃおうかな?好きなメニューで固めちゃおう)

そうやって考えながら料理をしていると、ふとした時に俊斗の顔が浮かんだ。

遥(うわわわ……っ!?なんで一之瀬さんが!忘れなきゃ……っ!!)

気合いを入れるために頬をぺちぺちと2回叩くと、再び料理をする手を動かし始めた。

○俊斗の家の回想シーン

俊斗『遥の作った飯食ってみたいから使っていいよ』

思い出すだけで顔が熱くなってしまう。

○遥の家、キッチンに戻る

遥(だから一之瀬さんの事は考えないようにしないといけないのに〜!)

気づいたら頭の中に浮かんでいる俊斗の笑顔が離れなくて、無意識に料理をする手が止まってしまう。

当然のように焦がしてしまい……。

遥(あぁ……一之瀬さんのことを考えちゃって焦がしちゃった。なんで一之瀬さんの事がこんなに気になるんだろう)

その気持ちの答えはその日には出なかった。

次の日、その気持ちの答えを知ることになるなんて知らずに、遥は手を合わせて声を出す。

遥「いただきます」

1人、シーンとした部屋でご飯を食べる。

テレビの音も無く、スマホの音も無い静かな部屋で遥はご飯を黙々と食べた。

いつもと同じ光景なので、遥はもうすっかり慣れてしまっている。

でも心の奥で少し寂しさを抱えていた。

それを言葉にすることも無く、押し潰しながら生きてきた。

遥「ごちそうさまでした」

再び手を合わせて食器を運ぶ。

遥(前は……1人じゃなかったのになぁ。もう一度会えたらいいのに……な)

ご飯を食べる時、寝床について寝る前はいつも同じことを考えてしまうのが癖。

あぁ、小学生の時に戻りたいな。

あの暖かい腕で力いっぱい抱きしめて欲しい。

なぜかその後に俊斗の顔が浮かんだ遥。

遥(でも、小学生の頃に戻ったら一之瀬さんの関わりが無くなっちゃうよね?)

それは嫌だ、と思った。

○遥が小学生の時の回想

父親は交通事故で亡くなり、母親は、当時小学6年生だった遥より夫を選んで自殺した。

母親は亡くなる前に、遺書の隣にお金を置いて消えてった。

その時、何時間泣いたか、何度泣いたかなんて分からなくなってしまった。

それくらい遥にとって苦しい出来事だった。

遥『お母さん……っ!お母さん!なんでっ!なんでぇぇっ!』

泣きわめく私を包み込んでくれる優しい腕は、その時にはもう無くて。

涙を優しく吹いてくれるお父さんも居なかった。

遥『私どうしたらいいの……っ!お母さん!!助けてっ!!』(泣き崩れる)

泣いて、叫んで……、気が済むまでそうした後。

小学6年生だった遥には難しい言葉が含まれた遺書を手に取って読み進めた。

その時には涙が出ないほど乾ききった目をしていた。

○現在に戻る

小学校に戻りたいな、と不意に思った時、なぜか俊斗の顔が浮かんだ。

その時、気づいたんだ。

このモヤモヤしていた感情の名前を。

遥「私、一之瀬さんが好きなんだ」

そう言葉にした時、やっとモヤモヤが晴れた。

この気持ちは……『恋』だ。

優しい一之瀬さんが好き。

そう思った遥は慌てた。

遥(今週の土曜から同居なのにやばいかも……っ!好きな人と同居なんてっ!)

そう思った時には手遅れだった。