彼の苗字が「かねもち」ではなく「かなじ」と知ったのは小学一年生の夏。
 彼が実はビックリするぐらい女の子に人気と知ったのは中学三年生の冬。
 他校に進学した彼が陸上競技大会で好成績を残して、取材を受ける姿をテレビで見たのが高校二年生の春。
 可愛くて応援してたアイドルの熱愛報道で、目だけモザイクが掛けられた彼の写真を週刊誌で見たのが大学二年生の秋。
 そして大学三年生、つまり今。

「……直田(すぐた)?」

 土砂降りの雨の中、人がまばらに行き交う駅前で、黒い折りたたみ傘を差して目を丸くしているのは、昔よりも更に垢抜けた金持くん。
 グレージュに染めた短い髪は、ちっとも重たさを感じさせない爽やかなフェザーマッシュ。芸能人顔負けの高身長と程よく分厚い胸筋は、彼の甘い顔面に男性の力強さと野性味をプラスしている──ってファッション雑誌で紹介されてたけど、その通りだと思う。異論なし。あ、ピアス空けてるんだ、私は痛そうだから無理かな──。

「直田、おい。お前何やってんだよ、こんな時間に一人で」
「ああしまった現実逃避してた……」

 ぐいっと金持くんに腕を引き上げられて、ずぶ濡れの私は遠い目をしながら嘆いた。
 事情を説明しようと口を開くよりも先に、金持くんが私を傘に入れてくれた。

「持ってろ」

 傘の持ち手を言われるがままに預かれば、ばさりと肩に上着が掛けられる。温かい。

「温かいけど高そう」
「ありがとうは?」
「ありがとうございます」

 この上着一枚でプチプラコスメどんだけ買えるんだろう。考えてもしょうがないけど、何か下らないことでも考えてなきゃ落ち着かないのも事実だった。

「バイト帰りか?」
「……あ、ううん。ええと、飲み会を早めに切り上げて、帰ろうと思って」
「……。家は? 下宿?」
「うん」
「近くか?」
「歩いて十分ぐらい」

 沈黙。金持くんは少し考えるように宙を見つめてから、スマホでどこかに連絡をとった。
 金持くんの動く喉仏を何となしに眺めているうちに会話は終わって、ずり落ちそうになった上着ごと背中を抱き寄せられる。
 温かい。金持くん子供体温なのかな。それとも私の体がキンキンに冷えてるのかな。普通に考えて後者か。

「タクシー呼んだから、後で運転手に住所言えよ」
「えっ。た、タクシー……乗ったことないや……ていうか今ほとんどお金ない」
「払うから」

 平然と返ってきた言葉にぎょっとする。慌てて断ろうとしたけど、ぎゅううと締め上げるように腕の中に閉じ込められて何も言えず。
 これが噂の胸筋……と呻いているうちにタクシーがやってきて、私はさっさと座席に押し込まれたのだった。