王立図書館にある一室でとある貴族家からの依頼資料をまとめていると、同じ部署の下級司書官が声をかけてきた。

「フェレメレン嬢、デュラン侯爵から伝言です。急な会議のため、代わりに半期計画の書類を副館長に提出してきて欲しいとのことです」
「かしこまりました」

 デュラン侯爵は私の今の上司だ。王立図書館に戻った際に、彼がまた私を自分の元に招いてくれた。
 私は昇進して中級司書官になったため、今は上級司書官である彼の補佐も務めている。

 デュラン侯爵のデスクに置いてある、同じ部署の司書官たちの半期計画資料を持って廊下に出た。

 私たち司書官は個々で年間計画と、それを元にした半期計画を立てている。本を使って国の役に立つために自分たちはどのようなことをするのか、計画を立てて提出するのだ。

 副館長室に着き扉をノックすると中から返事があり、ドアノブに手をかける。

 部屋に入ると、ディランは読んでいた資料を机に置いて微笑みかけてくる。
 夜空を彷彿とさせる紺色の髪は今日も綺麗に整えられており、穏やかな水色の瞳は今や優しく細められている。

 視線が絡めばどことなく安心してしまう。初めて会ったときにこの瞳にビクビクしていたのが嘘であったかのよう。

「副館長、半期計画の件で伺いました。会議前の確認に、ひとまずお渡ししますね」
「ああ」

 彼は受け取るや否や、書類を分別し始めた。左から順に承認と否認である。どちらに振り分けられた書類が多いかというと、否認()である。
 恐らくだが、デュラン侯爵以外全て否認に分類されただろう。

 目的が不明瞭、説得する資料が足りない、これを司書官がする意味があるのかわからないなどと彼が口にする辛辣なコメントを後のフィードバックのために手帳に書き留めてゆく。

 時おり彼の説得を試みて補足説明をするのだが、資料に全てまとめられていないと承認できないと言ってそのまま右に置かれてしまう。

 会議までの修正、間に合うだろうか……。これでもデュラン侯爵とチェックしてみんなに修正させたものだ。気が遠くなる思いである。

 そして例外もなく私の資料も否認に分類されてゆく。

 彼に一度で承認のサインをもらうのは国王陛下に玉璽を押していただくのより難しいとされている。王立図書館の影の王。ここでもやはり裏ボスだ。

 一通りチェックが終わった彼は書類をまとめて返してくる。受け取っていると、彼が指先を動かして私の手をなぞってきた。

 思わず飛び上がると、ふっと笑う声が聞こえてくる。ジロリと窘めるが相手は止めない。

「副館長?」
「どうした?」

 例の妖しい微笑みを浮かべられ身の危険を感じた。どうしたものかと思案を巡らせていると、副館長室の扉が勢いよく開かれる。

「副館ちょぉぉう!聖女様の命により個室の扉は解放されるようになっているだろう?閉め切っちゃダメじゃないか!」

 寸分の乱れも無く完璧なポージングで扉を開けたのは攻略対象で【お色気担当】のデュラン侯爵。
 オレンジブロンドの艶やかな髪をいつも頭の後ろで結わえている。すこし目尻が下がり気味で、その青い瞳で見つめられると卒倒するご令嬢もいると言われている優男。

 彼は所作が美しいと言うべきか、あまりにも1つ1つの動きが見事にデザインされているため、私の中のあだ名がポージング芸人になっている。

 それにしても、その制服のはだけ具合、彼のアイデンティティだから仕方がないのかもしれないが、どうにかならんもんでしょうか。目のやり場に困る。

 ちなみに、このゲームの悪役令嬢であるパトリシア・ヴォルテーヌが密かに想いを寄せている相手。
 ジネットによると、過去の私は彼の部下であるという理由でパトリシアに嫉妬され図書塔に追いやられたのだとか。

 今回の人生ではジネットがデュラン侯爵とパトリシアの仲をとりもってくれたおかげで円満解決している。
 
 聖女様の命と言えば、私たちが王立図書館に戻る際にジネットが「なにがなんでもあの変態(ディラン)と密室に2人きりになっちゃダメよ?!」って念を押してきていたっけ?

「あいつ……職権乱用しやがったな」
「あなたも大概だと思うよ、ね?フェレメレン嬢?」

 デュラン侯爵の問いかけに、私は沈黙を答えにしてその場をやり過ごした。思い当たることはいくつかある。
 
「私には何の用件で?」
「先ほどの会議の内容の報告に。それと、副館長と今月行われる防犯訓練について打ち合わせたくてね」

 王立図書館では年に1回、防犯訓練をするのだ。
 今もやはり魔法書を狙う人が多いため、もしもの際に備えている。

「今年も犯人役は中堅の司書官から選ぶよ。若手たちには経験が必要だからね」
「ああ、私がなろう」
「ん?」
「私が犯人役になろう」
「んんー?そうは言っても副館長の君が出てくると新人たちが委縮してしまいそうだ」
「備えのための訓練でへらへら笑って取り組まれても困る」

 前の訓練も誰も笑ってはいませんでしたがね。
 先の建国祭で焚書魔術組織がまた出て来たからこれまでより気を引き締めろってことですよね。

 しかし、なんだろ。笑えないこの状況。
 剣術に長けて召喚獣を呼べる強者が犯人役だなんて図書館が戦場になりそうだ。さすがに、手加減するよね?

「私を超えられるようにならねば何も守れまい」

 いやいやいや、待て。
 あなたを倒せる相手はそう居ないよ?
 怪我人通り越して死人でも出すつもり?

「まあ、副館長殿が張り切るのならそうしますが」

 止めてデュラン侯爵!
 あなたはこの人の裏ボス級の強さを知らないのよ!

 幼少期より力を追い求め、裏山でカブトムシ捕まえるんじゃなくて聖域に行って召喚獣と契約した男ですよ!

「久しぶりに腕の見せ所だな」

 そう言って、ディランはずいぶんご無沙汰だった悪役候爵の微笑みを浮かべている。ぞくりと悪寒が走った。

 ヤベェェェェ!!!本気だ。
 最近平和で力があり余ってるからなの?

 これまでに聞いた彼の伝説が思い出される。
 走馬灯なのかしら、これ。

 ディランの、これまで見たことのない野生的で且つ狂気的な瞳に思わずたじろいでしまう。

 もしや何かに憑かれたのでは?と思うくらいに緊張感《プレッシャー》を放っているのだ。

「剣の鍛錬に精が出るな」

 たぶんこの人、平和が訪れて身体が鈍ってきたから鍛える口実が欲しいだけなんだわ。
 あなたはむしろ、当日まで寝て過ごしても大丈夫なくらいです。

 眠れる獅子ならぬ眠れる悪役候爵が起きてしまった。


 ガチで笑ってはいけない(笑えない)防犯訓練が始まろうとしている。